最後の日 -05- 

 目が覚めたのは病院のベッドの中だった。

「麻衣ちゃん?目が覚めた?」
 横からまどかさんの声が聞こえた。
「頭痛いとか、どこか気持ち悪いとこない?」
 付き添っていてくれたらしいまどかさんが優しく聞いてくれるけど、それよりも気になる事があった。
「ナルはッ!?」
 麻衣はがバリと起き上がってまどかに詰め寄った。まどかはニッコリと麻衣を安心させるよう微笑んだ。
「無事よ。昨日には目が覚めて、ぴんぴんしてるわ」
「そうですか・・・」
 安堵に力が抜ける。
「それよりか麻衣ちゃんのが大変だわ。女の子なのにこんな傷作っちゃって・・・」
 まどかは麻衣の頭を撫でた。そこには白い包帯が巻かれていた。私は頭を打ちつけて一針だけ縫ったらしい。鏡で見てみると額より少し上、髪の毛が隠れる場所でホッとした。でも縫うために髪が剃られて、小さなハゲが出来てしまった。女の子としてはちょっと情けない。
「嫁入り前の女の子をキズ物にしちゃうなんて・・・ナルにはきっちり責任とってもわないと!」
「いや、それ語弊がありますから・・・」
 それに今回のナルは被害者だ。責任を取るならあの女性の方だろう。
(そう言えばキャサリンさんはどうなっただろうか?)
 聞くとまどかさんは不愉快そうに教えてくれた。
「彼女は麻衣ちゃんより軽傷よ。麻衣ちゃんがナルを止めて彼女を庇ったでしょ?切り傷、擦り傷だけですんだわ。悪運の強い女ね」
「そうですか・・・良かった」
「良くないわよ!」
 まどかさんは彼女がナルに何をしたのか教えてくれた。彼女がナルに言う事聞かせるために一部始終をカメラで録画していたことで全部露見したそうだ。
酷い話だ。これでナルが無事じゃなかったら、私は彼女を庇った事を一生後悔しそうだ。
「彼女にはここの治療費はもちろん慰謝料もきっちり支払ってもらいますからね。安心して養生なさい」
「はい」
 安心した麻衣はポスンと再びベッドに横たわった。
 あれ?そういえば何か忘れてるような・・・。
「まどかさん、私どのくらい寝てました・・・?」
「丸一日かしら」
「じゃあ飛行機は・・・」
「とっくのとうに出たわね」
「やっぱり・・・」
「安心なさい。帰国チケット代もきっちり払わせるから!」
 ニッコリとまどかスマイルが眩しい。でもそういう問題じゃないんです・・・。予定とか予定とか予定とか・・・、遊ぶ約束していた皆に連絡もしないと・・・そしたら理由を言わなきゃならない。また皆に怒られ&心配されてしまう。
 傷よりかそちらの問題の方が頭が痛かった。
 
「あの、ナルに会えますか?」
「ええ、そこで本読んでいるわ」
「へ?」
 まどかは麻衣のベッドを囲んでいたカーテンを引いた。すると向うのベッドには点滴を打たれながら、本を広げているナルがいた。一瞬だけちらりとこちらを見たが、何も言わずに本へ視線を戻してしまう。変わりない姿に拍子抜けするも安堵した。
「病院だと言葉とか不安だし、一緒の方が便利なので同室にしちゃったの。平気よね?」
「はい。平気です。ナルだし」
 海外の病院で一人は心細いし、医療用語なんて会話出来るか不安だ。ナルがいてくれるのはとても心強い。
 ただ、とても機嫌が悪そうでちょっと面倒かも・・・、と思うくらいだ。
「ナルは思ったより軽くて数日で退院できるそうよ。最近ちゃんと食べていたようだし、昔より体力ついたのね。良かったわ」
 まどかさんはうふふと嬉しそうに笑った。
「麻衣ちゃんは二・三日の検査入院で済むはずよ。あ、いけない。目が覚めたらお医者さんを呼ぶように言われてたの!ちょっと待ってね」
「あ、はい」
 まどかさんが病室を出て少しするとお医者さんがやってきた。アレクさんくらいの金髪碧眼の男性で、慣れない私は診察中ドキドキしてしまった。
 結果、頭の怪我以外は問題ないらしく、私は明日には退院できることになった。抜糸は必要ない糸らしく、そのまま帰国していいと言われてとても安心した。
 お医者さんが出て行くと、入れ違いにリンさんとアレクさんがやってきた。口々に無事を喜ばれ、無茶ぶりにお叱りを受けた。
 アレクさんは私の頭を小突きたいようだが、怪我をしているので代わりに鼻を抓まれた。
 リンさんは深く深く溜息をついて、でもあの縁起のいい笑顔で無事を喜んでくれた。
 心配された事が嬉しく、照れくさかった。
 困ったのは、その後に現れたルエラだった。
 ルエラは私の顔を見た瞬間、泣きだしてしまった。私のことを抱きしめて頭を撫でてくれながら泣き続けた。
 私の無事を喜んで、ナルの無事を喜んで、ナルを助けてくれたとお礼を言われ、無茶をしては駄目よと叱られた。
 その言い方と仕草が本当のお母さんみたいで・・・はい、泣いてしまいました。
 最後にはマーティンに「麻衣が疲れてしまう。それくらいにしなさい」と窘められて帰って行った。

 怒涛のお客様ラッシュに、諸々の検査が終わると、あっという間に就寝時間になってしまった。
 疲れたので寝てしまいたいが、まだナルとちゃんと話していないのを思いだした。部屋の電気が消されたが、隣のベッドからは薄明かりが漏れている。ライトを付けて本を読んでいるのだろう。
「ナル、起きてる?」
「見れば分かるだろう」
 素っ気ないなー、まぁ返事があるだけマシか。
「ねぇ、そっち行っていい?」
「・・・どうぞ」
 一瞬間があったけど、OKの返事が出たことに気を良くする。パジャマの上にカーディガンを羽織ってナルのベッドに近寄った。ナルは珍しく黒以外のブルーのパジャマを着ていた。
(何か若く見えて可愛いかも)
 へらりと笑いながらナルのベッドの端に腰かけた。
「何だ?」
「えと、気になることが・・・」
「早く言え」
 せっかちなナルは麻衣の逡巡など解さずに急き立てる。
「・・・火傷、してない?」
 恐る恐る麻衣が言うと、ナルは瞬いて「ああ」と思いだしたように頷いた。
「してたな」
「・・・ごめんなさい」
「お前が謝ることじゃない」
「ううん。火傷だし、痕が残るかも・・・」
「お前が責任を感じるような怪我じゃない」
「でも・・・」
 まだぐずぐず言い募る麻衣に、面倒になったナルはパジャマの前を開き、手当てされていたガーゼをとって見せた。胸の下、心臓に近い場所に4・5㎝の四角い火ぶくれが出来ていた。思ったより大きくないサイズに、麻衣は少しだけ安心する。
「小さな火傷だ。気にするな」
「うん・・・」
 でも自分で怪我をさせた責任を感じずにはいられない。まだ暗い顔をする麻衣にナルは溜息をついた。
「・・・そんなに気になるなら、僕をキズ物にしてくれた責任をとってもらえますか、谷山さん?」
「ふえっ!?」
 ナルはついっと麻衣の顎を取り、見た事のないような艶っぽい表情で自分を見つめ、顔を近づけてきた。
(ち、近いんですけど!)
「せ、責任?」
「そう」ナルは至近距離でニッコリと笑った。
「か、看病するとか!?」
 焦って上ずった声をだした麻衣に、ナルは呆れた溜息をつく。私の答えはお気に召さなかったらしい。慌てて他の答えを言い募る。
「じゃ、じゃあ・・・、火傷に良いお茶毎日淹れるとか!」
 馬鹿馬鹿しい返答にナルは呆れて手を離した。
「馬鹿、冗談だ」
「何だよぉ・・・焦ったじゃんか・・・」
 ナルの至近距離での笑顔はとても破壊力がある。
「・・・それに責任をとるのは僕の方だ」
 ナルは麻衣の額に手を伸ばし、傷口の当たりを指で優しくなぞった。まるで「痛いか?」と聞かれてるようだ。
「あんま痛くないよ?髪で隠れるし・・・平気だよ?」
「・・・すまない」
「いやえと、私も怪我させちゃったし、お相子だよ」
「おあいこ?」
「ギブアンドテイク、お互い様ってこと!」
 自分が謝られる立場になると落ち着かない。先ほどのナルの気持ちが分かる。だから『お互い様』でチャラにしたい。そう言うと、
「そうだな」
ナルはふっと微笑んでくれた。ここで止めればほんわかするのに、ナルは余計なことまで言ってくれる。
「樹から落ちたお前を受け止めたしな」
「ちょっ、そうだけど!今言うかな!」
 ぷーっと頬を膨らます麻衣の額を、ナルが笑って「自分の無謀さを少しは自覚しろ」とぺちりと叩いた。
「これ以上頭が悪くならないといいが」
「・・・本気で言うなよな」
 嫌味なら文句を言えるが本気で言われたら怒りの持って行き場がない。ナルに比べれば大抵の人は頭が悪いだろう。
 膨れた麻衣を余所に、ナルはゆっくり麻衣の頭を撫でた。
 その傷を癒すように、痛みがとれるようにと願うような優しい仕草だった。
「ナル・・・?」
 麻衣が訝しんでも、ナルは黙って撫でつづけた・・・。


 私達が退院したのはその日から4日後だった。



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2011.10.23発行「彼と彼女の関係Ⅱ」より一部削除して掲載
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