プラット研究所 -02- |
初日、ひたすら教えてもらう事を覚えるので一杯一杯。ナルに散々罵倒される。 二日目、教えてもらった事を実践するので精一杯。ナルに散々罵倒される。 三日目、覚えた事を実践しつつ、少しは要領が掴めてきた。それでもナルに罵倒される。 そして四日目・・・。 「ふん、ふん、ふ~ん♪」 麻衣は何とか怒られずに仕事ができるようになり、午後のお茶の時間を迎えることが出来た。つい鼻歌が出ちゃうってもんさ! ご機嫌でお茶の支度をしていると、先ほどまで電話中だったナルに呼ばれた。 『麻衣、これを映像解析のスティーブンに届けてきてくれ』 『はーい』 用意の手を止めてナルの元に行き、書類とテープを受け取った。スティーブンさんのところは何回も行った事があるので問題ない。すぐ戻って仕度の続きをしようと、麻衣は足早に研究室をでていった。 * * * 『持ってきてくれて悪いね』 『どういたしまして。その、お忙しそうですから気にしないで下さい』 『あはは、むさ苦しくて申し訳ない』 30代後半だろうか、温厚そうなスティーブンさんは無精ひげを撫でながら苦笑した。その目には濃いクマが出来ててすごくくたびれてるように見える。覗いた研究室も書類や機器が散乱しているし、中の人達も生気がないように見えた。皆が無精ひげを生やして目が血走っている。 (うーん、修羅場ってこんな感じ?) 『じゃ、これオリヴァーに渡してくれる?今受け取った分は明日の夕方までに出来るからと伝えてくれ』 『はい、分かりました』 笑顔で受け取ってスティーブンさんに別れを告げた。 私が研修に入る前に、ナルはウィンブルドンの愛しの彼女の元へデータ収集に行っていた。調査じゃないので3日ほどで終わったソレは大収穫だったらしい。帰宅したナルは非常にご機嫌だった。 大変なのはそのデータ解析を依頼されたスティーブンさん達だ。多分、我侭大明神のナルにせっつかれて突貫工事で解析を進めてるのだろう。毎日ここがどーだ、あーだと、私の分からないことで議論を交わしては、解析項目が増えていってるような気がする。リンさんもヘルプに入ってるようで、よくスティーブンさんのところで見かける。 (今度差し入れでも持って行こうかなぁ・・・) 差し出がましいかもしれないが、やつれていく皆さんを見るとお節介を焼きたくなってしまうのだ。 でも今はお昼も碌に食べなかったうちの博士に栄養取らせるのが先かな!と、お茶の支度をするべく足早に戻ろうとすると、 『貴女が日本分室からの研修生?』 女性に声を掛けられた。 振り向くと、豊かな金髪を左に束ね、メリハリのあるボディを窮屈そうに白衣に閉じ込めたゴージャスな美女が立っていた。歳は20歳を少し超えたくらいだろうか、真っ赤な唇とくっきりと弓なりに曲がった眉毛が昔の有名な女優を彷彿とさせた。 女優のごとき美貌に驚いてボーっとしていると 『これくらいの英語も分からないの?』 『あ、いえ、大丈夫です。はい、私が日本分室から来た谷山です』 侮蔑するように言われて慌てて返事をする。 こういうふうに聞かれるのは初めてではない。こちらの人から見ると私は十四・五歳に見えるらしい。そんな子供が研究所内にいるのがとても目立つらしく、珍しげによく見られる。『日本分室の研修生?』と声をかけられることも多い。そうだと認めると、大抵は好意的に日本のことを聞かれた。だけどたまにそうじゃない人もいた。目の前のゴージャスな美女は残念ながら後者のようだ。こちらが名乗っても自らは名乗らず、じろじろとこちらを眺めるのみ。 (またナルのファンかな。面倒だなぁ・・・) 女性が美男子を好むのは世界共通らしい。さっさと立ち去ろうと思っていたら、彼女は突然早口で何かをまくしたて始めた。 その速さと、知らない単語で、何を言ってるのかほとんど分からない。辛うじて漏れ聞いた単語からナルが最近発表した論文のタイトルが聞こえたので、その内容について話してるらしい。論文は読んだことは無いけれど資料集めやファイル整理を手伝ったから覚えている。 美女は私が困った表情でいるのを見ると、ピタッと口をつぐんで艶やかに微笑んだ。 「ふん、この程度の英語も分からないで、よく博士の傍にいられるわよね」 今度は完璧な発音の日本語だった。 私が唖然としていると「失礼」と鼻で笑いながら私の横を通り過ぎて行った。 ここに来てから好奇の視線や女性の嫉妬を含んだ視線にさらされたことはあっても、ここまで悪意のこもった言葉と視線をぶつけられたのは初めてだ。 視線で女性として見下され、自分の英語力不足を指摘され、外国語のハンデを感じさせない完璧な発音で自分との能力の違いを見せつけられた。 悔しいが、一言も言い返せなかった。 本当にナルと付き合っていて、それで女として見下されただけなら言い返せる。恋愛は当事者同士の事で外野が何か言う事じゃないからだ。 でも私はここへ仕事で来ている。 自分でも感じていた知識不足・英語力不足を指摘されたら反論できない。 フィールドワーク研究室でなら英語でなんとか会話が出来ているが、それは彼らが気を遣って優しい単語と速度で話してくれるからだ。あのナルですらそうだ。ナルがスティーブンさん達と話しているのを聞いてもほとんど聞き取れない。スピードと専門用語についてけないからだ。いくら専門用語とはいえ、私はここの調査員を四年以上もやっているのだ。情けなくなってしまう。 それに彼女の気持ちも分かる。こんな未熟な自分が、他の優秀な人たちを差し置いてナルの傍にいるのだ。そりゃ面白くないだろう。 日本では全然実感しなかったけれど、英国に来てナルがどれだけすごいのか目にする機会が増えた。 論文の数、その評価、周りの反応。私達身内じゃない反応が顕著だ。アレクさんや一般の研究員もすごいと思う瞬間があるのに、ナルは彼らに一目も二目も置かれている。ナルの我侭にスティーブンさん達が振り回されるくらい、彼の研究は評価され、実績がある証拠だ。 「やっぱ、すごいんだよねー・・・」 ちっぽけな自分との違いを思い知るばかりだ。コツンと壁にもたれかかってため息をついてしまう。 『麻衣?』 ぽすっと頭に温かい感触がした。 『何こんなところで黄昏てるんだ?お茶の時間だろう』 頭に置かれたのはアレクさんの手だった。大きな手でヨシヨシと撫でられる。ぼーさんほど乱暴じゃなく、けれど優しい感触だった。 『さっきキャサリンと擦れ違ったが何か言われたか?』 (あの人はキャサリンというのか・・・) 皮肉を言われたけれど事実だし話す事でもない。ニヘラっと笑って誤魔化した。 『研修生?って聞かれただけです。もしかして私ってば注目の的ですかね?』 『そりゃ当然だろう。・・・自覚なかったのか?』 『はぁ・・・』 冗談を言っただけのつもりが肯定されて、なおかつ呆れられてしまった。 (えーっと、そんなに研修生って珍しいのかな?) 疑問符を浮かべてアレクさんを見つめると、『ま、そんな余裕なかったか』と言って、また頭をポンと叩かれた。 『さ、戻ろう』 『はい』 仲良く研究室に戻った。 研究室に戻ると、まどか、リン、アレクが揃っていた。 麻衣が給湯室でお茶の支度をしている間、アレクが先ほど麻衣の様子がおかしかったことを報告する。 『聞いたら否定されたが、多分キャサリンに絡まれたんだと思う』 まどかは『困った子ねぇ・・・』と困り顔をし、リンはひっそりと眉間に皺を寄せた。 キャサリンはSPRの有力な支援者の娘だ。去年からプラット研究所の理論チームに在籍している。コネで入った支援者の娘というだけでなく、霊感を持ち数ヶ国語を話し大学もスキップするほどの優秀な人物だ。 ナルの帰国早々、入った時から強力な後ろ盾と自慢の頭脳と美貌で自信満々でナルにアタックをかけているので、ナル目当てで入ったのは間違いないだろう。いつもの如くナルは全く相手にしていないが。 彼女からすればナル目当てでSPRに入ったのに、肝心の博士は殆ど日本から帰ってこない。やっと帰ってきたと思ったら、自分が入れなかったフィールドワーク研究室に日本からの研修生の女がやって来て博士と親しそうに会話している。そりゃ面白くないだろう。 『聞いても答えなかったが、しょんぼり項垂れてたから皮肉でも言われたようだ』 「何も」と笑った顔が強張っていた。人の恋路に口を出すのはご法度だが、見当違いの八つ当たりで可愛い後輩を苛められるなら黙ってはいられない。 『ただでさえ英語の壁で落ち込んでるのにねぇ・・・』 『能力についても、周囲が特異ですから自信が持てないのでしょう』 『麻衣はいろんな意味で自覚が足りないようだね』 『折を見てちゃんと説明した方がいいかもしれません』 『そうね』 麻衣は自分の能力がいかに特殊で破格なものか、全く自覚していない。 過去視に透視、体外離脱を行える能力者。しかも現場ではほぼ100%の確立で発現する能力者など、そういるものじゃない。しかも未だ発展途上で未知数。まどかも最初の頃から「すごい」と評したほどなのに本人は全く分かっていない。周囲が滅多にみられない一級品の能力者と、規格外過ぎるナルなので、自分はいつまでもただのミソッカスだと思い込んでいるようだ。 確かにプロの霊能者としては有能とはいえない。だが被験者として正式に登録し、能力テストを行えば誰しもが一目を置く存在になるのは間違いない。ただナルの意向でそれをしていないだけだ。 麻衣の能力は正式な能力者として記録されてない。 調査報告の中で麻衣の能力で見たもの等が記録されることはあるが、あくまで調査員が調査過程で遭遇した現象として書かれていて、能力者として視たとは書かれていない。調査報告では起きた現象をメインに書くので、能力についてはほとんど触れないからだ。注意深く読み込まないと麻衣はただの調査員としか思わないだろう。だから麻衣をただの調査員だと思ってる者は多いだろう。恐らくキャサリンもそう思い見下しているに違いない。 まどかは、本人に自覚させるためと、周りに納得させるためにも、麻衣に能力テストを受けさせるべきだと思っている。研究者として興味があるのも確かだ。自分がいれば彼女を不快な実験動物扱いにさせない自信がある。昔と違って見世物のような実験は無くなり、今は人道的にデータを取るよう変わってきている。 (でも、ナルは絶対頷かないわね・・・) その理由も、気持ちも分かるので強くは言えない。 それに麻衣が能力者だと認められても、ナルのFANは麻衣に嫉妬せずにはいられないだろう。 『はい、お待たせしました!今日はアッサムティーにルエラが焼いたスコーン付です♪』 麻衣は研究室の応接スペースに紅茶とスコーンとクロテッドジャムとジャムが乗ったバスケットを並べた。 『あら美味しそうww』 『今日は豪勢だね』 甘いものが好きなまどかとアレクは軽い歓声を上げた。リンは微笑みながら黙って紅茶を受け取った。 『アレ?ナルはまだ部屋ですか?』 『ああ』 『呼んで来ますねー』 研究室内には各自の個室が有る。麻衣はナルの部屋に行ってノックした。 『ナルお茶だよー』 『こっちに運んでくれ』 『駄目!あんたまともにお昼も食べなかったんだからこっち来てスコーン食べなよ』 『要らない』 『それも駄目!ルエラが焼いてくれたんだよ!食べなさい!』 『麻衣が食べていい』 『あんたは私を太らせたいのか!ルエラが太らせたいのは私じゃなくてナルなんだからね!』 肩をいからせた麻衣が部屋に入り、憮然としたナルを引っ張ってきた。日本ではよくある光景だが、英国では驚嘆に値する光景だ。 こんな風に天下のオリヴァー・デイヴィス博士をどやしつけて部屋から引っ張り出せる人物がどれだけいることか・・・。 あのデイヴィス博士が自ら雇い入れて傍に置き、当たり前のように”ナル”と呼ぶのを許し、研究室に来ればこのような遣り取りを目撃される。そりゃ注目されるし、デイヴィス博士の信奉者に嫉妬されるはずだ。『彼女は一体何者だ?』『噂の恋人?』『それにしちゃ色気に欠ける遣り取りだが・・・』『親戚とか?』などなど、噂されるのも仕方ない。 麻衣は強引にナルを着席させ、ナルの前にアッサムティーとブルーベリージャムがかけられたスコーンを置き、さあ食べろと睨みつけた。『ルエラ』という印籠を持った麻衣は強い。ナルは渋々ながらも手を付け始める。それをニコニコ見ている麻衣と憮然としたナルの表情が面白い。ドーベルマンが豆柴に吠えられながら餌付けされてるような爆笑モノの光景は何度見ても飽きない。アレクは声を出さずに爆笑している。 『やっぱ麻衣ちゃんてば最高♪』 『ええ、いつも助かってます』 まどかとリンが言っても、本人は『何がですか?』と全く分かっていない。それが少々心配でもあり、このまま何も知らずに済めばと思う気もする。 大人組はあまり麻衣を一人にさせないようにしようと、暗黙の内で同意した。 * * * 帰宅しようとナルが部屋を出ると、机の上で本を広げて何かの作業をしている麻衣の背中が見えた。時計を見ると夜の9時近い。いつもならとっくに帰宅している時間だ。自分の仕事が終わってれば一緒に帰るが、大抵定時で上がらないので帰りは別々だ。とっくに帰ってるものと思っていた。 日本のオフィスならともかく、こんな時間までかかるほど作業を言い付けた覚えは無いのだが・・・。 疑問に思い背後から覗き込むと、論文を綴じたファイルと電子辞書、それに小さな紙の紙片が見えた。麻衣は紙片に一生懸命何かを書いている。この紙片は何と言ったか・・・ 「・・・単語帳?」 「ナ、ナル!?」 麻衣は驚いてパッと振り向き、同時に机に覆い被さって手元を隠した。 「何故隠す」 「な、何となく・・・?」 手からはみ出たファイルを見ると、そこには最近発表したナルの論文が開かれていた。 「これを訳そうとしていたのか?」 「う・・・まぁそうなんですが・・・わかんなくて・・・」 昼間の彼女に指摘されたことは事実だった。 麻衣はナルの直属の部下であるのにも関わらず、日本語訳された書籍しか読んだことがなかった。英語で発表された論文や未訳の書籍は読んだ事がない、いや、読めなかった。読む努力さえしたことがなかった。 これではイカン!と手始めに最近発表された論文を読んでみようと思い立ったはいいが、専門用語の嵐でサッパリ分からない。手元の電子辞書では載ってない単語が多い。そこで分からない単語を書き出して単語帳を作ることにした。こうしとけば後で調べられるし、見やすいし、色々書き加えられるからだ。作り始めたら夢中になってこんな時間になってしまった。 ナルは一枚つまんで読むと、不思議そうに首をひねった。 「隠す必要があるようには見えないが?」 「え、だってさ・・・今更こんなの作ってるなんて恥ずかしいじゃんか・・・」 学校の試験じゃあるまいし、しこしこ単語帳を作ってるなんて低レベルだと笑われそうだと思ったのだ。それに切欠となった昼間の彼女のことは言いたくないので、何となく隠してしまった。 「確かにレベルは低いな」 「どうせねッ」 「だが・・・」 「ん?」 「努力する人間は嫌いじゃない」 「ナル・・・」 驚いたようにこちらを見つめる麻衣にニッコリと笑ってやる。 「もっと努力して早く人類に進化して欲しいものですね、谷山さん?」 「ちょっと!まだ人を先祖と比べるの!?」 「僕には差が分からないものですから」 「ムッカつく~~~ッ!生活能力はナルだって子供レベルのくせして!!」 「お前と違って人類ではあるな」 「~~~、いつかギャフンと言わせてやるんだから!」 「それはそれは楽しみだ」 全く期待してないと言わんばかりに棒読みで言ってやると、麻衣は顔を赤くして「くやしいー!!」と叫んだ。 それを鼻で笑って「帰るぞ」と宣言すると、麻衣はあっさりと怒るポーズをやめて片付け始めた。 「ねぇ、これ持って帰っちゃ駄目かな?」 「その必要は無い。家にあるのを使えばいい。それに家には専門の辞書もある」 「ホント!助かる!英英辞書で調べても分からないのが結構あるんだよね・・・」 「特殊な学術用語だからな。・・・行くぞ」 「うん!」 帰りの車中、デイヴィス博士直々の質疑応答という贅沢な時間を麻衣は過ごしたそうな。 >> 3へ |
20116.11 |
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