IKURA



「美味そう・・・」

 テレビで『秋の味覚特集in北海道』がやっていて、それを見た時任の呟きだった。テレビ画面ではこれでもかというくらいイクラの醤油漬けがのったイクラ丼をタレントが美味しそうに頬張っていた。

 確かに美味そうだ。

「久保ちゃんこれ食いたい!」

 案の定、目をキラキラさせて時任が言ってきた。かつお節を前にした猫みたい。

「じゃ今度北海道行く?」
「寒いとこはパス」
「お前ね・・・」
「どっかで北海道フェアとかやってねーかな」
「聞いたことないね」
「むぅ」
「探しとくから」
「ぜってーだかんな!」

 我ながら甘いなあと思うけど時任のお願いは全部叶えたくなるんだよね。
 お取り寄せとかもあるしなんとかなるだろう。
 それに明日は鵠さんとこ行くからどっかに良い店ないか聞いてみよう。


 * * *


 その翌日、俺はスーパーに来ていた。

 鵠さんに聞いたら『ここらへんじゃイクラ丼食べられるとこはないですからお取り寄せしかないですね。でもそれより自分で作ったほうが早くて美味しいですよ』とのことだった。

 作るって選択肢があったとは思いつかなかった。最近は北海道から新鮮な生のイクラが大きなスーパーでは普通に買えるらしい。試しに行ったらホントにあった。作り方もチラシで書いてあるし、タレも付属してるのでこれなら俺でも作れそうだった。

 面倒だけど、まあいっか。

 特大サイズの生イクラを買って帰ることにした。


 * * *


「お帰りくぼちゃんッ」
「ただいまー」
「何買ってきたんだ?」
「イクラ丼のモト」
「マジ!?」
「といっても、モト自体もこれから作るから食べれるのは当分先だけどね」
「作る?あれって家で作れるんだ・・・」
「みたい」

 早速作るべくキッチンに向かう。
 どういうふうに作るのか興味があるのだろう、時任も一緒に付いてきた。

 袋から生のイクラを取り出す。

「ふーん、これがイクラ丼のモトか・・・」

 しげしげと生イクラを眺めていた。

「なあ、これって何なんだ?」

 何だか知らなくて食べようとしたの?
 でも普通は寿司のイクラは食べたことあっても筋子は見たこと無いか。

「鮭の卵、ホントは生筋子っていうらしいよ」
「鮭の卵・・・」
「この卵の塊をほぐして醤油漬にするとイクラ丼にのせるあのイクラになるわけ」
「ふーん・・・」

 説明しながら準備をする。まずは塩がちょっと入ったぬるま湯を作る。

「そのお湯どうすんだ?」
「この中で卵をほぐすの」
「ふーん・・・」

 湯が出来たのでボールに移し、生筋子を入れて表面の薄い皮を破り、卵を引き剥がしていく。卵と卵はくっついていたがやんわり触るとすぐほぐれて別々となる。

 時任を見ると興味津々って顔をしていた。

「やってみる?」
「・・・止めとく。でもちっと触らして」

 時任が左手をボールの中に突っ込んできた。右手だと卵を壊してしまうと思ったのだろう。お前ってば繊細だよね。

「ふわふわ柔らかくて面白い感触なのな」
「そうね」
「なあ、この膜みたいなの何だ?」
「人間で言うなら羊膜みたいなもの、卵を育成するための母親のお腹にある袋のこと」
「ふーん」

 考えてみればグロテスクな光景だ。

 腹から卵を引きずり出して羊膜を引き裂き卵を剥がしてるのだ。

 ボールの中は破れた卵の体液で赤く染まっていた。

 お産のときの血のようだ。

 その中に時任の手が沈んでいる。

 それはまるで血の中に投げ出された手のようで・・・

 ふとその手を握る。

「?何だよ」
「んー・・・なんとなく」

 握った手はあたたかかった。

 ぬるま湯は冷めていて時任の手のほうがあたたかい。

「久保ちゃん?」
「・・・何でもない。さっさとやんないとイクラが悪くなっちゃうよね」

 手を放して作業を続行する。
 
 全てほぐれた卵をかき回し水面上部に破れた皮が浮き上がる。これを捨ててまたぬるま湯を入れて破れた皮を浮き上がらせて捨てる。あらかた皮がとれたらザルの上に布巾をしいてそれにイクラをあけて水切りをする。暫く放置して水分を落とした後、入れ物に入れて上からタレをかける。

「これで食えるのか?」
「いや食べれるのは明日の朝」
「ええええ!そんなにかかんのかよ!!」
「イクラの醤油”漬け”っていうくらいだから漬け込まないと味が染込まないらしいよ」
「ちぇー・・・んじゃ夕飯何食うんだよ」

 時任が唇を尖らせながら文句を言った。

 口の中が見えて赤い舌がのぞく

 赤・・・

 あーやばい、なんかスイッチ入っちゃった。

「久保ちゃん?」

 無言で時任の頭を抱き寄せて

「んぅ・・・」

 時任の唇を貪った。

「今夜の夕飯は決定したから」

 宣言して時任の手をとって寝室の方へ連れて行く。

「ちょっなに急に盛ってんだよ!!」
「何となく」
「俺は腹減ってんだってば!放せよ!!」
「大丈夫、ちゃんと満たしてあげるから」
「お前の満たすはシャレにならねー!俺は”腹”を満たしたいんだって!」
「俺はどっちも満ちるけどねー」
「///さらっとエロいこと言うんじゃねー!」

 いつもより抵抗が激しいがなんなく連行していく。



 食欲と性欲はとても近い。
 生への執着、種の保存、どちらも根本的な本能に基因しているから

 どちらも薄いと思ってたけどそうでもないらしい

 時折り無性に欲しくなる

 食欲に紛れて飢えを満たそうとしているのか

 性欲に隠れて不安を誤魔化そうとしてるのか

 どちらともつかないこの衝動

 でもどちらも生きていくのに必要なのは確かで

 そういうときは本能に逆らわず思いっきり食べることにしていた。



 ぎゃーぎゃわめく時任を寝室に強引に連れ込み

 扉を閉める。



 あとはおなか一杯になるまで、食べるだけだった。



 * * *



 翌朝というより昼、まっ白いご飯を炊いてどんぶりによそい、たっぷりのイクラの醤油漬けをのせてイクラ丼を作った。そしてまだベッドから出てこない時任へお盆にのせて持って行く。

「時任〜イクラ丼食べない?」

 ご機嫌ナナメな時任を懐柔するように猫撫で声でお伺いをたててみた。

「・・・食う」

 お腹が減っていたのだろう、身を起こして受け取りガツガツと食べはじめた。

「ど?美味しい?」
「・・・・」

 あ、睨まれた。

「・・・美味い」

 かすれた声でそう言ったきり、また食べ続けた。

 イクラ丼だけじゃご機嫌はなおらないらしい・・・。


 うーん、ちょっと食べ過ぎたかも


 満腹した自分勝手な男はちょっとばかり反省した。


 一方、付き合わされた方は


『もうイクラ丼食いたいなんて言わねー!』


 心の中で叫んでいた。


 何事も腹八分目が良いようです。





(終)
 
久保ちゃんて何事にも時任を優先するけど、どっかスイッチ入ったときだけは傍若無人にしそうだなと思うのです。そしてそのスイッチの入り方はとても不規則で突然っぽい。その不規則さをイクラのしょうゆ漬けを作っててほぐしてるときボールが真っ赤になって『血みたい』って思ったのにつなげて表してみました。ホントは久保田が暗くなるだけで終えようとしたけどそれじゃ可哀想になったからこうなりました。いつも時任が犠牲になるのねうちのssは・・・ごめんよう!
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