最後の日 -04- 


《ナル…ナル…》


 闇の中、自分を呼ぶ声がする。
 聞きなれた声、けれど、久しぶりな口調…、ジーンだ。
 でも今は調査中じゃない。このように声が聞こえることは無いはずだ。
PKの暴走でとうとう自分も死んだか?
《縁起の悪いこと言わないでよ!》
 怒るような口調で文句を言われてしまった。
ナルは薄く目を開けると、目の前にほの白く浮かび上がる、自分と生き写しの片割れが見えた。
「久しぶり」
 自分と同じ顔が、柔らかな笑顔で微笑んだ。
「…ここは?」
「さあ、僕がいつもいるところ?」
「今は調査中じゃないだろう」
「誰かさんが暴走したから一時的に場が出来たのかもしれない。麻衣がいたから接触可能になったのかも」
「ふん」
 ナルはふいっと視線を逸らした。
「今回は危なかったね。麻衣に感謝しなよ」
「…お前が伝えたのか?」
「そう。SOS信号を送ったら、麻衣が見事キャッチしてくれたの。麻衣がいなかったらナルはホントにここの住人になってたかもよ?」
「そこまで間抜けじゃない」
「どうだかね…、ナル、本気であの女の人が壊れていいと思ったでしょ。そして自分も…」
「………」
「そんなことしたら駄目だよ?ルエラとマーティンが悲しむ。リン・まどか・アレク、そして麻衣も悲しむ。日本の皆も悲しむ」
「…分かっている」
「ホントかなぁ、ナルは自分を大事にしなさすぎるから」
「説教だけなら帰るぞ」
「無理だよ。君、今死に掛けてるんだもん」
 ジーンがほらと足元を指差した。途端に足元の視界が透けて、その先には透明な建物が見えた。その一室に自分がいた。手術室で処置を受けているようだ。
「ま、死にそうにないけどね」
「…人が悪い」
 ジーンが言うのなら、一瞬本当に死ぬのかもと思ってしまった。まぁ簡単に死んでやるつもりはないが。
 ジーンは笑いながら漂っている。
「ねぇ、ナルの周りをきらきら光っているの見える?」
 ジーンはナルの体に纏わりついている光を指差した。
 それは星のきらめきのように、瞬きながらナルの周囲を彩っていた。
「…ああ」
「それ、麻衣だよ。麻衣がナルを止めようと必死になって九字を放った。その光だよ」
「………」
 この光は見覚えがある。
暴走している自分を正気に戻した光だ。

 ナルは薬により、酷いバッドトリップを起こしていた。
 過去の陰惨な事件の記憶が掘り起こされ、脳内で絶えず再現されていった。
暴力、殺人、レイプ…。どれも酷い記憶ばかり。自分は被害者になった彼らの記憶を追体験した。特にレイプの記憶は自分に生々しい恐怖を植えつけた。
また、事件解決のために加害者の記憶を追体験することもあった。彼らの破壊衝動、常軌を逸した行動、それらも生々しく追体験した。それはあたかも自分は異常者になったような感触を自分に残した。
被害者、加害者、自分はどちらの記憶もある。そして加害者が被害者だったことも知った。被害者が加害者になったことも知った。二者の心はどちらも黒く、暗く、澱んでいる。区別がつかないほど混沌としていた。
ただ共通しているのが一つだけある。破壊衝動だ。
自分を虐げたもの、蹂躙したものへの恨み、または恐怖を与えた相手を破壊したいと望む衝動はどれも一緒だった。
 それが、薬によって噴出した。
 目の前にいる敵を破壊したいと、本能が荒れ狂った。
 彼女の望む通り、素直になっただけだ。
 あの時自分は、彼女が壊れてもいいと思った。
自分でかけた暗示による力のリミッターは薬ごときじゃ外れない。だから、死にはしない程度に壊れてしまえと願った。骨の一本や二本、内臓のひとつでも潰されても心は痛まない。自業自得だと思った。
その結果、自分の健康が損なわれたとしても後悔はしない。やられた分はきっちりと返礼できれば満足だった。
今思えば、薬のせいで随分正気を失っていたのだと分かる。しかしあの時はそれが正しいと、しなければならないと、当然だと思った。
その欲求に従うまま、彼女に力をぶつけようとした瞬間、暗闇だった視界が横殴りの光で掃われた。
闇が弾けたような錯覚、正気に戻った瞬間だった。
正気に戻った途端、胸が痛みその場にくず折れた。
薄れ行く意識の中駆け寄ってくる麻衣が見えた。麻衣に抱き抱えられた時、彼女の周りをきらきらとした光が舞っていた。あの時は痛みと眩暈による目の錯覚かと思ったが違ったようだ。
麻衣自身の光だったのか…。

「麻衣は綺麗だね。きらきらと、生きる力に溢れてる。これはその光だよ。ホント綺麗だ…」
 ジーンは麻衣の光を指で遊びながら呟いた。
 ナルはジーンが漏らす感想を黙って聞いていた。否定はしない。何故なら自分も同じことを思ったから。
「ナル、麻衣を大事にしなね。あんな子は二度と現れない。手放しちゃだめだよ」
 ジーンが偉そうに指示してくるのが癇に障った。
「それはお前の願望の押し付けじゃないのか?」
嫌味を込めて言ってやると、ジーンは顔をしかめて睨みつけてきた。こんな顔のジーンを麻衣は知らないだろう。
「ホント、ナルは嫌なやつだね」
「お互い様だ」
「そうだよ、僕の願望でもある。麻衣がナルの傍にいる限り、僕は麻衣に逢える。彼女はこの暗闇のなかの唯一の光だ。逢いたいと思うのは当然だろう?」
「………」
「ナルの為に、自分の為に、半々くらいで麻衣にはナルの傍にいて欲しい。そう願うのはいけないことかい?」
「………」
 流石に否定することは出来なかった。
「全く…君はいつまでたっても心が狭いんだから。少しは大人にならないと、麻衣に嫌われるよ!」
「余計なお世話だ」
 死んで5年も経っている奴に兄面をされたくはない。
 ジーンは尚も言い募ろうとしたけれど、開けた口を閉じてため息をついた。
「そろそろ時間みたい…」
「目覚めるのか?」
「うん、君はね。僕は眠る」
「そう…」
「お休み」
「…お休み」
 ジーンが遠くに行く気配がした。
 そして僕の意識は暖かな暗闇に飲まれた…。



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2011.10.23発行「彼と彼女の関係Ⅱ」より一部削除して掲載
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