香る家 -02- |
最初に反応したのは麻衣だった。 「麝香の香りがする・・・」 夕方全員でベースに待機している時に、ふいに入口へ視線を向けて言い出した。ベースの扉は開け放しになっているのでそこから香りがするようだ。自分には感じられない。まどか、リン、アレクに視線を送るが皆首を振った。香りを感じたのは麻衣だけだった。 モニターを見るが格別温度の低い場所は現れていない。カメラを設置してない場所からかもしれない。 「何処から香るかわかるか?」 「多分・・・」 ナルの質問に答えるよう、ふらりと麻衣が立ち上がり歩き出した。その後をナルとまどかが追う。ベースにしていた一階の北側の部屋から出て廊下に出ると、麻衣は左右を見て鼻をひくひくとさせ、一瞬考えてから右に進んだ。 (まるで犬だな) 動物並みの野生の勘といい、幽霊のニオイを追う姿といい、猫の手より犬のほうが相応しい。誰にでも懐き尻尾を振る姿が容易に想像できる。そんな大変失礼なことを考えつつ、ナルは麻衣の後を追う。 麻衣は向かう先はリビング。無人で誰もいないはずだった。ドアは開け放しにしている。三人は静かに中へ入った。 中は薄暗く、少し気温が低いような気がした。 「ここが一番強い、かな?」 「あ、ここなら私にも分かる。確かに麝香の香りだわ」 まどかの感想にナルも頷く。かすかにだがナルも麝香の香りを感じたからだ。 「数値はどう?」 「一時間前に測った数値と変わらないな」 ナルが手元の計測器を見て答えた。計測器に現れないなら分析も出来ないかもしれないが、それでもサンプル採取は必要だ。まどかがサンプル採取をしていると 「あ、消えた」 サンプル採取を終えたところで、突然反応が消えた。 「さっきまでしたのに・・・急に消えちゃった」 「残り香も感じないわね」 「僕もだ」 ナルにも感じられなかった。香ったのはほんの一時だった。 「二人は各部屋を回って異常がないかどうか調べてくれ。サンプルもとるように」 「分かったわ」 「了解!」 ナルはベースに戻ってリビングの映像を確認する。すると自分達が現場に向かった頃から反応が出ていた。 「温度が低い場所が、入り口付近から中央に移動してますね」 「麻衣は廊下から漏れたニオイに反応していた。霊はリビングに出現したのではなく、廊下を移動してリビングに移動したのかもしれない」 「廊下にもカメラを設置しましょうか?」 「そうだな」 「分かりました」 クリアな映像ではないが初日なら悪くない反応だ。 「オリヴァー、分析結果が出たぞ」 サンプルを分析にかけていたアレクセイだ。 そちらへ視線を向けると、アレクセイは見やすいよう分析結果の画面をこちらへ向けた。画面に複数の文字が浮かんでいる。その中で一番多い文字は「UNKNOWN」だ。 「正体不明・・・か」 「ああ。臭いは検知してくれるけれど、何かまでは特定出来ない。分析できる臭い物質のデータは全て入っている。既存データに該当しない未知の臭い物質があったということだ。人為的・自然発生の現象とは考えにくい」 アレクセイの言葉にナルも頷く。人為的な現象、もしくは自然発生で起きた香りなら麝香かそれに類する物質が検出されるはずだからだ。 「少なくとも、ニオイを検知出来ただけでも上出来と思うべきか・・・」 「そうだな。これ以上は専門のラボに任せるしかない」 「それまでニオイが保てばいいがな」 「難しいところだな。保ってくれるのを願って、こちらで分析したデータと一緒に送っとくよ」 「そうしてくれ」 麻衣や自分達が感じたのは霊の匂いなのか、それとも霊に接触したことで記憶中枢を麻痺され香りがあったと勘違いしたのか、そもそも霊にニオイがあるのか、これだけでは判別出来ないが資料にはなる。正体不明のニオイ物質が検出できただけでも良しとするしかない。 データを採取しても分析できない現象が多々ある。科学の力に限界を感じる瞬間だった。 「計測終わりました~」 まどかと麻衣が戻ってきた。 「異常は?」 「特に無いです。二階の南側の部屋と手前の部屋がほんの少し香る程度でした」 「それも麻衣ちゃんだけね。私には感じられなかったわ」 「そう・・・」 麻衣から資料を受け取り目を通す。若干温度が低くなってる程度で大した変化は無い。一番反応が目立ったのはリビングで、それ以外はほぼ変わらない。効率よくデータを採取するには場所を絞りたいところだが、依頼人の話では決まった時間や場所はないと言っていた。暫く様子を見るしかないだろう。 「はい、アレクさん。大好きなお仕事ですよ~♪」 「うわーい、嬉しいな♪・・・って言うほど俺は仕事の虫じゃない」 アレクセイは麻衣から渡された採取サンプルの山を見て溜息をついた。仕事は好きだがほぼ結果が分かってる単純作業は退屈だ。それが調査中えんえんと続くのだから溜息をつきたくもなる。 「あはは、頑張って!今目覚ましのお茶淹れるから」 「サンキュ」 「まどかさんもリンさんも飲むよね?・・・博士も」 ナルは問いかける麻衣に視線を送ることで返事をする。視線を受けた麻衣は軽く頷きキッチンに消えた。 ナルはそれを見送ると資料に目を落とし、周囲の視線をシャットアウトする。麻衣の口から『博士』と出るたびに周りの視線が煩い。何故麻衣ではなく自分を見るのか。 麻衣が自分を『博士』と呼ぶのは距離を取りたいという意思表示。昨夜自分は麻衣を怒らせたからだ。 自分の発言で怒らせたらしいのだが、何故あれほど怒ったのか不可解だった。自分に非があったのかもしれないが、麻衣も自分に報復措置をしたのだから謝罪の必要はないだろうとそのままにしてある。 どうせ麻衣は怒りが持続しない。怒って発散し前向きになるのがいつものパターンだ。翌日になれば自分から謝罪なり、怒った理由の釈明があるだろうと思ったからだ。 だが翌朝になっても彼女の態度は変わらなかった。 『おはようございます、博士』 洗面所で対面した時に英語で挨拶された。その後も極力自分と会話しないようにしているのが見てとれた。 両親も変だと感じたのだろう、家を出る前にルエラから『喧嘩したの?』と尋ねられた。返事をせずにいると『こじれる前に早く謝った方がいいわよ?』と溜息をつかれた。まどかもそうだが何故理由も聞かずに自分が悪いと決めつけるのか。とても不愉快だ。 麻衣の機嫌が悪いからといって何か困る事はない。仕事をしてくれれば問題ない。彼女の機嫌が直るまで放っておけばいい。そう思っていた。 だが・・・。 「お待たせしました~」 紅茶の香りとともに麻衣が戻ってきた。皆に紅茶を配り、最後にナルの前に置かれた。 「はい、博士」 無表情に自分の前に置かれた紅茶に口をつける。 香りはいつもと変わらないのに、少しだけいつもより濃く、苦い気がする。これはミルクや砂糖を入れる麻衣やまどかの好みなのだろう。ストレートで飲む自分の好みとは違うだけで不味いわけではない。ただこのような紅茶が出されるのは今までにないことだった。 こんな些細なところで麻衣を怒らせた影響が出ていた。 『博士』と呼ばれたり、慣れない苗字で呼ばなくてはならなかったり、周囲の視線が煩かったり、紅茶を出されるのが最後だったり、好みではない紅茶が出たりした。全て些細なことだ。だが小さいことでも重なれば少々居心地が悪いし、無視もしにくい。 何より麻衣を可愛がる三人が放っておいてはくれないだろう。 (面倒な・・・) ナルはカップの陰で溜息をついた。 >>03へ |
喧嘩してりゃ相手より自分の好みの紅茶を入れるよねーってことで。 2011.10.25修正 |
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