最後の日 -03- |
ガシャ――ンッ! 突然、麻衣が手に持っていたティーカップを落とし、頭を手で押さえて蹲ってしまった。 『麻衣?』 『麻衣ちゃん!』 皆が心配して駆け寄ってくる。テーブルクロスの上に零れた紅茶がジワリと染みを広げていく…。 それを見ながら麻衣は頭に響く声を聞いていた。 《麻衣!ナルが大変なんだ!!助けて!》 盛んに頭に響く声はジーンのものだ。 彼が自分に必死に訴えている。 「ナルを助けて!」と。 今は起きているし、調査中でもない。何故ジーンの声が聞こえるのか分からない。でもそんなのは後回しだ。大事なのはナルがピンチらしいということ。 麻衣はガバリと顔を上げてリンを見た。 「リンさんッ!ナルの居場所って分かる?」 「分かりますが…」 「そこに私を連れてって!」 「一体どうして…」 「ナルが大変なのッ!なにがどう大変なのか分からないけど、そうジーンが言ってるの!!」 「ジーンが…?」 困惑の表情を浮かべていたリンは、ジーンの名が出た途端、険しい表情に変わった。 「行きましょう」 「はいッ」 決めたら行動は早い。リンは上着から車のキーを取り出し玄関に向かう。麻衣もその後を走るように追う。 呆気にとられていたアレクセイも、訳が分からないながらも後を追う。 まどかも追おうとして、一瞬立ち止まり、デイヴィス夫妻を振り返る。二人は早口で会話された日本語が分からなかった。しかし『ナル』と『ジーン』の言葉が聞き取れて、麻衣の尋常じゃない様子に不安を募らせていた。 『まどか、一体どうしたの…?』 『ナルがどうかしたのか?』 『私も詳しくは分かりません。ただ、麻衣ちゃんがジーンからナルが危険だとメッセージを受け取ったそうです』 『ナルに危険が…』 『それは確かなのか?』 『今までお話していませんでしたが、ジーンは麻衣ちゃんの指導霊的役割をしていて、これまで何回もジーンと交信経験があります。彼女がジーンからのメッセージだと言うなら間違いないでしょう』 『麻衣が…』 『途中詳しいことが分かり次第ご連絡します』 『頼む…』 不安げな二人を残すのは心苦しいけれど、今は仕方ない。まどかは振り切るようにして玄関に向かった。 最後にまどかを乗せて車は走り出した。 「ナルの携帯はGPS機能がついている。それで割り出すと…、ここだ」 アレクがリンに端末を見せて目的地を指示する。 「そこでしたら今日の会食開場です。移動してないのでしょうか」 「…上に移動したかもな」 「上?」 「ここの上はホテルになっている。その一室にオリヴァーは連れ込まれたのかもしれない」 「…最悪ですね」 「最悪だ」 リンはアクセルを踏み、スピードを上げた。 「…その後、ジーンからのメッセージはない?」 まどかが聞くが、麻衣は黙って首を振る。 「最初の時だけです。その後は何も…」 胸の動悸が止まらない。 ジーンの必死な声が耳から離れない。 ナルに一体何が起きたのか…、不安で仕方なかった。 「着きました」 降りてみると、大きな石作りで、古く格式のある建物だった。中に入ると赤いじゅうたんが敷かれていて、スーツ姿のリンさんやアレクさんはともかく、普段着の私はとても浮いているのが分かった。 でもこの建物に入った途端、ここにナルがいると何故か確信した。 既視感だろうか、私はここに来た覚えがある。 (これはナルの感覚なのかもしれない) そう思ったら、勝手に体が動き出した。赤じゅうたんの上を走り出した。 「麻衣ちゃんッ」 「谷山さん」 「麻衣?」 三人は突然走り出した麻衣の後ろを慌てて追う。優美な建物の中を走る二人に、奇異な視線が送られるが気にして入られない。 麻衣は階段を見つけて駆け上がった。 一階、二階を駆け上がり、次は三階…というところで警備員の人に止められた。 『ここから先は泊まり客のみとなっております。一般の方はご遠慮下さい』 二人のガードマンが麻衣の行く手を遮った。 『ここにいる私の友人に用があるので通してもらえませんか?』 『申し訳ありませんがそれはできません。お引取り下さい』 『お願いです!通してください』 『できません』 尚も先に進もうとする麻衣を一人が腕を掴んで取り押さえた。乱暴ではないが強い力だ。麻衣はもがくがびくともしない。 が、麻衣を掴む手を更に掴む手があった。 『その手を離して下さい』 リンだ。麻衣に追いついたリンが、麻衣を掴んだガードマンの腕を掴み、力を込める。 『痛ッ』 筋肉には弱筋という箇所があり、そこを刺すように押すと誰でも痺れるような痛みが走る。ガードマンはたまらず麻衣の腕を放した。もう一人のガードマンはアレクセイが抑えこむ。 「先行け」 アレクセイに促されて、再び麻衣は走り出した。 七階に辿り着くと、麻衣はピタリと足を止めた。 何故かは分からないが、ココだ!と分かった。 でもどの部屋かまでは特定できない。 扉の数は全部で5つある。 数が少ないし、もう全部のドアを叩こうか…と、麻衣は廊下をぐるりと見回すと… ガシャ―――ンッ!! 突然何かが割れる音がした。 麻衣とまどかは顔を見合わせて音がした方に向かう。 一番奥の部屋に辿り着くと、ドアの向うから絶えず何か割れるようなぶつかるような音がしている。 (ここだ!) 入ろうと、麻衣がドアノブを回すが動かない。鍵が閉まったままだ。 「ナル?そこにいるの?いたら開けて!」 麻衣がドンドンと扉を叩くが応答は無い。けれど室内の破壊音は未だに続いている。中で喧嘩しているようには聞こえない。一体中で何が起きているのか…。 (嫌な予感ががする…) 「開いてよ!」 ドアノブをガチャガチャと必死でまわした。 しかしびくともしない。 破壊音は他の部屋にも響いているのか、それとも麻衣の騒ぐ音を聞いてか、同じフロアの客が様子を見に客室から出てきた。 「…開いてよぉお」 自分にPKがないのが恨めしい。PKさえあればドア鍵を引き千切ってやるのに! 麻衣は途方にくれていると 「麻衣ちゃん!」 後ろからまどかさんに呼ばれた。 振り返ると、まどかさんはリンさん、アレクさんを従えて走ってくるのが見えた。三人の後ろにはフロントマンらしき男性も連れて来ていた。 「お待たせ!」 「まどかさん…ドアが…」 麻衣がみなまで言う前に、まどかは頷いて後ろの男性に鍵を開けるよう頼んだ。この短時間でどのような交渉をしたのか不明だが話はついているらしい。彼は硬い顔で頷いた。室内から聞こえる破壊音に、何か尋常ではない事態が起きていると理解したようだ。手早くマスターキーを取り出し、鍵を開けてくれた。 「ありがとう!」 麻衣はドアに飛びついて勢いよく開けた! 視界に入った光景はまるで映画のようだった。 「…ポルターガイスト?」 しかしこんな規模のは見たことが無い。 部屋の中で、椅子、机、スリッパ、スタンド、本、パソコン、その他もろもろが宙を舞っていた。その中に人の拳大の石も混ざっていた。当たったらさぞかし痛いだろう。まるで室内に台風がきているようだ。 台風の中心にはナルがいた。彼の周囲にバチバチと爆ぜる音が聞こえる。静電気が起きているようだ。 ナルはベッドの脇に立ち、体を苦しそうに曲げ、前方を睨みつけている。 視線の先にはキャサリンがいた。 彼女は部屋の隅で縮こまり、震えていた。服は破れ、切り傷傷だらけで血を流している。顔面は蒼白で、ガタガタと音が聞こえそうなほど震えていた。普段とはかけ離れた様子に哀れさを催す。 「PKの暴走か…?」 アレクは信じられないものを見るようにナルを見つめていた。リンとまどかも予想もしていなかったナルの暴走に驚く。何でそんな事態になったのか不明だが、キャサリンが原因だろう。彼女は十分報復処置を受けているのに何故まだナルの暴走は収まっていないのか。 「…正気じゃないわね」 「恐らく…」 「止めないと…大変なことになるわ」 PKは体に負担がかかる。長時間暴走していれば命に関わるだろう。しかし暴走はいまだ激しく、近寄ることすら困難だ。彼に正気を取り戻させるにはどうすればいいか、彼らは手を出しあぐねていた。 大人組が逡巡しているなか、麻衣もどうすればいいか迷っていた。 (どうしよう、どうしよう、どうすればいい?ジーン!) 心の中で彼の片割れを呼びながら、ナルを見つめた。 一瞬、ナルを取り巻いていた空気が、凝った気がした。空気がざわめき、産毛が逆立つ。そしてナルの視線の先にはキャサリンがいた。 何故か嫌な予感に、ぞっと背筋に悪寒が走った。 「駄目ぇぇ!」 (ナルを止めないと!) 麻衣は何も考えずナルに向かって走りだす。 石や、家具がぶつかることも恐れずに、ナルに走り寄り、体当たりした。 バチッ! 「麻衣ちゃん!」 「谷山さんッ」 「麻衣ッ!」 麻衣はナルに触れることすら出来ずに吹き飛ばされ、柱に打ちつけられた。強力な静電気に弾かれたような感触だった。調査でもここまで強い静電気にぶつかったことは無い。 (どんな強力な悪霊なのよ!) 痛みに顔をしかめ、ふらつく頭に手をやる。濡れた感触。手を見ると赤い血がついていた。 「あったまきた!」 何だかよくわからないがナルは今正気じゃない。 なら正気に戻させてやればいい。 そして非力な私に出来ることといったら一つしかない。 麻衣はふらつきながらも立ち上がり、しっかりと足を踏ん張って印を構えた。 「ナウマクサンマンダ・・・」 力を込めて、真言を唱える。ナルの周囲の空気がまた凝りはじめた。それまでに間に合えばいい。 人を傷つけるのは怖い。でもこのままでは傷つけるだけじゃ済まない。ナルが人を壊してしまうかもれない。 その方がもっと怖かった。 麻衣は覚悟を決めて剣印を振りかざして九字を切る。 「臨 兵 闘 者 皆 陳 烈 在 …」 自分ごときの力がナルに叶うとは思えない。でもひっぱたいて正気に戻るくらいの威力があればいい。 (どうかナルの顔に水ぶくれができませんように!) 「前ッ」 気合いを込めて剣印を振り下ろした! (お願いッ届いてッ!) バチィッ!! ナルの周りで青いプラズマが弾け、消えた。 一瞬、ナルの体が感電したように揺れ、ガクリッと崩れ落ちた。 「ナルッ!」 駆け寄って抱き起こすと、うっすらと目を開けたナルと目が合った。 「ナルッナルッ!」 顔を叩いて呼びかける。ナルはちょっとだけ口を動かしたが、音にならないまま、また閉じた。そして意識を失ってしまった。 「ナルッ!」 「診せてくれ」 アレクセイが麻衣をどかしてナルの容態を確認する。突然心臓マッサージをしはじめた。 『救急車を!』 おこぶさまの時と同じだ。過度の力がナルの体を蝕んでいる・・・。 呆然とする麻衣をまどかが抱きしめた。 「大丈夫よ・・・、ナルは絶対大丈夫」 まどかは麻衣と自分を安堵させるように、繰り返し囁いた。背中を撫でてくれる温かな感触に安堵しながら、力尽きたように麻衣も意識を失った。 >>04へ |
2011.10.23発行「彼と彼女の関係Ⅱ」より一部削除して掲載 |
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