星が、落ちてきた。



 健二さんと夏希姉の離婚を知らせたのは一本の電話だった。

 部屋でレポートの残骸や資料の整理をしていると携帯電話が鳴った。夏希姉からだった。

「もしもし」
『あ、佳主馬?今平気?』
「うん、部屋にいるから」
『・・・あのね、驚かないでね、私・・・』

 何をもったいぶっているのか、短気な自分は苛立ちながらも黙って続きを待つ。
 下らない事なら即切ってやるとこだ。

『私・・・健二くんと離婚したの』
「ッ・・・・」
 
 ・・・・突然のことで何も言えなかった。

『一か月前にね、離婚して、もう一緒に暮らしてないんだ』

 もう一カ月も経っていただって?
 たまたま忙しくて小磯家へお邪魔してなかったが、健二さんとは何度かOZでのチャットやメールはしていた。でも彼は何も言ってなかった。ただ元気ない気がしたので仕事が忙しいのだろうと思っていた。

「なんで・・」

 やっと言えたのはそれだけだった。

『私に健二くん以外に幸せにしたいと思う人が出来たから。だから健二くんは悪くないの』
「それって健二さんを裏切って違う人を選んだってこと?」

 健二さんより幸せにしたいってどういうことだ?誰よりも幸せにするべきなのは健二さんだろう!
 苛立ちがこみあげ責めるような詰問口調になる。

『違う。健二くんのことは今でもこれから先もずっと好き。だけど、私が幸せにしたい人は別だったの』
「わけわかんない。捨てたと同じに聞こえる」
『そうね・・・どんな風に言っても実際は佳主馬の言う通りよね。私は健二くんを傷つけたもの』

 その通りだ。彼女の行為は健二を傷つけたに違いない。それも酷く。
 大事な人を傷つけられ詰ってやりたい衝動が起きるがそれは自分の役目ではない。
 第一、離婚したということは健二さんがそれを受け入れたということだ。
 自分が口を出すことではない。
 それに自分から見てもこの一年の健二さんは忙しさは半端なく、夏希姉はいつも心配して寂しそうにしていた。何も出来ないのがもどかしそうでもあった。夏希姉らしくない暗い顔を見ると『健二さんは何をしてるんだ』と内心憤っていた。なのに今は夏希姉に対して憤っている。ほんと外野は勝手だ。
 でも離婚するまでとは思わなかった。
 彼女が考えなしにそんなことをするはずがないので何かがあったのだろうか。

「・・・今は何しているの?」
『上田にいる』
「もしかして本家?」
『ちょっと違う。侘助さんのとこへ押し掛け女房してるの』
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
『私ね、侘助さんを幸せにしたいの』

 予想外の言葉に絶句する。
 彼女は栄婆ちゃんの約束を守ろうとしているのか
 他の人へ嫁ぎつつも子供の頃からの想いを未だに捨てられずにいたのだろうか
 それとも二人の間で何かがあったのだろうか
 でもどの理由でも自分は納得できそうにはない・・・。
 
『離婚のことは落ち着いたら改めて皆に報告するつもりだったからまだ皆には伝えてないの』
「わかった」 といってもすぐ皆に知れ渡るとは思う。
『・・・あと最近健二くんに会った?』
「いや、この一カ月会ってない」
『そう・・・私が言える立場じゃないけど、ちょっと心配なのよね。寝食忘れて数学に没頭する人だから・・・』
「知ってる」
『佳主馬、たまに健二さんの様子見に行ってくれないかな・・・?』

 何を勝手なと思いながらも、自分も心配なので「わかった」と返事をして電話を切る。
 急いで健二さんへ『今日行っていい?』とメールすると、程なくして『もちろん!あと少しで帰るから』と返事が来た。僕は部屋の片づけを放り投げて健二さんの家へ向かった・・・



  * * * * *



 そして、久々に見た健二さんはそりゃぁ酷いものだった。

 服はよれよれで染みだらけ。一体何日着ているんだか…。
 頭もボサボサで跳ねまくってる。清潔であればいいと思うけどそれすら怪しい。
 何より痩せた。もともと痩せて貧弱な体格だったのに更に痩せて一回り小さくなったように見える。目の周りには隈もあった。ちゃんと寝て食べてないのは一目瞭然だ。
 変わってないのは「あ、佳主馬くん。久しぶり〜」とふにゃりと笑った笑顔だけだった。

 健二さんに会ったら何て声をかけようかと迷ってたけれど、こんな姿を見たら一つしかない。

「服脱いで風呂場へ直行!」
「えええええ!?」

 妹の絵馬が泥だらけで帰って来た時に言ったセリフだった。
 驚いている健二さんから問答無用で服を剥ぎとり風呂場へ放り込む。剥ぎ取った服はや何日も着たままだったのだろう、やっぱりスエタ臭いがした。服を脱いだ健二さんはさらに小さくて、肋が浮き出ていた。それを見たら何だか泣きたくなってしまった。ゴメン、夏希姉が裏切ってごめん。夏希姉が悪い。健二さんは悪くないのに何でこんなふうになってるの。何で自分がこんなに罪悪感を感じるのだろう。
 汚れ物をを洗濯機に投げつけながら、目頭が熱くて仕方なかった。

 そのあとが大変だった。冷蔵庫の中は腐ったものだらけだったし、部屋はホコリが積もってたし、洗濯物は溜まりに溜まって酷いニオイたし、台所は季節が悪くて虫も沸いていたし、とにかく大変だった。もう男ヤモメは嫌だね!って見本くらい汚かった。
 それでもなんとか適当にくつろげるスペースを確保して買い物をしてごはんを用意した。僕が作ったごはんを見て健二さんはすごいすごいと子供のようにはしゃいだ。

「おおげさ。ただの味噌汁と肉野菜炒だよ」
「でも僕はできないから。家事もすごい手際いいし、すごいねぇ佳主馬くんは」
「・・・別に、普通。絵馬のせいで家事を手伝わされること多かったし、一人暮らししてるんだから自然と上手くなるよ」
「そっかな、僕は全然だよ」
「健二さんて家事に向いてなさそうだもんね」
「ははは、その通り」
「いつから研究所に泊り込んでるの?」
「えーと一ヶ月くらい前、かな?」
「その間何日帰ってきた?」
「えーっと・・・3回・・・くらい?」
「・・・道理で汚いはずだ。今日は泊まるから明日は朝から一緒に片付けるからね」
「え・・」
「何?明日休みでしょ、手伝ってもらうからね」

 こんな汚い空間に健二さんを置いてけないし、こんなヨレヨレな健二さんを放っておけない。僕は健二さんをちゃんとした人に戻すんだ!という使命感に駆られていた。
 だから不満は受付けないよ!とばかりに強気に宣言したのだけれど、健二さんは全然別のことを言いだした。

「ううん、不満は無いよ。この部屋なんとかしなきゃなーって思ってたし。ただ・・・」
「ただ?」
「この部屋に僕以外の誰かが泊まるって久しぶりだなーと思って、さ」
「・・・・・・・」

 ああ、この人は寂しいのだ・・・。

「・・・夏希さんと別れたのはもう知ってるんだよね」
「・・・夏希姉から聞いた」
「そう・・・」

 ここに来たのも夏希姉から頼まれたからだと言うべきだろうか。

「僕からもきちんと話したかったんだけど遅くなっちゃった。ごめんね?」
「ううん、いい」

 それどころじゃなかったのは部屋を見れば分ったから。

「あと、お兄ちゃんじゃなくなっちゃって、ごめんね?」
「ッ・・・・・」

 『家族じゃなくなってごめんね?』

 そう聞こえた。
 家族になることを誰よりも喜んでいたのは自分だろうに・・・。

「・・・『お兄ちゃん』なんて一度も呼んだことないでしょ」
「えーでも『お兄さん』とは呼んでくれたよ」
「最初だけね。あの時は名前知らなかったし」
「あ、そっか。うーん、あの時は弟が出来たみたいで嬉しかったんだけどなぁ」
「『健二兄』とか呼ばれてみたかった?」
「あ、ちょっといいかも」
「僕はごめんだよ。絵馬にでも頼んで」
「絵馬ちゃん可愛くなったよねー」

 この人が救ってくれた絵馬はもう7歳になった。
 あの時から、家族とか、家族じゃないとか、それらを飛び越えてこの人は僕の特別になった。
 だから

「・・・健二さんは友達だし、身内だよ。僕たちの関係は変わらない。戸籍が変わっても関係ない」
「・・・ありがとう」

 健二さんは嬉しそうにまたふにゃりと笑った。
 その笑い方は最初にあった頃と何も変わらないのに、健二さんと夏希姉の関係は全く変わっているのが切なかった。


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