香る家 -06- 
「・・・言われた瞬間、頭の中真っ白になって、気が付いたらナルの顔を思いっきりぶっ叩いてました・・・」

 麻衣が話す内容をまどかは酷い頭痛を耐えながら聞いていた。
 まどかは寝ようとする麻衣を説き伏せて(=言いくるめて)、昨日何があったかを聞きだしていた。途中までは偽装でも誰かと結婚をしても良いと言ったナルにお赤飯を炊いてあげたい進歩だと喜んでいたのだが・・・。
『あんの馬鹿弟子めッ!!!!!(怒)』
 最後のセリフはあんまりだ。夫婦関係を築くつもりはないのに、子供が欲しいなら協力してやってもいいなど、どこまで傲慢な物言いか。
『自分はお前に性欲が湧かないが麻衣が望むなら抱いてやっても良いぞ』
 そう言ったも同然だ。余りにも女を馬鹿にしたセリフだ。言われた相手の気持ちを全く考えていない。ここまで人の心が分からない子だとは思わなかった。いや、この場合は女心と言うべきか・・・。心の底から溜息が出る。
「ほんっとに、研究以外は駄目な子でごめんね・・・」
 本当に申し訳なさそうに言うまどかに、麻衣は首を振って微笑んだ。
「もう怒ってませんから」
「でも・・・」
「ナルは『断る理由が子供なら自分との間に作れば解決だ』って思いついただけで、私を侮辱する気とか、悪気がないのは分かってます。それなのに思いっきり叩いちゃって悪かったな・・・」
「いーえ、叩かれて当然です」
 キッパリとまどかに言われて麻衣は苦笑してしまう。
「でもナルは私が何に怒ったのかすら分かってないと思いますよ?」
「それは有り得るわ・・・」
 更に頭が痛くなる。
「こっちが怒って不満だって言ってもナルは全然気にしない。放って置けば勝手に機嫌が直るだろうくらいにしか思ってないですよ」
「・・・・・・・・・」
 的確すぎるナル予想に、まどかはフォローすることが出来なかった。
「次の日、ナルから何かアクションあるかなーと思ったら何もありませんでした。悔しいくらい、いつも通りなんです。だから腹が立って、あてつけのように『博士』って呼んでみても反応がありません。気にしてるのは私だけなんですよね・・・」
 麻衣は寂しそうな深い溜息をはいた。
「・・・私ってあんな提案されるほど都合の良い存在だと思われてたのかと思うと、なんか情けなくなっちゃって・・・なんだか意地になっちゃいました。現場の空気わるくさせちゃってすいません」
 麻衣はぺこりと謝った。
「麻衣ちゃん・・・無理してない?」
 心配そうなまどかに麻衣はふるふると首を振って否定する。嘘ではない。無理はしてない。ただ、ちょっとだけ脱力感があるだけだ。
 まどかは微笑んで「もう寝ましょうか」と言った。麻衣も「はい」と答えてベッドの中に潜る。
「電気消すわよ」
「はーい」
 室内に暗闇と静寂が落ちた。
「・・・ねぇ麻衣ちゃん、私が研究室のメンバーに日本語が出来る人を集めたか分かる?」
「えっと・・・楽だから、だけじゃないですよね?」
「それもあるけど、危険回避のためなの」
「危険回避?」
「そう。こちらに何年も暮らしてても、死ぬほど驚いたり、大怪我したりすると咄嗟に英語が話せないことがあるの。もし私が危険な目にあってもそれが伝えられないと、私だけじゃなく皆も危険な目に逢うかもしれない。それを避けたかったの。現場では一瞬の状況判断の誤りが命取りになることもあるから」
「・・・わかります」
 ゴーストハントはそれくらい危険が付き纏う仕事だ。
「だから何があっても意思の疎通・情報の共有ができるように日本語の出来る人を集めたの」
「そうだったんですか・・・」
 異国で仕事するということはそういう危険性もあるのかと、考えを改めさせられた気分だ。
「あと日本語に飢えてたって理由もあるんだけどね♪」
「まどかさん・・・」
 先ほどのもっともらしい説明を疑いたくなるくらい、彼女らしいセリフだった。
「だからね、麻衣ちゃん。無理しちゃだめよ?」
「え・・・」
「もしナルの傍にいるのが辛くなって、いざとなった時に手が伸ばせないようになるまで我慢しちゃだめよ。麻衣ちゃんもナルも危険だから」
「・・・・・・・・・」
「その時はちゃんと私が別の研究室に移してあげるから、遠慮なく言うのよ。いいわね?」
「はい・・・」
「私が言いたいのはそれだけ。じゃ、おやすみなさい」
 暗闇の向こうで、優しく笑う気配がした。
(リンさんとアレクさんにも心配かけただろうなぁ・・・)
 心配をかけないためにも、明日はナルとちゃんと話すべきだろう
(でも話したくないな・・・) 
 言って改善されるなら言うべきだが、女心や恋愛の機微に関してナルは本当に分からないらしく、何を言っても全く心を動かす気配が無い。声が届かないのだ。
それどころか拒否反応がある。言うとこちらのダメージのが大きい。心のやわらかい部分を曝け出して、さっくりと切られてしまうのは勘弁したい。
恋愛感情以外は割と分かってる人なのに(行動するかどうかは別にして)、何故それだけ分かってくれないのか。
ナルは女性は理解に苦しむというが、自分から女性を理解しようとしてない。最初から拒絶してれば理解することも出来ないだろう。
(あれは一種の女嫌いじゃないだろうか?)
 そう疑う時がある。
 ナルは女性とは必ず距離を置く。その後の面倒を避けてか、もともと苦手なのか判断出来ないが、必ず一線を引き近づかないよう距離を取られる。純粋に仕事をしてるだけなら平気だけれど、これが色恋の伴った感情を向けられると、途端に拒絶される。
 真砂子もそれで苦労した。ナルは真砂子の事は嫌いじゃないようなのに、恋愛感情を向けられたことで苦手意識が刻みこまれた。他のイレギュラーほどナルと馴染むまでとても時間がかかっていた。
 私はナルのことを男として全く意識しないのは、こういう経過を見ているせいもあると思う。誰しも我が身が可愛い。女として彼を好きになった途端、嫌な目で見られるような相手は本能的に回避してるのかもしれない。
何より男女の情愛に関して、ナルとは共感出来るところが一個も無い。そういう相手には惹かれにくいのだ。

 今回のことも結局分からないのだろう。だったらこちらが妥協してやるしかない。
 無かったことにするのは癪にさわるので、一言でいいから謝らせて私も謝ってチャラにしよう。
 そう決めて瞼を閉じた。



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2011.10.25修正
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