最後の日 -11- 
 台から離れると、こちらを見つめるドリー卿と目が合った。
『なかなかの名勝負だったね』
『楽しんで頂けて何よりです』
 ナルは嫌みったらしく恭しく一礼した。それを見た麻衣は頬を膨らませてそっぽを向いた。可愛らしい拗ね方にドリー卿の顔が綻んだ。
『で、オリヴァー、彼女とは何を賭けていたのかね?』
『一つだけ僕のお願いを叶えてもらう約束です』
『ほう、どんな?』

(さて、どうしようか・・・) 
 
 ナルは麻衣を見た。
 彼女は頬を膨らませ横を向いている。よほど勝負に負けたのが悔しいのだろう。突き出した唇が子供っぽい。せっかくのドレスが台無しだった。

 この麻衣に願うこと・・・。
最初は麻衣に実験の承諾書にサインさせるつもりだった。
 しかし、この三週間の出来事が頭を過ぎり、最初の願いとは全然別の、ある言葉が浮かび上がった。
 
 ナルは一瞬口を開き、閉じた。

 これを言ってしまうと自分の人生計画が全て変わる。
 研究以外、誰も必要とせず、必要とされず、研究だけして生きていく。それが自分の理想だった。
 なのに今浮かんだ言葉はそれを覆す言葉だった。
 他人など要らない。一人がいい。
 多少不便だが金銭や多少の労働で補うことが出来る。
 他人など不要でしかない。
 その考えは今でも変わらない。
 なのに自分の考えを自ら覆そうとしている。

 言うか、言わまいか…。

(思った時点で答えは出ているな)

 ナルは、ある単語を口にした。


* * *

 ナルが何か言った瞬間、周囲がザワリと騒いだのが分かった。負けた悔しさで上の空でいたら聞き逃してしまった。
「え?今何言ってたの?・・・」
「Would you keep a promise with me ?」
「ナル?」
「英語で答えろ」
 麻衣の質問には答えずに、ナルは偉そうな声で命令した。その態度にムカつきつつも、賭けに負けた自分は承諾するしかない。麻衣は不承不承頷いた。
「Yes・・・」
「It appreciates.」
「は・・・?」
 ナルは恭しい仕草で麻衣の手を取り、その甲に口づけを落とした。
 びっくりして抗議する前に、キスされた瞬間、周囲で歓声と拍手に包まれた。ドリー卿がナルに握手をして祝福の言葉を言っいる。まどかさんは「やったわねナル!でかした!」とはしゃいでいる。
(一体何があったの!?)
 ナルに問い詰めたくてもドリー卿と話しているから聞けない。
『とんだ大勝負だったわけだ』
『ご協力感謝します』
『老人の忠告を早々に実践されるとは思わなかったよ』
『師の言葉は敬うべきかと』
『ははは嬉しいことを言ってくれる』
などと話している。
一体何がなんだか・・・
「り、リンさぁん・・・」
 涙目でリンさんに縋ると、眉間に皺を寄せ胃のあたりを押さえていた。何かにあたったのだろうか、とても具合が悪そうだ。それでも絞り出すような声で説明してくれた。
「先ほどドリー卿がナルに何を約束したのか尋ねられました」
「うんうん」
「ナルは『賭けに勝ったら自分のお願いを一つ叶えてもらう約束だ』と言いました」
「はいはい」
「そしてドリー卿が『君のお願いは何だね?』と・・・」
「それでナルは何て言ったの?」
 肝心の内容を尋ねると視線を反らされてしまった。
「リンさん?」
 催促すると更に辛そうな声で教えてくれた。
「『Engagement with me』と・・・」
 Engagement は約束とか婚約とかだ。
wwith meは私と。
 直訳すると『私との婚約』だ。
「へー、婚約ねー・・・って、婚約ぅうう~~?」
 語尾が跳ね上がり大きな声が出てしまい周囲の視線を浴びてしまったがそんなの頓着してられない。
 だってナルのお願いが『私との婚約』だと?
 それに大して自分はさっき何て言った?YESと答えなかったか?
 『約束を守るか?』に私は『YES』と答えた。
 それは了承したということで・・・

 私 は 貴 方 と 婚 約 し ま す 。

 って皆の前で宣言したも同然じゃんかーー!

「ちょっとナル!嵌めたわね!」
 麻衣は??卿と話しているナルに食ってかかった。
「人聞きの悪い。賭けに負けたのは?」
「~~私だけど!」
「つまりは自分のせい」
「そうだけどッ・・・でも!」
「煩い。これ以上騒ぐとその口を塞ぐぞ」
「~~~~ッ!」
 ギロッと睨まれて口を結ぶ。目が本気で怖い。こういう時のナルに逆らうととんでもない目に遭うのは身に染みている。
 二人を見ていたドリー卿は日本語なので内容が分からなず困惑気にナルに尋ねた。
『彼女は何か怒っているようだが・・・』
『大勢の前で言うなんて!と詰られてしまいました。日本人はシャイなので』
『なるほど。彼女はヤマトナデシコだったね』
 破顔して納得されてしまった。
(それは違う!)
 と大きな声で訂正したがったが、ナルにどんな方法で口を塞がれるか分かったもんじゃない。この流れでいくと婚約のキスとかされそうで怖かった。あんまりな展開に涙が出そうだ。麻衣はうつむいて涙をこらえた。
しかしその様子は照れて顔があげられないと周囲の目には映った。素晴らしきかなヤマトナデシコ補正。
『これ以上彼女の機嫌を損ねたくありません。退出しても?』
『もちろん。今夜は十分楽しませてもらったよ』
『感謝します』
 麻衣はナルに抱き寄せられて(=拉致されて)パーティ会場を後にした。

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2011.10.23発行「彼と彼女の関係Ⅱ」より一部削除して掲載
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