香る家 -04- |
週末は、ナルにとってとても有意義とは言えない二日間だった。 土曜日は急用の入ったマーティンに代わり、近所で開催しているバザーに行くルエラに付添った。荷物持ちで終えるハズだったのだが、同時開催のガーデンティーパーティに誘われて出席する羽目になった。そこで自分と麻衣のことを揶揄された。 『息子さんがガールフレンドを連れて帰国なさったんですって?』 『まぁ、堅物で有名な息子さんも隅に置けないわね。うちの娘が泣くわ』 『そうなのよ。女の子がいると家が華やいで良いわね』 『あらまぁ、それはよかったわね』 『孫が楽しみですね』 『それは気が早いと思うけど・・・麻衣みたいな娘が出来たら嬉しいわね』 『あら、それは将来楽しみね』 『ほほほほ』 (他人の家庭を肴にして何が楽しいんだか・・・) 嬉しそうに受け答えするルエラが半分以上本気なのが頭が痛い。ルエラと親しい女性ばかりだが、余計な夢想を吹き込まないで欲しいと言いたい。等々言いたい事は多いにあるが、女性の会話に男性が口を挟むものではない。失礼にならない程度の無表情を張りつけて聞き流した。 そしてこの手の話題が好きなのは女だけじゃなく男もだった。 『いや、オリヴァーも男だったんだな。安心したよ』 『可愛い子だよな。今日は連れて来なかったのか?』 『結婚式には呼んでくれよ』 普段ほとんど話したことのない近所の連中にニヤニヤとした顔で話しかけられた。 何故麻衣の事が知られているのだと不思議に思うと 『麻衣は私のお買い物に付き合ってよく近所に行くし、お茶してると自然と顔見知りに会うでしょ?その時に聞かれたから紹介してるだけよ』 『ルエラが余計な事まで話してるのでは?』 『そんなことないわよ?事実しか話してないわ』 『事実?』 『息子が日本から連れてきたガールフレンドですって言ってるだけよ』 『ルエラ・・・』 日本と違い、英国でのガールフレンドは性的な関係のある相手を指す。紹介するならjust friendと言うべきだ。もしくは日本での部下だと言えばいいはずだ。 そう言うと 『あら、貴方がただの部下や友達の女の子を連れてきたと言う方が変じゃなくて?それに形だけでも付き合ってるのだから嘘じゃないわ』 『・・・・・・・・・』 予想以上に麻衣(+ルエラ)の行動範囲は広かったらしい。ケンブリッジは古い街なのでデイヴィス家の昔馴染みがそこかしこにいる。この調子で説明されてたらあっという間に近所に広がるだろう。自分が目立つ存在だという自覚はある。それに尾ヒレをつけて噂されてるのかと思うと頭が痛い。 麻衣は将来SPRに就職してこちらに住むかもしれないのだ。一時の話題で済まないかもしれない。止めて欲しいと言うべきか・・・たかが三週間の滞在だと油断していた。ホテルを取ってまどかに押し付ければ良かったと後悔しても後の祭りだ。 日中、度も溜息をつく羽目になった。 その日の夕方は後援者と会う約束があった。 赴いてみると、会食の場に予定外の女性が同席していた。SPRの重鎮と懇意にしている後援者の娘で、プラット研究所の職員でもあるらしい。正式に自己紹介するのは今日が初めてだが研究所で話したことがあるそうだ。生憎と自分の記憶にはない。優秀であれば自分の記憶に残る筈だからその程度だろう。 『娘は霊感体質で昔からよく視ていたそうだ。来週の調査に参加させてみてはどうだい?』 現場を何も知らない者は好き勝手言ってくれる。どんなに安全そうに見える現場でも時には命に関わる場合があると懇切丁寧(=麻衣に言わせれば慇懃無礼)に説明して遠慮願った。 女性は未練があるらしく尚も言い募ったが、他の後援者が宥めて黙らせた。だから素人と話すのは嫌いだ。その後は程良く有意義な会話が出来たが、何度も絡んでくる女性が煩わしかった。 * * * 日曜日、午前中に届くはずだった本が届かない。 午後になって事故があり届ける事が出来なくなってしまったと連絡が入った。すぐ次の本を手配したが届くのは明後日になるという。来週一杯は調査なので読めるのは週末以降だろう。事故なら仕方ない。不運だと諦めるしかない。 届かない本が来ない代わりに読む論文と本を取りに行くため、午後から研究室に行った。麻衣がいれば取りにいかせるのだが、生憎と昨日からまどかと一泊二日のロンドン見物に行っている。 一応、研究所は土日休みとなっているがそれは建前であって大抵誰かがいた。特に解析チームは土日関係なく調査資料を運び込まれるのでいない日の方が少ない。 だから研究室のドアがノックされても、解析チームのスティーブンか誰かだと思い返事をした。 しかしドアを開けたのは解析チームの誰でもない、昨日の会食の場にいた女性だった。 「こんにちは、博士」 「・・・どうも」 彼女は何故か日本語で話しかけてきた。 ナルが素っ気ない返事をしても上機嫌な様子で満面の笑みを浮かべながら入ってくる。 長い金髪をキラキラと揺らし、歩み寄る姿はモデルのようだ。研究所では服装規定が無い。だからどのような服装をしていても自由だが、明らかに相応しくないと思われるほど胸元の開いたシルクのシャツとヒップラインが美しいタイトなスカート。豊かな胸の谷間にはアクセサリーのようにIDカードが揺れている。その上に白衣をはおっていた。彼女の美貌に相応しく、官能的な装いだった。男なら一度はその胸元へ視線を送らずにはいられないだろう。・・・女に興味がなければ別だが。 彼女は髪をかきあげながらナルに近寄り、密着はせず、しかし話すだけにしては近い距離に立つ。プンッと女物の香水の香りが鼻につき、ナルは眼鏡の奥で眉を顰めた。 「昨夜は貴重なお話しが聞けてとても有意義な夜でしたわ。父も大変満足しておりました」 下から見上げる媚を含んだ目線と絶妙な強弱をつけたハスキーな声、これに心をくすぐられない男も少数派だろう。 「そうですか」 だが全てにおいて少数派のナルは全く頓着せず素っ気ない返事を返すのみ。女も当てが外れたような顔をした。 「またお話しを聞かせて下さいます?」 「機会があれば」 「では今夜はいかがですか?近くに素敵なお店がありますのよ」 「仕事がありますので」 「・・・・・・・・・」 ナルの取りつく島も無い様子に彼女は戸惑った。 昨夜は後援者との集まりだったのでナルは業務用の猫を被っていた。今より二割増しは愛想が良かったので、少しは脈があると勝手に勘違いしていたのだ。しかしすぐ気を取り直して笑みを浮かべた。 「何かお手伝い致しましょうか?」 「結構です」 「でも今日はいつものアシスタントがいなくてご不便でしょう?ぜひお手伝いさせて下さい」 「貴女は僕の部下ではありませんが」 「あら、私だって職員の一人です。博士をお手伝いする義務がありましてよ」 「ならご自分の研究室に戻っては?」 「・・・ッ」 明確な拒絶に彼女は息を飲み体を強張らせた。 言いかえれば「サボってないで自分の仕事場に戻れ」と言ったも同然だ。全く相手にされないどころか邪魔だからさっさと帰れと言わんばかりの冷たい声だった。 (こんな扱いは初めてだわ・・・) キャサリンは屈辱に震え唇を噛みしめた。 完璧な美貌に完璧な肢体、それに加えて完璧な家柄に完璧な経歴。誰がどう見ても美貌の天才博士オリヴァー・デヴィスの隣に立つのに相応しいのは、あの日本の小娘よりも自分だと言うはずだ。大抵の男なら昨日の時点で落としている。でも博士は噂通り女より研究を選ぶタイプらしく、自分に関心を向ける事はなかった。 情欲より研究を選ぶならその方面で責めればいい。 打算的に考えればあんな後ろ盾の無い女より資産家で将来的にも役に立つ私を選ぶ筈だ。十分勝算はある。そう思ってたのに実際は全く相手にされず追い出されようとしている始末・・・。 (私のどこがあの女に劣るというの?) このまま引き下がるわけにはいかなかった。 「あの日本人、マイ・タニヤマと言ったかしら、博士とどのようなご関係か伺っても?」 「既にご存知では?」 「噂通り、ということかしら」 「否定はしません」 「・・・本気ですの?あんな後ろ盾も何も無い平凡な小娘。博士には相応しくありませんわ」 「当人たちの問題です」 「あら、その当人が逃げ出すんじゃないかしら、博士を狙ってる女性は数多いもの」 本に目を落としてたナルが、ふと視線を上げた。 「いずれ博士は英国に帰ってくる。もしその時に連れて来たとしたら、彼女は博士の信奉者と同じ数だけの敵に出迎えられるでしょう。普通の神経の女ならさっさと逃げ帰るわ」 先ほどまで本しか見て無かったナルが視線を上げてこちらを見た。その事に気を良くし、更に続ける。 「彼女は博士のパートナーとして周囲に納得させられるだけの美貌も経歴も頭脳も無い。守ってくれる後ろ盾もない。嫉妬に狂う女は容赦ないですわよ?彼女、さぞ傷付くでしょうねぇ・・・可哀想に」 「・・・・・・・・・」 「博士のパートナーは平凡な女ではつとまりません。身分不相応な相手を選ぶことはお互いの為になりませんわ。博士の為にも、彼女の為にもね」 意味ありげに見つめると、博士は小さな溜息をついた。 (この揺さぶりは有効かもしれない) 手応えを感じて尚も続けようとすると 「・・・あれが本当に平凡な女なら苦労しないんだがな」 「は?それはどういう・・・」 どこからどう見ても平凡な女にしか見えない。普通より多少気が強いくらいか。それ以外に特別なところでもあるのだろうか? ナルはその質問には答えず、広げていた本をパタンと閉じて女を見つめた。 「では参考までに伺いますが、僕に相応しいとはどんな女性でしょうか?」 ナルはゆったりと目を細め、口角をゆるやかに上げた。 それだけで冷たい美貌が色を持ち艶を放つ。その魅惑的な笑みに彼女の視線は釘付けになる。 (なんて奇麗な男・・・) 大理石で作られたアドニス像が人間になり自分だけに微笑みかけてくれたような錯覚を覚える。この冷たい美貌に、笑いかけて欲しいと願わずにいられない。 ここまで奇麗な男は見た事が無い。しかも類まれな知性と才能の持ち主だ。こんな男はどこにもいない。どうしても欲しいと思った。 その眼差しがいかに冷たいものだとしても、見つめられて頬に血が上り、声が上ずりそうなる。そこを耐えて努めて冷静な声を出そうとする。 「博士の頭脳と才能、そして美貌と釣り合う女性ですわ」 そう、私のようにと言わんばかりに胸を張って答えた。ナルはそんな彼女を冷たい笑みで見つめたまま、くつり、と笑った。 「あなたのように?」 「・・・そう言って頂けて光栄ですわ」 冷笑と共に言われても、彼に頭脳と才能と美貌の持ち主だと認められたような気になって勝手に頬が赤らむ。 「ですが、貴女は一番じゃない」 「え・・・?」 「もし貴女より美しく、才能のある女性が現れればどうします?また『博士には相応しくない』そう主張するでしょうね」 「私以上なんかそういませんわ」 自分の実家は有数な資産家だ。そしてこの美貌と頭脳。そうそう張り合える女性はいない。 なのに・・・ 「その程度で?」 「なっ」 鼻で笑うように言われて屈辱に血の気が上がる。 「世の中には貴女より資産家の女性も、美しいと言われる女性も、優秀な女性もいる。貴女以上の女性が現れる可能性はゼロではない」 「それは・・・」 「貴女方は皆同じだ。自分以外で無ければ納得しない。イタチごっこです」 ナルは心底面倒くさそうにため息をついた。 「いっそ、僕が僕と結婚したいくらいだ」 「は?」 「そうすれば誰もが納得するでしょう」 「まぁ・・・その・・・」 突拍子もない発言に咄嗟に何も言えなかった。 聞き様によっては 『自分と同程度の才色兼備な女性はいない』とも 『自分が一番で他には興味無い』ともとれる発言だ。 (博士と博士が結婚する・・・) それは誰もが納得するしかない光景だろう。想像すると妙に納得出来てしまうのが不思議だ。 「お話はそれだけですか?なら退室願います。室内で向かい合うには貴女の香水はキツすぎる」 「何ですってッ!?」 「退室されないなら僕が出て行きます」 薄笑いを張りつけたまま、ナルは彼女の横をすり抜けて出て行った。 ・・・一人残された女、キャサリンは最後まで名前すら呼ばれなかった。 * * * ナルは駐車場に停めてある車に乗り込んだ。 あの女を追い出しても良かったが、香水のニオイが残る室内にはいたくなかった。目的の本と論文は見つかったので用は済んでいる。早々にあの場を立ち去りたかった。 ナルは苛立ちながらハンドルを握り、ため息をつく。 何故こんなにも苛立つのか自分にも分からない。 不躾に近寄ってくる女も、そのニオイも、その話す内容も、全てが気に入らない。 確かに、麻衣は容姿は並みだし頭は悪いし煩いしどこまでも強気で身の程知らずな女だが、平凡では無い。 自分でコントロールできないが自分が認めた能力者だ。現場での幽体離脱の成功率はほぼ100%だ。成人を過ぎてもその能力に陰りは見えない。それどころか伸びている。少し利口なだけの女より余程役に立つし興味深い。さっきの女よりよほどいい。 (それに・・・) 唯一、ジーンと交信できる女。 ジーンと交信できて、僕ら兄弟とラインが繋がるほど波長が近い。そんな女はどこを探してもいない。対外的には平凡でも、僕ら二人にとっては唯一の存在と言っていいだろう。腹立たしいがそれが事実だ。 何にも囚われず、研究だけしていたいのに、周囲は自分を放っておいてはくれない。 ままならない現実に溜息をつかずにはいられなかった。 >>05へ |
2011.10.25修正 |
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