らっきょ
「腹へった…」

 一週間、缶詰になって仕上げたゲームを指定サーバーへ納品し終わって、まず感じたのが空腹だ。
 最後に食べたのは何時間前だっけ?記憶がない。下手すると20時間以上何も食べてないかもしれない。
 のそりと起き上がり冷蔵庫へ向かう。扉を開けるが、やはり何もない。見事に空だ。缶詰する前に買い込んだ食品は全て食い尽していた。
 仕方ない、出前でも頼もう。もう11時だがチェーン店のピザなら夜中の1時までやっている。コンビニへ買いに行くにはこの二日間着っぱなしの服を着替えなきゃならないし、風呂にも入らなければいけない。このまま出掛けられるほど人生投げてない。出前なら来る間に身づくろいが出来る。何より疲れきってて出掛ける気分じゃない。
 注文するために、邪魔をされるのが嫌で数日前から切っていた携帯の電源を入れる。すると不在着信とメールが次々に届いた。面倒だがザーッと目を通す。大半が仕事関係、大学の友人が数件、母さんからもあった。あと健二さんからもメールが一通届いていた。
 健二さんには暫くごはん食べれないと伝えてある。健二さんと最後に会ったのは、缶詰になるまえだから2週間くらい前か?その前が週に一・二回会っていたので随分久しぶりな気がする。健二さんのメールを開けてみた。

『佳主馬くんへ
 郵便受けがすごいことになっていたので一旦僕が預かってます。新聞と手紙以外は捨てたけどいいよね?
 あと宅配便の不在表が入ってました。生ものだったし、送り主が聖美さんだったので、連絡して僕が受け取って預かってます。終わったら連絡下さい。では頑張って』

 あ、新聞止めとくの忘れてた。
 一人暮らしをしてから初めての缶詰なのでそこまで思いつかなかった。
 郵便受けは1Fのエントランスにある。この一週間一歩も外に出てなかったので一度も取りに行ってない。健二さんはどんどん溜まっていく新聞やチラシを見かねて、整理してくれたんだろう。
 実は僕と健二さんはマンションの上下に住むご近所さんだ。
 東京で一人暮らしする際、住む場所は健二さんの近くがいいなと思ってたら、運よく健二さんのマンションに空き室がでたのでそこに決めてしまった。ここは駅からそこそこ近く、2LDKでそこそこセキュリティがしっかりしている。学生が住むにはちょっと贅沢だけれど、仕事も抱えた自分には丁度いい。13歳の頃から続けている仕事のおかげで、僕は多少小金持ちになっていたから支払に問題ない。一部屋を事務所として使ってるから経費で落としていた。
 メールの日付は一昨日。生ものなら早く受け取りに行かないと・・・。
 この時間ならまだ起きてるから電話してみることにした。
 RRRRRR…、RRRRRR…、RRRRRR…、ピッ
『あ、佳主馬くん?』
「健二さん、今大丈夫?」
『平気だよ。メール見てくれた?』
「うん、いろいろありがとう」
『いろいろなんて、ただ荷物と郵便物受け取っただけだから』
「でも助かった。ありがとう」
『どういたしまして』
「生ものだから早く受取に行きたいんだけど、今から行っていい?」
『いいよ』
「じゃ、これから行く」
 健二さん相手なら多少汚い恰好でもいいか。そのままの恰好で健二さんの部屋へ向かった。


 ピンポーン♪
 ガチャガチャ
「いらっしゃい」
「遅くにごめんね」
「全然平気。あ、荷物これね」
 玄関先に置かれたそれは、山と積まれた一週間分の新聞と郵便物、そしてスイカ大のダンボール箱。思った以上に大きい。
「大きい。何が入ってるんだろ?」
「生ものだけど日持ちするから大丈夫だって聖美さんが言ってたよ」
「ふーん」
 持ち上げてみると重い。振ってみると重心がずれるので、瓶か何かが入ってるっぽい。
「食べ物だよね。何が入ってるのかな?」
 健二さんがキラキラキラした目でこちらを見ている。
 『食べたいな』と顔に書いているみたい。
 だから、つい「うちで食べる?」と言ってしまった。
 健二さんは「うん!」と非常に良いお返事がかえってきたので、そのまま家に移動することになった。


 荷物の中身は母さん手製のらっきょの醤油漬けだった。
 ご飯が進むし、酒のつまみにもイイので、我が家で毎年漬けている。僕の大好物なので母さんが送ってくれたんだ。
「へー、らっきょって自分ちで漬けられるんだ」
「そんな難しくないし、4月か5月に漬物用の芽が出たのがスーパーで売ってるよ」
「そうなんだ」
 らっきょは買うもんだと思ってたらしい。自分の家で作れることにしきりに感心している。毎年うちでは漬けてるので、僕は誰の家でも漬けるんだと思ってた。
 このまま食べても腹はふくれないし、後で大変なことになる。冷蔵庫は空だけど米はあったので、ご飯を炊くことにした。
 空腹の限界に来てるので、米を3合研いで炊飯器に入れ、早炊きコースでセットした。これなら30分で炊きあがる。ご飯だけじゃ寂しいので、お湯を沸かして粉末のカツオ出汁を入れて味噌を入れる。具はナシ。ただの味噌スープだ。
 僕がご飯の用意をしてる間に、健二さんは僕の部屋の片づけをしてくれた。
 缶詰明けの酷い状態なので、ちょっとした”汚”部屋になってたからだ。
 資料の本やディスクが散らばってるのはまだいい、机の上には乾いたコーヒーが底にへばりついたカップか缶が転がり、ゴミ箱から溢れた食べ終わったコンビニ弁当やカップ麺の残骸、床には書きなぐった紙や着替えやら何やらが散らばっていた。
 いくら長い付き合いでもこんな汚い部屋を見られるのは恥ずかしい。荷物預かってもらったお礼にご馳走するつもりだったけど、それは片づけた後の予定だった。
 僕の部屋の惨状を見た健二さんは「うわー…」といつものニコニコ顔を固まらせていた。でもそれは同じ理系男子、似たような状況になったことは何度もあるらしい。動じずに汚部屋の中へ進み、サクサクと片づけ自分と僕がご飯を食べるスペースを確保していった。
 30分後、ご飯が炊きあがる頃には食事してもいいくらいの部屋になっていた。

「「いただきます」
 ご飯と具ナシ味噌汁とらっきょのみという寂しい食卓。
 でも空腹な僕には十分だ。それにらっきょはご飯によく合う。
 らっきょを一つつまみ、ご飯の上に乗せ、ご飯と一緒に口に入れる。
 咀嚼するとポキュッとらっきょが弾け、口の中で混じる。米と醤油とらっきょの相性は抜群だ。とにかく美味い。すぐに次が食べたくなる。らっきょさえあればご飯3杯は軽い。
 健二さんも「おいしい!」と言ったきりモリモリと食べている。
 夢中でバリバリ食べているとあっという間にお茶碗が空になる。
 お代わりをしようと席を立つと、「あ、僕も」と言って健二さんもついてきた。
 一杯目も大盛りだったけど、二杯目も大盛りにする。もりっとよそってしゃもじでぺんぺんと叩きたくなる。健二さんに「漫画みたい」なんて笑われた。まだまだ食べざかりなんだから放っといてよ。自分の分をよそったので、しゃもじを健二さんに渡す。
「健二さんがお代わりなんて珍しいね。お腹空いてたの?」
「うん、昼から何も食べてなかったから」
「また?ちゃんと食べなって」
「大学出るの遅くて…近所の定食屋も閉まっててさ、食べ損ねた」
「コンビニで弁当でも何でも買えばいいでしょ」
「コンビニ弁当って好きじゃないんだよね、コンビニおにぎりも」
「何でさ」
 そういえば、健二さんはコンビニで飲み物やお菓子は買っても、お弁当やオニギリを買ったとこを見た事がなかった。健二さんみたいな料理をしない一人暮らしの男には、あれほど便利でお世話になってる場所は無いのに変な話だ。
「食べ飽きたから。昔さ、朝から晩まで3食コンビニでご飯食べてたから」
「朝から晩までって…」
「それなりに美味しいけど、食べ続けたらいい加減嫌になるんだよね」
「それっていつの話?」
「中学のころ。うち給食なかったから」
「何ソレ」
 信じられない。それってお母さんがご飯作ってくれなかったってこと?
「高校に入ったらコンビニ飯じゃなくなったな。佐久間がいたから二人で買い食いしたり、ラーメン食べたり、ファミレスでだべって夕飯済ませてたし」
「………」
 それって高校に上がってもほとんど家でご飯を食べてないってことだ。
 中学からって何年だ?
 もしかして小学生からそうなのかもしれない。
 そんな酷い話ってない。
 そんな親が本当にいるなんて。
 そんな親が健二さんの親だなんて。
 何も言えず健二さんの顔をじっと見つめてしまった。
 僕の視線に気づいた健二さんは、こちらを向いて小さく苦笑した。
「ちゃんとお金はもらってたから、ひもじい思いはしたことないよ?」
「そういう問題じゃない」
「うん、そうだね。でももう過ぎたことだから」
 健二さんは笑いながらしゃもじでご飯をよそった。
 ねぇ、そんなご飯よそいながら笑って話すこじゃないんじゃない?
 僕からしてみれば全然笑えない話だ。
 健二さんの両親は健二さんが成人した年に離婚したそうだ。お父さんは海外へ、お母さんはより仕事場に近い場所へ引っ越したらしい。健二さんが家族で住んでた場所に一人残されて、一人で暮らしを始めたのは三年前だ。
 三年で、健二さんの中では既に決着がついてるのかもしれない。だったら僕が何か言うことじゃないかもしれない。
 でも、何かしゃくぜんとしない。
 まだ、飲み込めない。
 飲み込むには大きすぎる。
 健二さんから視線を外して、俯いてしまう。
「あー、また唇噛んでる」
「へ」
 むにっと頬をひっぱられた。
「佳主馬くんてさ、何か嫌なことあると下唇噛む癖あるよね」
「・・・そうかも」
 下唇を噛むのを止めたら、健二さんはぱっと手を離してくれた。
「そんな顔することないよ。今はね、こうして家でご飯食べれるからいいんだよ?」
 立ち上るご飯の湯気の向こうで、健二さんがにこりと笑った。
 無理のない自然な笑みだった。
 四歳差を感じるのはこんな時だ。
 普段どんなに情けなくても、子供っぽくても、やはり年上の大人なんだと。
 いつまで経っても追いつかない差。
 お兄さんと認めるのはちょっと癪だけど、この人はお兄さんなんだ。
 身長が低ければ「よしよし、大丈夫だよ」と頭を撫でられたと思う。出会ったあの頃のように。
「・・・ここは健二さんちじゃないけどね」
「空気読まないなー」
 健二さんはまたモリモリとらっきょを食べ始めた。
「あ、そんなに食べると明日大変だよ」
「何が?」
「市販のらっきょと違って強いし生に近い。吐く息らっきょ臭くなるし、オナラとかすごい出るよ」
「え、そうなの?」
「うん、しょっちゅう鳴るから。僕は明日休みだからいいけどね」
「そういうのはもっと早く教えてよ・・・明日教授達と打ち合わせなのに・・・」
「ごめん、忘れてた。もう食べるの止めとけば?」
 でもお代わりしたご飯はまだ半分以上残ってる。
 らっきょもまだたくさん目の前にある。
「・・・止めない」
 らっきょをじとっと睨んで、でもまたパクリと食べてバリバリ音をさせた。
 美味しそうな音だった。

 一日で瓶の半分は食べてしまった。
 母さんが送ってくれたのは一人分
 でも食べるのは二人
 さあ、いつまでもつだろうか?


END


二人で頻繁にご飯を食べ始めたきっかけ・・・かな?時期が適当です。
私は一日に4粒まで!と決めてます。

2010.5.11
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