デイビス家 -04- 

 帰国二日目、ナルは朝早く研究室へ行くことから始まった。
まず面倒な上役連中へ挨拶を済ませた。次にラボに籠って溜まってる書類に目を通し、必要とあれば決済をし、メカニックのラボに顔を出して先日送ったデータの解析状況を確認した。
 久々の帰国なのでやることは山ほどある。気が付いた時には夕食時間をとっくに過ぎてる頃だった。遅くなるから夕飯はいらないと連絡を入れているので問題は無い。このまま泊まり込もうとしたら
 「せっかく帰国したんです。ご両親のためにも帰りなさい」
 と言われ、リンに研究室を追い出されてしまった。民族性なのか、リンは家族が絡むととても強情になる。逆らうのも得策ではないのでそのまま帰宅した。

 * * *

 10時頃帰宅すると、リビングの方から女性の笑い声が響いた。それも二種類の声。少しだけ男の声も混じっているからマーティンもいるのだろう。こんな時間にリビングから大きな笑い声が響くのは珍しい。
 いや、珍しくなったと言うべきか・・・。
 リビングに顔を出すと、ルエラとマーティンが並んでソファで寛いでいた。ルエラの斜め横に麻衣が腰かけている。ルエラの膝の上にはキルトがあり、それについて麻衣とルエラが談笑しているようだ。マーティンはその横で本を読みながら微笑していた。
 既視感・・・。
 それは5年前までは当たり前だった光景。ただ人が一人入れ替わっただけの良く似た光景を毎日のように見ていた。そして自分もその光景の一部だった。自分はマーティンの斜め横にある一人掛けのソファに腰掛け、本を読んだりマーティンと仕事の話をしていた。

 その光景の一部が、こちらを向いた。

「あ、ナル!お帰りなさい」
「・・・ただいま」
 麻衣が立ち上がり、自分を出迎えた。
 それが何の違和感も無く自然で、そのことに違和感を感じた。
 ここは事務所でも、日本のマンションでもない。イギリスの実家なのに、両親の傍らに麻衣がいて、自分と日本語で会話を交わす。かつてジーンがしていたことを、麻衣がしている。そのことに違和感を感じるのかもしれない。

「どーせご飯食べてないでしょ?ルエラが夜食を用意しているよ。出してきてあげる」
 麻衣はこちらが返事する前にキッチンに消えた。
 その後ろ姿を軽くため息をついて見送り、ソファにいる二人へ帰宅の挨拶をした。
『ただいま』
『お帰り、ナル』
『お帰りなさい』
『夜食はサンドイッチなの。食べてね』
『わかった』 
 
 仕事で遅くなるから夕飯はいらないと伝えていても、ルエラは自分のためだけに夜食を用意してくれる。有り難いと思うが、手間だしそこまでする必要はないと思う。
 実際そう言ったら「用意しなくてもあなたが自分で食べてくれるようになったらね」と言われてしまった。そして未だに夜食を作ってもらっているのだから、改善出来ない自分の方に問題があるのだろう。分かってはいても優先順位が低い食への配慮をどうしても忘れてしまう。

「はい」
 麻衣がキッチンからサンドイッチと暖められたミネストローネを運んできた。
 ダイニングテーブルの上に置かれたそれを黙ってつまむ。キュウリとトマトの典型的な野菜サンド。軽いので胃にももたれない。気遣われてるが分かる。
「ナル、お茶飲むでしょ?」
「ああ」
 キッチンから麻衣がポットとティーカップを運んできた。
「こっちは硬水だから茶葉の量とか日本と違うんだってね。ルエラに淹れ方教えてもらったんだよー」
 麻衣は話しながら手慣れた仕草で紅茶をサーブする。
「ほい、どうぞ」
 出された紅茶を受け取ると、ふわりとベルガモットの香りが広がる。アールグレイだ。
「こんな時間まで働いてて、何でお腹空かないの?ホンット不思議」
「逆に食欲を覚えていられる方法を知りたいくらいだ」
「うっわ、ダイエット中の女の子の敵」
「してるのか?」
「ううん、一般論」
 麻衣は自分の分も淹れて僕の前に座る。こちらが尋ねてもいないのに「今日はキングスカレッジ行って礼拝堂見てきたよ」「ガーデン・アフタヌーンティーしてきたんだ~」等、今日あったことを勝手に報告してくる。適当に頷いて相槌を打っているとリビングの方からルエラの笑い声が聞こえた。

『どうしたんだい?』
『いえね、ナルが家でああして誰かと日本語で会話してるのが久しぶりで嬉しくなっちゃったの。しかもその相手が女の子で、すごく自然なんだもの。まるでナルが結婚してるみたいじゃない?』
『それは素敵な想像だね』

 ルエラとマーティンの会話が聞こえたのだろう、「ぶッ」と吹き出す音が聞こえた。麻衣が紅茶を噴出した音だ。
「汚い」
「え、あ、ごめん。いやだって、ねぇ・・・」
 顔が赤い。【married】の言葉に反応しているのだろう。

『夢見るのは勝手ですが麻衣が困ってます』
『あらごめんなさい。忘れてね?』
『は、はぁ・・・』
『じゃ、私達はもう休むから。片づけは自分でお願いね?』
『分かった』

 二人はそう言ってリビングを出て行った。

(だから嫌だったんだ・・・)

 二人が消えた後にため息をつく。
 ナルは麻衣が実家へ滞在するのに抵抗を感じていた。その最大の理由が麻衣と自分の関係を周囲が錯覚するからだ。
 周囲というより、両親とまどか限定かもしれない。自分とジーンに近しかった人間ほど、僕と麻衣の遣り取りにかつての二人を重ね合わせるらしい。リンですらそうなのだから両親とまどかは余計だろう。
 案の定、ルエラは昨日から浮かれている。ジーンがいなくなり、唯一残された息子も遠くにいて傍にいない。普段から寂しい思いをさせてるのは悪いと思っている。そこへジーンと似た雰囲気を持つ麻衣が来た。ルエラと麻衣は気が合うようだから、娘が出来たみたいだと浮かれても仕方ないとは思う。
 だが余計な夢を見られるのは困る。
 自分と麻衣が並んでも兄妹には見えない。兄妹より夫婦の方が自然だし、ルエラが思う人として幸せなあり方に近い。だから結婚など夢みたいなことを思いつくのだ。
 喪われたものを別の何かで埋め合わせよしようとする代償行為は知っている。だが自分には理解出来ない感傷だし、勝手な妄想を押し付けられるのは迷惑だ。
 麻衣はジーンではない。埋め合わせするつもりも代わりにするつもりもない。
 麻衣のほうも同じだろう。
 僕とジーンがどれだけ似ていても、別人だと良く分かっている。ジーン相手のような妙に熱のこもった視線を送られた事は無い。彼女が自分に向ける視線は平温で、言葉は罵倒や呆れた声がほとんどだ。
 どれだけ似ていても別人なのだ。それはお互いが一番よく分かっている。
 麻衣が男なら問題がなかったかもしれない。男なら養子縁組でも何でもすればいい。麻衣と家族になるのはうっとうしいが、反対するほど嫌ではない。
 麻衣が女だから勝手な夢を抱き、面倒が起きるのだ。

(それを利用している自分が言う事ではないか・・・)

 麻衣を見やると、まだ困ったような赤い顔をしていた。恐らく似たようなことを他にも言われたのだろう。
「勉強のために日本語を使わないとおっしゃったのはどこの誰でしたっけ?」
「私です。ナル見たらつい・・・。あ、内緒話みたいで印象悪かったかなぁ」
「別に?二人は慣れてる。ジーンとは日本語が多かったから」
「そうなんだ・・・」
 ジーンとの会話は日本語が多かった。両親の前では英語が自然と出たが、ジーンと二人きりだと自然と日本語が出た。9歳まで日本語での会話が主だったので、脳の基本言語が日本語なのかもしれない。
 食べ終わったので席を立ち、食器を流しに運ぶ。軽く流して片づけを終えると、まだ麻衣がキッチンの入り口に立っていた。何か言いたげな様子に視線で誰何した。

「あ、あのさ」
「何だ」
「・・・ジーンの部屋、見せてもらっていい?」
 なぜ今頃、ジーンの部屋を見る機会は十分あったはずなのに、と思った。だがすぐ、ルエラに聞けなかったのだと思いついた。ジーンと麻衣の関係は詳しく伝えてない。理由を聞かれたら答えられないだろう。
「・・・ついてこい」
「うん!」

 ジーンの部屋は二階の僕の部屋の隣にある。ジーンがいなくなったあとも、そのままに残してある。鍵を閉めてないので、無造作にドアノブを回して扉を開けた。
 中にあるのは自分と同じ間取りの部屋。
 ベッドが一つに、勉強机が一つ、あと本棚があるだけ。ウォークインクローゼットになっているので家具はそれだけだ。自分の部屋にはもう一つ本棚があるのが違うだけだ。もしジーンがいれば確実にこの部屋はひどく散らかっていただろうが、今はルエラが掃除しているので何もかも整然としていた。
 僕にとっては何でもない部屋だが麻衣にとっては何かが違うのだろう。
 声もなく佇み、心なしか震えたようだ。だが泣いてはいない。
 そのまま彼女を残して立ち去ろうとしたら、麻衣が「あのさ」と呟いた。
「もしかすると、ジーンに会えるかなと思ったんだけど・・・やっぱいないね」
 振り向くと薄く笑った麻衣がいた。
「ジーンはいつもどこにいるんだろうね。中有って感じでもないし、ナルの傍ってだけでもないみたい」
「さあな」
「気にならないの?」
「僕の研究テーマにはないな」
「お兄ちゃんのことでも?」
「僕たちは例外過ぎる」
「ナルはとことんリアリストで、公平だもんね」
 麻衣はベッドに腰掛けてこちらを見上げた。
「ね、もう少しここにいていい?」
「好きにしろ」
「ありがとう」
 麻衣はベッドの上に乗り上げて、こてんと体を横たえた。寝るつもりなのかもしれない。
「寝てもいいが涎を垂らすなよ」
「垂らさないよ!失礼な!!」
「どうだか」
 鼻で笑って今度こそ出て行く。

「おやすみ」
「おやすみ・・・」

 扉は閉めずにおいた。
 もし彼女が泣いてもその声が聞こえるように・・・。


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双子麻衣だったら「ベッドで寝転ぶなんて無防備すぎるだろ!逃げろ!!」と叫ぶとこですが、こっちのナルは紳士なので必要無し!一番安全な男の子です。いまのところは(笑)。

2011.4.30
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