「おかえり」 「ただいま」

 リンさんと安原さんに、ナルとの同居生活の様子を尋ねられたので、ある日の攻防を話してみた。
***

「家主さま、お願いがあります」
「何だ」
「パンツくらいは自分で洗って下さい」
「・・・・・・・・・」
「婚約者でも本当の恋人でもない未婚女性にパンツを洗わせるのはどうかと思います」
「僕は気にしないが?」
「私が嫌なの!」
「洗濯機に入れるだけだろう」
「触るのが嫌なの!出来れば見たくもないの!お願いだから分別して!」
「・・・僕の下着は分別ゴミ扱いか?」
「ゴミなら触れるけど、使用済みの男性下着は触りたくないの!」
「・・・・・・・・・分かった」
 すごく憮然としながらもナルは頷いてくれた。

***
 というようなことがあったと話したら、安原さんはお腹を抱えて笑いだした。リンさんは頭が痛いと言うように額に手をやった。
 でもこの話はこれで終わりではない。
「素直に頷いたと思ったらですねー、ナルはどうしたと思います?」
「自分で洗うようになったんじゃないんですか?」
「いいえ、パンツ買ってきたんです」
「は?」
「私が居候する予定分までパンツ一気買いしてきたんです」
「・・・・・・」
「ナル曰く『ちまちま洗濯するのが面倒くさい』だそうです」
「くくく・・・らしいです、ねっ」
「・・・・・・・・」
「あの顔でモノグサですよねぇ~」

 私がナルの家に二週間居候することはリンさんと安原さんには話しといた。どーせ隠してもバレるので、話しといたほうが良いとのナルの判断だ。ただし、ぼーさんは煩いのでバレルまで黙っておこうということになった。
 安原さんに話した時は「そうですか」とにんまりと笑われてちょっと居心地が悪かった。
 リンさんは複雑そうな顔で黙りこみ、何か葛藤した末に「・・・・・・分かりました」と絞り出すようにして言われた。道徳観念の強いリンさんには猛反対されると覚悟したので拍子抜けした。
 そうナルに話したら「僕は信用されてるから」と答えたので、「私への期待の間違いでしょ?」と返してやった。だって、ありもしない可能性の問題点を説教するより、ナルの不摂生改善の方がより建設的だと思って目を瞑ってくれたに違いない。そう言ってやったらまたデコピンされた。なんか面倒になったらデコピンするのが癖になってないか!?

 そんなちょっとした攻防はあれど、居候を初めて一週間、それなりに快適に過ごしている。
 
「へー、三食とも谷山さんが作ってるんですか。それは良かった。夏になると所長はいつも夏痩せされるから心配なんですよ。今年は大丈夫かもしれませんね」
「ナルの食事作りは大変じゃありませんか?」
「そうでもないです。菜食主義で作れるものは少ないけれど、ナルは無頓着だから同じもの続けてだしても怒らないので楽ちんです。私の目が黒いうちは痩せさせませんよ!」
「ぜひお願いします」
 リンさんは安心するように微笑んだ。
(おお、縁起のいい笑顔!私がいる間は不摂生させませんからね!)
 改めて心に誓ってしまう。
「でも所長ってば本や仕事に夢中でご飯食べない時あるでしょう?」
「そうなんですよ~、朝は普通に一緒に食べてくれるんですけど、晩御飯のときはほとんど一緒に食べてくれません。『ご飯だよ~』って言っても半分くらい書斎から出てきてくれない。中に入って声かけても『いらない』って言われてしまいますね。ご飯が余っちゃう」
「仕事や本に夢中になると寝食忘れますからね・・・」
「そういう時はどうするんですか?」
「困った時のラップ巻き作戦です!」
「ラップ巻き?」
「おかずを具にして海苔かクレープで太巻き作ってラップに巻いて突きつけます」
「突きつける?」
「執筆中邪魔すると大目玉食らうけど、読書中はそんな怒らないから、『片手で本読みながらでも食べれるでしょ?』って言って付きつけて強引に受け取らせるんです。そうすれば渋々だけど食べます。受け取り拒否した場合は朝に回します。あと朝は高カロリーなものを出してます」
「お世話をかけます・・・」
「最初はすごい嫌な顔してたけど、短時間で簡単に食べれるのが気に入ったのか、そんなに嫌がらなくなりました。あの分なら恵方巻きも食べるかも」
 ぜひ来年の2月3日にはおしかけて試してみたい。
「ナルは研究以外は極力手を抜きますからね。合理的な物は嫌いじゃありませんよ」
「ラップ巻きは所長向きの良いアイディアですね。松崎さん直伝ですか?」
「いえいえ、麻衣ちゃん発案です!最初はおかーさんの夜食用に考案しました。帰り遅いのに家でも遅くまで仕事してることが多かったから、仕事しながら食べれるように作ってたんです」
 麻衣は母子家庭だった。当然、働いている母は忙しいから、麻衣が大部分の家事を担当していた。ご飯の支度も麻衣の担当だったらしい。
「・・・そうでしたか」
「・・・生活の知恵ですねぇ」
 ほんの一瞬、沈黙が降りたのち、それぞれ無難な返事をかえす。その微妙な一瞬に苦笑してしまう。母が死んだのは随分昔のことなのに、皆はこうして悼む心を寄せてくれる。それが少しだけこそばゆい。皆優しいのだ。

「その調子なら大丈夫ですね。さすが谷山さんです」
「おうともさ!ばっちり食べさせてるよ!」
「同居は賛成できませんが・・・、正直に言えばすごく助かります。このままずっとお願いしたいくらいです。ハウスキーパーとして週に2・3回通うつもりはありませんか?」
「いっそのこと夏の間中同居してしまえばどうです?」
「えーっと・・・」
 リンさんに真剣な顔で頼まれ、安原さんに含みのある笑顔で言われた。
 私は返事に困ってしまい、曖昧に笑ってごまかした。


 * * * 


(居心地、良すぎるんだよねぇ・・・)

 だから、二人の提案に頷いてしまいそうになって困った。
 最上階で日当たりもよく、景色もばっちりなマンション。もちろんエアコン完備で、素敵キッチンも素敵お風呂も完備。しかも洗濯機はドラム式で乾燥機能付きだ。これで居心地が悪いはずがない。
 自分が今まで暮らしてた、エアコンなし風呂なしトイレ共同な部屋との差が激しすぎる。もちろん、それ以上にプライスレスなものがあってあの下宿が大好きなのだけれど、この快適さに慣れてしまうとちょっと恐い。少なくともあの熱帯夜に戻る勇気は無い。
 それに快適なのはこの部屋だけじゃない。

 ガチャガチャ、バタン。

 ナルが帰ってきた。昨日から本国から送られてきた資料にくびったけで、朝から晩までずっとデータと資料に張り付いている。私が先にあがる時もリンさんと数値やらなんやらで話しあっていた。
(今日もご飯は一緒に食べてくれないんだろうなぁ・・・)
 そう思ったので最初からナル用にラップサンドのご飯を作っといた。
 そば粉クレープをつくり、大豆ソーセージにチーズとキュウリとレタスを入れてくるっと巻いた。味付けは甘辛みそとマヨネーズだ。大豆ソーセージの存在はぼーさんから聞いた。高野山で売ってるらしい。他にも大豆で作った手羽先とかあると聞いて驚いた。

 静かな足音がリビングに近づき、オープンキッチンなのでナルがリビングに入ってくるのが見えた。
「おかえりー」
 顔を出して声をかけると、チラリと視線だけくれて
「・・・ただいま」
 ボソリ、とちゃんとかえしてくれた。
 初日は「ああ」だけだったけど、それじゃ寂しい。人間関係挨拶が肝心だ。ちゃんと挨拶だけはしよう!とくどくどと言い連ねたら、次の日からちゃんと「ただいま」と言うようになった。
 でも一言挨拶しただけでさっさと書斎にお籠りしてしまった。
 これはラップサンドも食べてくれないかもしれない。
 そう思っていたら、ナルが書類片手に書斎から出てきた。ソファで読むのかもしれないと思ったら
「麻衣、ちょっとこっちに来い」
「何?」
 言われて近寄ると、二枚の書類を提示され「お前ならどちらを選ぶ?」と尋ねられた。見ると英語で書かれた数値表で私には全く分からない。ほぼ同じように見える。
「えええ~、私は同じに見えるんだけど」
「いいからさっさと選べ」
 不機嫌そうに怖い顔をしたナルが苛々とした声で催促をするので、首をすくめながら嫌々選んだ。 
「・・・こっち」
 何となくこっちかな?と思って、ナルが右手に持つ方の書類を指さした。
 するとナルは「やはりな・・・」と更に不機嫌そうな顔をして私が指さした方の書類を睨みつけた。
 そのまま廻れ右して書斎に戻ろうとするのを、服の裾をひっつかんで阻止する。
「ちょっと待った!仕事に戻る前にご飯食べよ?」
「いらない」
「何だかしらないけど人に協力させといてその態度は無いんじゃない?片手で食べれるの用意したから!資料読みながらでも食べてよ!!」
「・・・・・・・・・」
 一気に言って睨みつけると、ナルは眉間に皺を寄せながらもダイニングテーブルに着席してくれた。
 すかさずラップ巻きした蕎麦クレープとミネストローネをマグカップに入れて出す。ナルはミネストローネを一口飲んで、次にラップ巻きを食べ始めた。どちらも片手で食べれるからもう片方の手で書類を睨みつけたままだ。行儀が悪いが食べないよりか全然良い。
 私はもう済ませていたので、紅茶を飲みながらナルが食べてるのを眺めて(=見張って)いた。
(おかーさんもよくこうして仕事しながら食べてたよなぁ・・・)
 朝ご飯は一緒に食べれたけれど、夜は遅くて一緒に食べれないことが多かった。本当は帰ってくるまで待って一緒に食べたかったけど「先に食べなさい」と言われたので先にすませたけれど、今みたいにご飯を食べるおかーさんに張り付いてアレコレと話しかけていた。
 ナルが食べ終わった頃を見計らって、紅茶も淹れて差し出すと、もう読み終わったのか、書類を横に置いて紅茶を飲み始めた。
「・・・そのラップ巻きさ、おかーさん好きでよく作ってあげたんだよね」
「そう」
「ナルもそういうの好き?」
「嫌いではないが食べにくい。もう少し細くしろ」
「そうすると二本になっちゃう。ナルってば二本目は確実に食べないよね?」
「・・・・・・」
 ただでさえ受け取らせるのに苦労するのだ。二本目までに手を伸ばすとは思えない。一本で最低限の栄養摂取が出来るようにするにはどうしても太くなってしまう。多少の食べづらさは我慢してもらおう。

 そういえば、ナルは私のおかーさんのことを話しても全くの無反応だ。
 これは案外珍しい。
 親の話しが出ると、大抵微妙な空気が流れてしまう。
 おかーさんが無くなったのは随分前だから、話しが出ても寂しさよりも懐かしさが大きい。だから妙に気を使われると、ちょっとだけ面倒だなと思う時がある。

 ナルは数少ない私のお仲間だ。
 お互いに血のつながった人が全くいない。片親がいない人は結構いるけれど、両親ともいなく、親戚の類も全くいないのはそういない。案外貴重なお仲間だったりする。
 そのせいだろうか、おかーさんの話が出ても気まずくなったことはない。
 それどころかジーンの話だってナルになら普通に話せる。
 滅多に会話してくれないけれど、気楽な話し相手でもだった。
 話しかけてもろくに返事してくれないので会話しがいのない相手だけれど、この素っ気なさが、妙に居心地がいい時もある。
 
(ほーんと、居心地良すぎて癖になりそうで恐いなぁ・・・)

「あ、そういえば、さっきの書類は何だったの?」
「データ値改ざん疑惑」
「へ?」
「あの値だとどうしても無理がある。一枚はそのまま、もう一枚は僕の予想数値を記入したものだ。お前が選んだのは改ざん疑惑が有る方。恐らく間違いないな」
「はぁ・・・」
 麻衣の能力にサイミッシング、緊張下で選択を強いられると常にスカを掴むという悪癖というか特殊能力がある。
 こんな時でも発揮されるとは意外だった。

「お前は無意識の方が役に立つな」
「・・・その言い方ヤダ。無意識部分とって」
「事実は受け入れるべきでは?」
「どーせね・・・」
 いじけていると紅茶を飲み終わったナルが席を立った。
「また仕事?お茶持ってく?」
「ああ、頼む。ごちそうさま」
「・・・お粗末さまでした」
 
 ナルは「おいしかった」「コレが好き」とか感想は全く言ってくれないけれど、「ごちそうさま」は言ってくれる。「おはよう」「おかえり」「ただいま」も言ってくれる。この一人だと出来ない挨拶を交わせるのが嬉しい。
 一人じゃない。
 それが何よりも居心地が良い原因だったりする。

(困ったなぁ・・・。癖になりそうだ)



>> 「おやすみ」


何でも気にせず話せる相手は貴重です。麻衣はなかなかいないだろうねー・・・。博士は誰とも会話する気がないだろうから関係なし。

2011.2.20
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