水軍鍋 |
今日は師匠から魚介類が送られてきたので水軍鍋にしよう。 もう初夏だけれど、鍋は簡単なくせに美味しいし、たくさん野菜が食べれるので不規則な食生活をしている健二さんと食べるにはぴったりだ。 水軍鍋は蛸を入れた魚介鍋だ。「八方敵を食う」と言われる蛸を入れた魚介鍋を、村上水軍が戦前に必ず食べたらしい。だからうちでは蛸を入れた鍋を水軍鍋と呼んでいる。 鍋に魚と蛸と野菜を入れて昆布で出汁をとる。具材が煮上がったら味噌を入れて味をととのえる。僕はちょっと濃い目が好き。健二さんはあんまり好みがないので、いつも僕の好みで仕上げる。ひと煮立ちさせれば出来あがり。 「運ぶよー」 よいしょっと持ちあげて、リビングに運ぶ。 僕のうちでご飯を食べるときは、僕が料理を作り、健二さんが食器の用意をする。 料理が出来ない健二さんと僕との間でできた自然なルールだ。 健二さんは一人暮らしのくせして驚くほど料理が出来ない。 包丁を持たせたら指を切るし、皮をむかせたら中身がなくなる。肉を焼かせれば焦がすし、鍋の番をさせれば拭き零した。そもそも料理センスというものが無いっぽい。 というか数学以外はみんなそんな感じか。 食器を並べ終えて、テーブルで待つ健二さんの前にお鍋を置く。 蓋を開けると、ぼわっと湯気があがり部屋中に味噌と潮の香りがひろがった。 「いいにおい。おいしそうだね」 湯気の向こうの健二さんはニコニコと嬉しげだ。 料理はしないけど、美味しいものは大好きなんだよね。 「食べよ」 「うん、頂きまーす」 「頂きます」 僕は一番に蛸をとり、かぶりつく。 直径10センチくらいの蛸を丸ごと煮ていたので食べでがある。 うん、やわらくて美味しい。 健二さんも同じく蛸をとってかぶりついていた。 はぐはぐはぐ…、そんな感じの食べ方だ。 なんか、健二さんの食べ方ってちょっと幼い。実家の妹を思い出す。 おいしそうに食べてるから別にいいんだけど。 「鍋で蛸って初めてかも。珍しくない?」 「そう?うちではよくやるよ。水軍鍋」 師匠から聞いた蛸鍋の由来をそのまま健二さんに話す。 「へぇ〜、蛸の8本足で『八方を食らう』か。昔の人はよく思いつくね」 「健二さんだったら蛸で何を思いつく?」 「ん〜、僕ならルース=アーロン・ペアかな」 「何ソレ」 「蛸ってたまに9本足のいるじゃない。ほら、コレとか」 健二さんは鍋から9本足の蛸をとりだした。蛸は8本足が基本だけれど、たまに8本以上の足を持つのがいる。切れた足を再生するときに2本に別れることがあるらしい。 「んで、こっちは普通の8本足でしょ」 そう言って今度は8本足を取り出して二つの蛸を並べた。 「8と9でルース=アーロン・ペア!」 と自慢げに言われても分らない。口に蛸が入ってたので、目で説明してと問いかける。 「連続した自然数で、それぞれの素因子の総和が互いに等しくなるペアのことを言うの。すごく少なくて、20000以下では26組しかないんだよ」 「ふうん…」 『健二さんは蛸の足で珍しい数のペアを連想する』とだけ頭に入れた。健二さんとの会話は大抵こうだ。昔は健二さんを分りたくて一生懸命聞いていたけれど、今では気になる部分だけを選び聞きするようになった。数学は強い方でも健二さんのレベルには到底追いつけないと自覚したからだ。 「佳主馬くんは8でなんか思いつく?」 と言われても、健二さんと違って数字に関する記憶ストックはとても少ないので、すぐには思いつかない。 「…出席番号」 「”イ”だもんね。8だったことあるの?」 「うん、何回かあった。母さんに末広がりで縁起いいわって言われたから覚えている」 「僕は10番台が多かったかな。高一のとき僕が15番で、佐久間が16番だったんだよ」 「もしかして、それがきっかけで仲良くなったの?」 「うん、席も前後でさ、佐久間が僕の後ろで『16番か、リテラルじゃん』て呟いたの」 「ああ、十六進法ね」 これならわかる。プログラミングで使われる表記だ。 「そうそう。でも普通はあまり知らないでしょ?だから思わず振りむいたら、『ん?お前リテラルわかんの?』って言われて、それがきっかけで話すようになったんだよね」 「へー、らしいね」 仲良くなるきっかけが数学だなんて、らしすぎる二人だ。 「あー、佐久間元気してるかな…」 「大丈夫でしょ、あの人は」 「そうだけどさ…」 呟きながら、ぱくりと蛸を食べてもぐもぐしている。 佐久間さんが関西に行ってしまい、長年親友やってた健二さんは寂しくて仕方ないらしい。よくこうしてぼやいている。 「4人で鍋したかったな…」 「そうだね」 寂しがる気持ちは分かるけど、いい加減慣れてもいいと思う。もう3カ月だ。 先日佐久間さんとチャットしたので『健二さんが佐久間、佐久間、言っててうざい』と言ったら、『あいつ諦め悪い分しつこいから。寂しがり屋だし半年は言いつづけるぜ、ガチで』とにこやかに言われてしまった。ついでに『あー、キングが東京来てくれて安心だ』とも言われた。 健二さんの世話をするのは嫌じゃないけれど、『佐久間どうしてるかな…』はそろそろ聞き飽きたんですけど。こんなしつこいとは思わなかった。 「15と16もさ、ルース=アーロン・ペアなんだよね」 さっきの稀な数字のペアの話か。確かに二人は世にも稀な仲の良さだ。 「15と16ならいつもくっついてていいよね…」 なんか今日はやけにしつこい。 いつもは1回聞けば終わりだ。出席番号の話で昔を思い出したのかもしれない。 ふと見ると、鍋の中身がもうない。 「締めに麦飯いれるけど食べる?」 「もちろん!」 健二さんはパッと顔を明るくした。 寂しがり屋な健二さんを慰める一番の方法。 それはズバリ食べ物だ。 何かを食べてる間は健二さんはニコニコしている。寂しさを忘れるらしい。僕が頻繁に健二さんをご飯に誘う理由の一つだ。 炊いてあった麦飯を鍋の中に放り込み、ほぐしてかきまぜる。その上に卵をおとして蓋を閉める。半熟が好きなのでしばし待つ。 「あのさ、健二さんと佐久間さんは稀な数字のペアの間柄だけど、数字じゃなくて良かったね」 「え?」 「数字だったら歩けないでしょ。人間なんだから歩いて会いに行けるよ」 「佳主馬くん…」 「夏休み入ったら僕も実家に帰るから、一緒に佐久間さんに会いに行こうよ」 「…うん!」 鍋からぐつぐつと音がした。蓋をあけると丁度良く卵が半熟になっている。ぐるっとかき混ぜて茶碗によそい、健二さんに渡す。 「ありがとう佳主馬くん」 泣いたカラスがもう笑った。そんな笑顔だった。 END |
健二さんは佐久間と仲良くなったきっかけは出席番号かなーと妄想。 水軍鍋はまだ食べたことないので調べて想像で書きました。今度食べに行きます! 2010.4.25 |
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