プラット研究所 -01- 
 ナルと共に入ってきたのはとても背の大きい人だった。
 歳は30代前半だろうか、軽くウェーブした明るい金髪に緑の瞳、男らしく整った顔、なによりリンさんと同じくらいの長身に逞しい体躯の持ち主で、研究者というよりスポーツマンと言われた方が納得するようなタイプだった。
『初めまして、アレクセイ・アンドリュースです。アレクって呼んでくれ』
 体の大きさに気押された麻衣だが、優しく微笑まれると一気に親しみが増す。声も体躯に相応しく心地よい低さと太さだった。麻衣は頬笑みと共に差し出された手をおずおずと握って自らも挨拶した。
『アレクは医者でもあるの。専門は脳科学よ』
 まどかさんが追加情報を教えてくれた。
『そう。今度君の脳波も測らせてくれると嬉しいね』
『はぁ・・・』
 うわースポーツマンと見せかけてマッドかい!さすがSPR!!と密かに思った麻衣に罪は無いだろう。
『これで全員よ。後は時々ヘルプに入る人がいるくらい』
 室内にはナル、リンさん、まどかさん、そしてアレクさんの計4人。本当だったらここにジーンがいて計5人だったのだろう。そう思うと少し寂しい。
 まどかさんがにっこりと笑って両手を広げた。

『ようこそ!SPRフィールドワーク研究室へ!』


 * * *


 英国へ語学ホームステイしたいと思ってたのは山々だけれど、それには大きな問題があった。
 しょっぱい話だが『お金』だ。
 苦学生の身なので日々倹約して貯金をしてはいるが、海外、しかも欧州へ行けるほど余裕はない。しかも行ってる間は働けないので身入りもない。ダブルで資金難に陥るのは確実だ。
 だから今回の英国行きも反射的に『行きます!』と返事したはいいけれど、電話を切った後にお金はどうしようと慌ててしまった。
 どうしようとどうしようと呟いていたら
「本部で働けば研修という名目で経費で落してやるが?」
 と、ナルから信じられない提案が!
 ポカンと口を上げて驚いてたら「頭だけじゃなく耳も悪くなったか?」と言われても反論できなかった。だってそんな都合のいい話なんて幻聴だと思ったから!もう一回聞き直して「ぜひお願いします」と深々と頭を下げたさ!
 そんなわけで、分室からの研修生として二週間こちらで働くことになった。研修でもいつも通りお給料は出るし、期間中に調査に赴いたらいつも通り危険手当もつく。しかも本格的な英語も学べる。土日は休みなので観光にも行ける。私にとっては願っても無い申し出だった。
(ナルってこういうとこは文句なく寛容だよねぇ)
 こんな風に普段の我侭三昧も水に流せる瞬間があるからずっこいと思う。
 そう感謝しつつ初日を迎えたわけだけど・・・


 * * *


「素直に感謝した私が馬鹿だった・・・」
 八つ当たりだと分かってるし、上司から『ここでは英語使ってね♪』と言われているが、給湯室でお茶を沸かしながら日本語で愚痴を零すくらい許されるだろう。
 私の仕事は日本と一緒、良く言えばアシスタント、悪く言えば雑用係だった。
『麻衣ちゃんは研究者じゃなくて調査員として働きたいのよね?だったらアシスタントとしての仕事を覚えて頂戴。基本、日本とやることは一緒よ』
 普通、ナルほどの研究者なら専属の秘書やアシスタントが付くらしい(今までリンさんがしていたが彼も本来の仕事があるから専属ではない)。でもナルは日本にいるので今までいなかったそうな。私や安原さんが日本でその役割をしてたようなものだ。研究室にはヘルプとしてアシスタントが入る事はあるが、日本でデータが纏められてから送られてくるので、常駐させる必要まではなかったらしい。 
 だから今までと同じかその延長だと思っていた。ナルにこき使われてるのは慣れてる。言われた通りにデータ整理したり、ファイリングしたり、資料出したり仕舞ったり、ときにお茶を出す。実際、仕事内容は日本と一緒だった。
「甘かったよねぇ・・・」
 さすがSPR直属の研究所。いろんな研究室があって広くて迷いそうだし、覚える規則が山ほどある。書類の持ち出し方に許可の取り方に使用方法etc。セキュリティカードを持つなんて初めてだった。日本分室の気軽さに慣れてる自分にはそれだけで疲れてしまう。初めて来た時はモタモタしてしまってナルに『遅いッ』と罵倒されてしまった。
 データの量も半端じゃない。ナルに『○○の資料を持ってこい』と言われてメモを渡されて資料室に行ってもヒットするデータが山ほどあって見つけるのにえらく苦労する。抜粋事項を読んで持っていこうとしても専門用語のオンパレードで分からない。辞書ひきつつやっと見つけて持って行ったらまたもや『遅い』と罵倒された。
 書類整理や目録作りも基本は日本と一緒でも細かな違いがたくさんある。それを覚えるのが一苦労。しかも環境が全て英語だ。もちろんパソコンも英語仕様だ。目録作りも情報検索も英語画面。何をやってもひどく時間がかかる。
 仕事内容は一緒でも基盤が全然違う。同じだから大丈夫!と思いこんでた自分の甘さを思い知らされた。
「あー・・・バイトし始めの頃を思い出す・・・」
 最初の頃は散々ナルに罵倒されながら仕事を覚えた。だから慣れているけれど、慣れない環境で英語で罵倒されるとちょっと凹むのだ。ナルに優しく教えてなどと期待しちゃいないが、もう少しソフトに罵倒してもいいのではと思ってしまう・・・。
 あの頃はフォローしてくれる人がいなかったけれど、今はアレクさんがいるからマシな方だ。今日はアレクさんが付き添って不慣れな私をサポートしてくれた。ただ質問も全て英語でしなくてはならないので少々消耗する。でもナルと違って罵倒もせず根気良く聞いてくれるのでとても助かった。
 でも明日からは一人らしい。安原さんの猛特訓が無ければ今日アレクさんについてくことすら出来なかっただろう。密かに鬼教官と呼んでたけれどとんでもない。東に向かってご免と謝っておこう。
 愚痴を零しつつも紅茶は手早く淹れる。これ以上ナルから叱られたくない。
 いい香りに仕上がった紅茶をそれぞれサーブする。
 リンさんもアレクさんもお礼を言ってくれるけど、ナルは頷いただけ。文句が出ないだけまし。麻衣はヤレヤレと溜息をつきながら紅茶を飲んだ。
『疲れた?』
 溜息を聞いたアレクが心配そうに麻衣へ尋ねた。
 麻衣は慌てて首を振って『大丈夫です!』と否定した。私のために時間を割いてくれたアレクさんに愚痴なんぞ聞かせられない。
 麻衣が否定しても無理してるのは見れば分かる。特に散々ナルから罵倒されてるのを見たのを思いだしたのだろう。アレクは慰めの言葉を口にした。
『誰でも初めての環境じゃ上手く出来ないのが当たり前だから、あんまり気にするな』
『ありがとうございます・・・』
『アレクセイ、甘やかすな』
『オリバーは厳しすぎるからプラマイゼロで丁度いいだろう?』
『リンもいるからプラスだ』
『?まどかさんじゃなく?』

『なーに?呼んだ?』

 席を外してたまどかさんが帰ってきた。
『あらいい香りww 麻衣ちゃん、私にも頂ける?』
『はい!』
 お茶淹れなら自信がある。つい元気よいお返事が出てしまった。
『アレク、セシルがあなたのこと探してたわよ?』
『あ、資料借りっぱなしだった』
 アレクさんは慌てたように席を立って部屋を出て行こうとする。でもちゃんと『麻衣、ご馳走様』と言うのを忘れない。
(うーん、イイ人だなぁ・・・)
 私の教育係として今日は朝からずっと付き添ってくれた。面倒がらずに私の面倒をなにくれとなく見てくれた。ぼーさんに通じる面倒見の良さだ。最初マッドだなんて思ってゴメンなさい。つい背中を目で追ってしまった。 
『うふふ、麻衣ちゃん、アレクみたいなのがタイプ?』
『え!いやいやいやそんなんじゃありませんよッ!』
 つい首を振って否定したが、実はばっちりタイプだったりする。
 面倒見が良くて優しくて、なおかつ年上ってのが私のツボだ。お父さんを早めに亡くした私はファザコンの気があるのは自覚してる。
 でもアレクさんと私は十歳以上も離れてるし、あんな素敵な人に自分がつりあうとは思えない。だから付き合いたいとか大それた望みは抱いてない。ただちょっとトキメクだけだ。好みの男性がいればときめくのは当然である。

『でも彼はだめよ?去年まで赤毛の男の子と付き合ってたから』

 ブッ!!!

『麻衣汚い』
『・・・・・・・・・』

 ナルは眉間に皺を寄せて文句を言われたが構っちゃいられるか。今信じられない言葉を聞いたぞ!?私の耳がいくら悪いからって『BOY』と『GIRL』を聞き間違えたりしない。
『アレクは男の子の方が好きみたいなの』
『ホ、ホントに・・・?』
 まどかさんの冗談だよね?と救いを求めてリンさんを見ると、軽く頷かれてしまった。
『・・・事実です。私が日本へ行く前は黒髪の男性でした』
『そ、そうなんだ・・・』
 単純にカルチャーショックを受けたのが半分、ちょっぴり残念なのが半分だ。アレクさんみたいな大人の男性が自分みたいなのを相手にするとは思ってないけれど、好みの男性に完全に対象外と見られると少し寂しい。微妙な乙女心だ。

『個人の自由だから変な目で見ちゃ駄目よ?』
『は、はい』

 はぁ・・・びっくりだ。

 いろいろと驚かされた初日だった。






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20116.11
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