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7%ビールは美味いね。

つっかれた!けどビール飲みたい!でついコンビニ寄ってしまっただよ。んでちょい酔ったらなんか書きたい!で↓が出来ました。全然萌えじゃないから隠し隠し。

続き

四十九日

 おお婆ちゃんがおお爺ちゃんの隣に入る日が来た。
 学校があったけれど休んで、母さんと父さんと僕と母さんのお腹に入ってる妹と家族4人でおお婆ちゃんがお墓に入るのを見届けた。僕達だけじゃなく親戚の皆もいたし、健二さんも来てくれた。
 お葬式のように盛大に行う訳じゃなく、粛々と、静かにごく一部の親しい人達だけで見送っていた。
 おお婆ちゃんは小さな壺の中に入っていた。
 入っているというと語弊があるかもしれない。この白いカルシウムの塊りはおお婆ちゃんじゃない。けれど、間違いなくおお婆ちゃんでもある。
 それがお墓の中に、冷たくじめじめした土の中に納められる…。

 なんだろう、それだけなのに、何故か泣きたくなった。

 お葬式じゃない。もうお別れはすましたし、もう荼毘に付されておお婆ちゃんだった形はどこにもない。壺に納められた遺骨を納めるだけなのに、何故か、泣きたくなった。
 最後まで結婚指輪を外さなかったおお婆ちゃんがおお爺ちゃんの隣に行くんだ、そう思えば全然悲しいことじゃない。なのに、泣きたくなった。
 お別れは済ましたと思ったのに、まだ、十分じゃなかった。
 僕はまだおお婆ちゃんと離れ難かったんだ…。
 おお婆ちゃんは本当にもう手の届かない場所に入る。もう見える場所にはいない。その欠片すらもう見えない場所に行く。それが悲しいのだと思う。
 でも泣きたくなったけれど本当に泣くほどじゃなかった。
 だから別れは十分じゃなかったけれど、自分の中で有る程度の整理はできてたんだと思う。
 そんなことをぼんやり考えながらお骨が納められるのを眺めていた。
 皆を見るとそれぞれ目を赤くしていたり、泣いていたりしていた。
 もしこれがお葬式の直後に行われていたらどうなっていたのだろう。
 多分、涙をこらえることは出来なかったに違いない。
 お葬式から一ヶ月経ったからこそ、悲しくとも穏やかな気分で見守ることが出来たのだと思う。
 僕はなんとなく母さんと父さんの傍に立っていた。
 皆もなんとなく家族で固まって立っていた。
 ふと気になって健二さんを見ると、彼は一人で立っていた。
 夏希ねぇは叔母さんの隣で支えるように立っていたからだ。健二さんはそこからあぶれて一人で立っているように見えた。僕の隣から1mちょっとの距離。その間が嫌でなんとなく2歩進んで隣に立った。
 僕の動く気配に気づいた健二さんはこちらを見てニコリと静かに笑った。
 その目は赤くなかった。その静かな顔を見て

 この人は泣かないんだ…

 やっぱりと思ったけど、泣いたとこも見てみたいと思った。

なんとなく、健二さんは泣かないというイメージがあります。お葬式より納骨のが静かで本当の別れのイメージがあります。