香る家 -05- |
「おっかえりー!」 帰宅すると、能天気な顔の麻衣に出迎えられた。 その能天気な笑顔を見ると、昨日今日の自分の不愉快な出来事を思い出して無性に苛立った。持っていた本を茶色い頭の上にいささか乱暴に置いてやる。ボスッと音がするが気にしない。 「いったいッ!何すんのよ!」 「気にするな。ただの八つ当たりだ」 「八つ当たり反対!」 頬を膨らませて喚かれたが無視した。 「ルエラとマーティンは?」 「ご近所に呼ばれてお出かけしてる。あ、ご飯は出来てるよ!食べるよね!」 正直食欲は無かったが、本を抱えた麻衣が睨みつけるので軽く頷いた。頷かないと本を手放さないだろう。麻衣は破顔してキッチンに消えた。本を手放さないのはわざとだろうか。 ダイニングテーブルに着席すると麻衣が料理を運んできて共に食事を始めた。話し相手が欲しくて待っていたのだろう。こちらが返事しなくてもロンドンでの出来事を好き勝手に話し始めた。 一通りしゃべり終えて締めの紅茶を飲む頃、麻衣がポツリと聞いてきた。 「ところでさ、帰ってきた時すっごく機嫌悪かったよね。何かあったの?」 相手が不機嫌だと分かっていながらしゃべり続けたのだから良い度胸をしている。 「何故そう思う?」 「んー?昨日も今日も休みで煩い私もいなかったし好き放題に過ごせたはずじゃん。なのに不機嫌なんだから何かあったと思うよ。私だったら絶対機嫌良いもんね!」 「お前と一緒にするな」 「そーだけどもさー・・・」 まだ納得せずにこちらをチラチラと見ている。勘だけが良いというのも考え物だ。 「・・・金髪の女」 それだけ言うと、麻衣は「あ!」と声を上げて眉をしかめた。 「心当たりがあるようで?」 「金髪ですっごい美人のキャサリンさんなら・・・」 「確かそんな名前だったな」 「覚えてないんかい」 「必要と思えないので」 後援者の娘だというだけで個人名を覚える必要も無ければ覚えていたい相手では無い。 「・・・しつこく言い寄られたとか?」 「昨夜、後援者との会食にやってきた。今日も現れて勝手なことを喚いてたな」 「あー・・・それはご愁傷様・・・」 麻衣は遠い目をして呟いた。やけに実感が籠ってる。 「麻衣は?」 「え?」 「心当たりがあるくらいだ。何かあったのだろう?」 「・・・・・・ちょっと嫌み言われただけだよ」 「”ちょっと”で済むタイプとは思えないが?」 「まあね。“ちょっと”だけ喧嘩した。でもアレクさんが止めてくれたから平気だったよー」 「何故言わない」 「アレクさんが釘さしてくれたから、もう私のトコには来ないと思ったし・・・」 「・・・・・・・・・」 「それに言いつけるみたいで嫌だもん」 唇を尖らせて言った内容は彼女らしい答えだった。 「後援者の娘は無駄に金と人脈を持っている。そういうのに目を付けられたら厄介だ。嫌でも言うようにしろ」 「・・・らじゃー」 「アレクセイが居合わせたのなら運が良い。彼は貴族の出身だからな。権力を嵩に着るタイプは権力に弱い。もう麻衣には手を出さないだろう」 「え、アレクさんって貴族さまなの?」 「ああ。彼の父親が伯爵だ。彼は次男だから後は継がないが」 「へぇ~、何かかっこいい!」 「何が」 「なんか、ノーブル!って感じで恰好イイじゃん。さすが英国って気がする!」 「頭の悪そうな発音」 「日本英語ですから」 「日本には皇族以外貴族はいないのか?」 「いないねー。華族ってのがいたけど戦争のあとに廃止されちゃったから」 「そう」 能天気に笑う麻衣の顔からは暗い色は無い。本当に大した事は無かったのだろう。 「ふーん、じゃあ私のとこに来れなくなったからナルんとこ行ったんだね。何で最初からそうしないかな」 「見合いの打診を断ったからな」 「そうだと思ったよ」 「何故断られた段階で諦めないのかが不可解だ」 最初から直接自分のところに来れば良いのに何故麻衣のところへ行くのか?麻衣がいなくなれば自分がその位置に座れると勘違いする女性の図々しい思考回路は理解不能だ。 「女だからねー」 「それだけか?」 「うん。それで説明つくもん。女の敵は女なんだよ」 「そう言えばお前も女だったな」 「あんたね・・・男と恋人のふりしたつもり?」 「いや、時々忘れるだけだ」 「嫌みじゃなくて本気で言ってるところがムカつくッ!」 ナルは頬を膨らます麻衣を鼻で笑い、紅茶を飲み干した。 「アレだね、ナルが女性陣のラブコールから逃れる術は一つしかない」 麻衣は行儀悪く人差し指で自分を指さした。 「不細工になること!」 「は?」 「ナルの口の悪さも、根性の悪さも、仕事馬鹿なとこもすべて顔の良さでカバーしてるじゃん。これが不細工だったら誰も見向きしないよ?どんなに優秀でお偉い博士様だって不細工なら女の子はキャーキャー騒がない」 「・・・・・・・・・」 酷いことを言われているが心当たりがあるので無言だ。 「顔に傷を付けるとかは駄目だけど、禿げるとか、太るとか自助努力(?)で不細工になれるよ!」 「却下」 「え~、我ながらイイ案だと思ったんだけどなぁ」 「この顔は支援者を釣るための資源の一つだから損ねるのは得策では無い。少なくともあと数年はな。それに僕は太れない体質だ」 「うっわ嫌なヤツ!それ自慢!」 「事実ですから」 席を立ち自室に引き上げようとすると、麻衣は腕組をしてまだ言い募った。 「あとは偽装結婚するしかないね」 立去ろうとしたナルの足がぴたりと止まり、麻衣を振り返る。 「だって結婚しちゃえば流石にお見合いしろとは言ってこないでしょ?言い寄ってくる9割の女性は諦めてくれるよ。それでも諦めない人もいるだろうけど、きっぱり断っても平気だもん。左手の薬指に指輪すれば牽制にもなっていいよねー」 「・・・・・・・・・」 「でも偽装結婚してくれそうな相手なんかそうそう見つからないから駄目か」 「・・・・・・・・・」 「あ、そだ、来月の誕生日に結婚指輪に見えそうな指輪プレゼントしようか?左手に指輪でもすればちょっとは楽になるんじゃない?」 ニコニコとお気楽な提案をする麻衣に、ナルは呆れた視線を送った。 「駄目?誕生日のお礼に丁度いいと思ったんだけどなー」 「そうじゃない」 呆れたのは指輪のことじゃない。 (こいつは本当に学習能力が無い) ナルは口の端を数ミリ持ち上げ、目を眇めて麻衣を見つめた。研究室で女性に向けたのと同様の笑みだ。 「・・・何か不穏な顔してない?」 キャサリンには効いたが麻衣には効かない。それどころか薄笑いを浮かべたナルに麻衣は寒気を覚えた。 「『Do It Yourself』という言葉を知ってるか?」 「自分の事は自分でしろ!ってこと?」 「少し違う。日本語では『言い出しっぺの法則』だったか」 「あ、それなら知ってる。えーと、『最初に提案した人間が実行するべきである』じゃなかったっけ?」 「そう」 「それが?」 ナルは分かりやすくニッコリと微笑んで言った。 「言い出しっぺの谷山さん、僕と結婚しませんか?」 言われた瞬間、麻衣はポカンと口を開けてナルを見上げた。 「・・・け、け、結婚?」 「そう」 「・・・・・・えーっと、結婚て、あの結婚だよね」 「英語で言えば”Marriage”」 「マ、マリッジ・・・」 頭に『結婚』の二文字が浸透すると、ボンッ!と湯気が湧きでたように麻衣は顔を赤らめた。 ナルは麻衣の様子をちょっと意外そうに見ていた。 そりゃプロポーズの言葉を言われたのだ。しかも相手は見かけだけなら絶世の美男子。赤くならない方が不思議だ。 だが普通の女の子のように浮かれたりしないのが麻衣だ。すぐに現実に戻り顔を青ざめた。 (確か三ケ月前にもこんなやり取りしたな・・・) あれも最初は「私の責任取れ」発言が発端だった。口は災いのもととは良く言ったもんだ。 だがあの時とは違う。今度も言いくるめられたら大変な事になる。だって私の人生かかってるから!目の前に居るのは天使の微笑を浮かべた悪魔のような詐欺師だ! 麻衣はプルプルと首を振って拒否した。 「無理無理無理!偽装恋人ならまだしも偽装結婚までは絶対無理!」 「エアコン付きの僕のマンションに住めるし家賃光熱費その他もかからなくなる。小遣いもやるし三食昼寝付きは保証してやる」 「あんたの部屋は本ばっかで私が住むスペースないじゃん!三食昼寝付きは事務所で扱き使ってやって休憩時間の昼寝を許してやるの間違いだろう!」 「給料には色をつけてやる」 「それは嬉しい・・・じゃないや、好きでもない相手と結婚なんかしたくないやいッ!」 「麻衣に好きな相手が出来れば円満離婚してやる。もちろん慰謝料はたっぷり払ってやる」 「あのね、ナルみたいなスーパー美人さんならともかく、私みたいに普通なタイプに言い寄って来てくれる人なんかそういないの!結婚してるのに彼氏作ってナルと離婚して再婚なんか無理!」 「書類上だけだ。日本では結婚した事を隠して生活すればいいだろう。今とそう変わらない」 「大違いだよ!大体結婚式なんて一生に一回しかしたくないやい!神様に嘘付くのは嫌だ!」 「書類上だけだ、式まではしなくていい」 「嘘だ!英国の結婚は書類提出だけじゃないって聞いたことある!」 それは事実で、英国では教会か登記所で結婚式をしなければならない。しかも国際結婚となると審査員との面会など様々な手続きが必要になる。猿も少しは知恵がついたらしい。ナルは内心で舌打ちした。 (さすがに無理があるか・・・) 麻衣の発言で咄嗟に思いついたことなので、承諾させるにはタイミングも条件も良くない。結婚と言えば一大事だ。簡単に頷きはしないだろう。だが偽装結婚は悪くないアイディアだ。他の女となら冗談ではないが麻衣相手ならさほど抵抗は無い。検討の余地はある。 そのためにも、「冗談だ」と言ってこの場を納めて一旦引こうとした。 だが・・・ 「・・・何で私なのよ」 麻衣が複雑なニュアンスを持って質問を投げかけた。 「ルエラやマーティンが麻衣を気に入っている。特にルエラがお前を娘に欲しがってる」 これは事実。だが偽装結婚なら反対するかもしれない、とは言わずにおく。 「それは・・・私も二人が好きだから嬉しいけど・・・。でもそれだけ?」 「同年代で最も付き合いが長く、周囲も納得しそうなのが麻衣だから」 「それは状況だよね。ナル個人の理由は無いの?」 「・・・・・・・・・」 『僕が麻衣を好きだから』と言えれば麻衣も納得するだろうが、不誠実なことは言いたくない。麻衣のことは傍にいることを許容出来る相手だが、好きかと問われたら疑問だ。 自分と麻衣は、「好き」か「嫌い」かなどの単純な言葉で区別できるほど単純な関係ではない。 「・・・麻衣が一番マシ」 「マシ?」 「偽装結婚でも許容できる相手は麻衣しか思い浮かばなかった」 怒らせるかもしれないと思ったが、正直に答えた。 麻衣は目を瞬かせて、少し笑った。 「・・・それって嬉しいかも。私がそれだけナルにとって身近な存在だってことだよね」 「・・・・・・・・・」 多分、間違ってない感想だ。 「もしさ、ナルが本当に困ってて、誰かと結婚するしか方法がないなら結婚してあげてもいいくらいは、私もナルの事が好き。恋愛の好きじゃないけど」 ナルは「分かってる」と頷いた。 「ナルのことは恋愛抜きならハッキリ好きと言える。腹も立つし、欠点だらけな男だと思うけど、そうじゃないのもよく知っている。案外優しいのも知っている。家族を大事にしているのも知っている。・・・実はさ、ナルと家族になりたいなって思ってた時あるの」 ナルが不意を突かれたような顔をした。 「私はナルのお姉さんになりたかったんだ」 「ジーンと結婚して?」 「そう!そしてジーンと一緒になってナルの不摂生に文句言ったりしながら面倒みてやるの」 「ジーンは人の面倒を見れるような生活態度ではなかったが」 「そうなの?」 「部屋は常に散らかっていたし、時間通りに起きたためしがない。いつも片付けを手伝わされた」 「へー、夢じゃいつもお兄ちゃんぶってたのに」 「口だけだ」 麻衣はくすくすと楽しそうに笑った。 「・・・だからさ、ナルと家族になるのは良いんだけど、良いからこそ嫌だよ。いざ別れなくちゃならないときすっごく寂しいもん」 今の嘘の恋人関係も予想外に心地良い。書類上だけでも夫婦になって、ルエラやマーティンと家族になったら、自分は彼らと離れられない気がする。いざ別に結婚したい相手が出来ても離婚して他人になるなどビジネスライクには割り切れないだろう。 「僕は離婚しなくてもいいんだが?」 「駄目だよ。・・・私子供欲しいもん」 ナルとの家族ごっこは悪くないけど、子供までは望めない。 『好きな人と結婚し、子供を産み幸せな家庭を築きたい』 それが麻衣の夢だ。 自分を愛してないナルが相手じゃ叶えられない夢だ。 ナルは麻衣の言いたい事が分かったのか、思案するように視線を彷徨わせた。 「だからこの話は無しね」 明るく笑って話を終えようとすると、ナルが終わらせてくれなかった。 「・・・協力できなくもないが?」 ナルが何でもない事のように言った。 「は?どういうこと・・・?」 意味が分からず問いかけると、ナルは無表情のまま淡々と答えた。 「機能に問題があるわけじゃない。お前が望むなら協力してやってもいい」 それを聞いた瞬間、体が勝手に動いた。 パシィッ! 乾いた音がリビングに響き渡った。 >>06へ |
2011.10.25 |
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