最後の日 -02- 

 アレクセイが会食中のナルを見たら
(大荒れどころか台風かも)
 そう言うこと間違いナシの状況だった。
(下らない…)
 そう言い捨てるしかない質問の応答、物見高い意見、彼らが多額の寄付をしてなければさっさと席を立っていただろう。しかしそれを我慢し、失礼にならない程度の無表情で慇懃に応対する。
 二十歳を超えたナルは自分の研究に役立つならと、多少は猫を被ることを覚えた。しかしその皺寄せが周囲に撒き散らされるのが問題だった。
 しかしこれだけなら大荒れで済む範囲だ。
 今回は苦手な親父連中に加えてキャサリンがいた。しかもナルの隣に座り、にこやかに話しかけてくる。あれだけ徹底的に拒絶したのにまだ言い寄るなど良い度胸をしている。不快感をこらえながら苦手な食事をして猫を被り続けるのは大変な苦行だった。
(しかしそれもあと少しだ…)
 最後のデザートを食し終え、話も終盤にさしかかっている。主催者が「そろそろ…」といい出すタイミングだ。
『ではそろそろお開きにしようか』
 主催のキャニンガム氏が言い出し、皆も頷いて席を立ちはじめた。
 ナルはやっと開放されると小さくため息をついて席を立とうとする。
 が…
(!?)
 視界がグラリと回り、テーブルに片手をついてしまう。
『博士?』
『どうかなさいまして?』
 キャサリンが駆け寄り支えるように寄り添った。
 それを片手で拒み、再度立ち上がろうとするが、力が入らない。額から冷や汗が滲むのが分かった。
『顔色が悪い…貧血かもしれん』
『車を呼びましょうか?』
『それよりどこかで休ませたほうが…』
 口々に言う支援者に大丈夫だと伝えることが出来ない。
 急速に視界が暗くなっていくのを止められない。
 調査資料をまとめるため多少忙しくしたし、調査の最後に多少PKを使ったが、貧血を起こすほど体を酷使した覚えは無い。
(一体何故…)
 疑問を考える間もなく、意識が途切れた…。


 * * *

 意識が覚醒し、目に映ったのは薄暗い照明と豪奢なレースのカーテン。どこかの室内らしい。人の住む気配がないので多分ホテルだろう。自分はベッドに横たわっているようだ。背中に柔らかい布団の感触がした。
 立ち上がろうと体に力をこめたがだるくて動かない。意識も紗がかかったようにハッキリとしない。
 一体自分の体はどうしたのか…。

『ご気分はいかが?』

 ドアの閉まる音と共に女性の声が聞こえた。
 首を動かすのすら億劫で、視線だけで声の主を見る。そこには唇を悦に歪めたキャサリンが立っていた。
それで全ての理由が分かった。
『あら怖い。そんな睨まないで下さいな』
 うふふと笑って優雅な仕草でベッドに腰掛けた。
『…僕に何を盛りました?』
『さあ?』
 キャサリンはナルの髪をひと房つかみ、弄んだ。
『言うならば、本能に忠実になる薬、とでも言いましょうか』
 クスクスと笑いながらナルに覆いかぶさり、触れるだけのキスを落とした。
『大丈夫、後遺症も何も残りません。少し気持ちがおおらかになって、ちょっと体に正直になるだけです』
 催淫作用のある向精神薬の類を投与されたのだろう。
 意識が白濁しはじめ、体が熱くなってくる。
 こんな女に好きにされるのは我慢ならない。
 しかし薬の力による強制力は意識レベルで対抗できるものではない。体中が熱くなり、その熱が思考まで支配しようとしている。
『博士も所詮男…、肉欲には逆らえない。素直になったほうが楽ですわよ?』
 体を悪戯に撫で回しながら、自信満々に言う女が憎い。僕をただの男に落とし、自分をレイプさせ言いなりにさせようとしている。レイプの証拠をとるためにどこかにカメラを仕込んでいるだろう。そして事が終わった後に僕を脅迫するつもりだ。
この場合レイプされるのは彼女でも、精神的にレイプされるのは僕のほうだ。僕の意思を無視した行為を強いようとしている。自分の手前勝手な欲の元に僕を平伏させ、精神を蹂躪しようとしている。
男なら当然女を欲しがるとでも?
 それは女の勝手な妄想に過ぎない。性行為にトラウマのある者を全く考慮してないセリフだ。
 僕に直接のトラウマはないが、サイコトメリにより刷り込まれた恐怖は記憶の奥深くに潜んでいる。普段は眠っているが、覚醒作用のある薬がそれらの記憶を引きずりだすだろう。どれも酷い事件の記憶だ。その恐怖に踊らされて自分でもどれほど酷い行為をするか分からない。粗野な性行為を強いるだけでは済まないだろう。
 今ですら目の前のチラチラとシャツを引き裂きたくてたまらない。
(馬鹿な女だ…)
 能力者に覚醒作用のある薬を盛る危険性は心霊学者なら誰だって想像できる。その危険性を度外視し、このような愚行に走った女に同情はしない。薬による自我の開放はすぐそこまで迫っていた。これ以上意思の力で薬の強制力を抑え込むのは難しかった。
(自分がどれほど愚かなことをしたか、その危険を、愚かさを、身をもって味わうがいい)
 ナルは目を瞑り、意識を保つ努力を放棄した。
 
 そして欲望が命じるまま、彼女のシャツを引き裂いた。

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2011.10.23発行「彼と彼女の関係Ⅱ」より一部削除して掲載
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