香る家 -07- 
 女性陣が眠りについた頃、ナルは年長組に昨日の顛末を白状させられていた。
 聞き終えたリンは深い深いため息を零し、アレクセイは心底呆れた視線を送った。
『貴方という人は・・・・・・呆れて物が言えません』
『それで怒らない女はいないぞ?』
『・・・・・・』
 自分が身勝手な提案の打診をしたという自覚はあれど、何故あそこまで麻衣が怒ったのかナルはよく分かっていなかった。黙ったまま眉間に皺を寄せた。
 その顔を見たアレクは分かってないなーと呟いた。
『あのな。子作りに必要なのはセックスだってくらい判るだろ?』
『当たり前だ』
『セックスは男なら大抵の女と出来るけど、女は、特に麻衣みたいに純情な子はよっぽど好きな相手とじゃなきゃ出来ない。経験なけりゃ余計にだ』
『麻衣には過去に恋人がいたが』
『だとしてもデリケートな問題なの!それをお前がしたいならHしてやってもいいぜ?的に言われちゃ馬鹿にされたと怒って当然だ。そんなに自分には魅力がないのかと女心が傷つくぞ』
『そんなことは言っていない』
『言ったも同然だろうが。オリヴァーは合理的に考えて機械的に答えただけだろうが、それに伴う相手への精神的負担を無視してる』
『アレクセイの言う通りです。貴方が誰かと家族になってもいいと思っただけでも評価したいところですが、理由と言い方が最悪です』
『いろいろ面倒だから俺と結婚しないか?お前のこと女として見てないけど一番楽だからな。セックスもしたくねーけど子供欲しいなら協力してやる、なんてどんだけサイテー男のプロポーズなんだよ』
『・・・・・・・・・』
 言い方を変えればアレクセイの言う通りの内容だったかもしれない。確かにそれではどんな女性でも怒るだろう。麻衣は比較的割り切った物の考え方をするが、健全な道徳観念の持ち主で歳相応に恋愛経験もある。そんな彼女がアレクセイのような提案をされれば、馬鹿にされたとひっぱたいて拒否するに決まっている。
 自分は麻衣を馬鹿にしたつもりも、見下したつもりもない。どちらかと言えばその逆だ。結婚の打診をしたとき麻衣は「嬉しいかも・・・」と答えたのだからそれは分かっているはずだ。
 だが最後の言葉は確かに麻衣の女性としての尊厳を無視した発言だったかもしれない。
 考え込む仕草を見せたナルに、アレクセイが『やっと分かったか・・・』と溜息をついた。 
『オリヴァーは好きな子と一緒になりたい。セックスしたいという気持ちが分からないんだな。分かってたらそんな心無いことは言えないだろうに・・・』
『分からないからって、言っていいことと悪いことがあります』
 珍しくリンが語気を荒げて言った。
『谷山さんはジーンとは違うんですよ?』
『そんなのはわかっている』
『わかっていません。貴方は彼女に甘え過ぎています。彼女が傍にいるのを当たり前に考えていませんか?ジーンと違って他人ですし、同じ性別でもない。それを忘れているからそんな暴言が吐けるんです』
『麻衣が女だということは分かっている』
『知ってはいますね。でも理解しているとは思えません』
『そんなことはない』
 体力的にも構造的にも女性と男性では大きく違う。一緒に仕事をする以上配慮するのは当然の義務だ。
『仕事上では理解してますね。でもそういうことじゃありません。もっと個人的な関係のことです』
『何が言いたい』
『谷山さんへの態度です。貴方は彼女の好意の上に胡坐をかいている。偽りの恋人関係といい、今回の提案と言い、人の良い彼女につけこんでいる自覚がありますか?彼女は優しい子です。ナルが本当に困っていたら今回の提案も受け入れてくれるでしょう。その彼女の優しさに貴方は何か返しましたか?何が返せるんですか?』
『・・・・・・・・・』
『これがジーンならお互い様でいいのでしょう。貴方達は貸し借りなど超えた運命共同体のような間柄でした。でも谷山さんはジーンでは無い、家族でもない、他人です。なのに彼女に一方的に負担を強いて、傷つけるような暴言を吐く始末。これではいつか彼女に愛想を尽かされて貴方の元を離れるでしょう。そうなってもいいんですか?』
『・・・・・・・・・』
 麻衣の人の良さにつけこんでいる自覚はある。たまには気を使っているし、麻衣にとって不利益にならなければいいだろうと高をくくっていたのも確かだ。特別に彼女に何かを返そうと思ったこともない。
 その結果、自分に愛想をつかして自分から離れていくのも仕方ないだろう。なのに『別にそれでも構わない』と言うのは何故か躊躇われた。
『貴方は谷山さんを怒らせたのではありません。傷つけたんです。彼女に謝罪して下さい』
 キッパリ言うと、とリンは「機材の様子を見てきます」と言って離れて行った。アレクセイも先に休むため仮眠を取りに行った。
 ベースに一人になったナルは自然と昨夜の麻衣を思い出していた。

 パンッ!
叩かれた瞬間、ナルは何が起きたか分かなかった。
頬の熱さと、麻衣の振りあげた手の平を見て叩かれたと理解した。
 把握した途端、怒りを込めて麻衣を見ると彼女は唇を噛み締めて何かを耐えるような顔をしていた。
瞳は揺れていて、叩かれたのはこちらなのに麻衣の方が今にも泣きそうだった。その表情が不可解で、何かを言う前に彼女は踵を返して自室に引きあげて行った。
(怒らせたのではなく傷つけた・・・)
 あれは傷付いた顔だったのかと、納得したと同時に後味の悪さに、深いため息を吐いた。
(麻衣ならいいだろう)
 恋人関係の時も、昨夜の提案もそう思っただけだ。
 麻衣と男女の関係を結びたいと思った事はないが、麻衣相手ならなんとかなるだろうと、反射的に浮かんだ考えを口にしただけで、麻衣がどう思うかなど考えたことが無かった。
(考えようともしなかったと言うべきか…)
 これではジーンと勘違いしてないかと問われるのも無理は無い。ジーンとは持ちつ持たれつの共生関係が出来ていた。だから何か頼む時に相手の意思を斟酌することはほとんどない。それはお互い様だった。
 その結果、たまに酷い喧嘩をすることがあった。
 麻衣とも喧嘩をするが、それは個人間というより彼女の正義感に基づく事が多く、自分への欲求で怒ることはほとんどない。
 考えてみれば、ジーンの時のように、麻衣が自分に要求することはほとんどない。
明るく強気で物怖じしないように見えて、あれでも日本女性らしい奥ゆかしさを持っている。孤児なせいか人に甘えることも苦手だ。そういうところだけジーンと一緒だ。
ジーンは誰にでも優しく友達が多かったが、本当に甘える相手はほとんどいない。自分がその筆頭だった。
だから自分も好き勝手したし、言った。
だが麻衣はそれをしない。明らかにアンフェアだ。
自分の態度を少しは考える必要があるようだ・・・。
珍しく、己を振りかえるナルだった。



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2011.10.25修正
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