クリームから火の消えた小さい蝋燭が引き抜かれ、ダイニングではなくリビングのテーブルに無造作に並べられる。それが終わると、久保田はすぐに四角いケーキを切り分けた。そして余った苺を一つ、時任の分のケーキにちょこんと乗せた。時任はその様子を、隣でソファーにもたれかかりながら見ていた。
この可愛らしいケーキの横には、時任が見たことのない、高そうなシャンパンがあった。時任はビールか缶チューハイでいいと訴えたのだが、ケーキに合わないという理由で却下されたのだった。
「……なぁ、久保ちゃん」
「どしたの」
「これはちょっとやりすぎじゃね? いや嬉しいんだけどさ」
「お前は素直に誕生日を祝われてればいいの」
「でもさ、お前の誕生日には、ただ飲んでケーキ食ってプレゼント渡しただけなのに」
「今日と一緒じゃない」
「だからその規模が違いすぎるっての規模が!!」
久保田がやりたくてやっていることなのはわかるが、ここまでされるとやや申し訳なくなってくる。ケーキは知る人ぞ知る有名店の一番人気のケーキを三ヶ月前から予約して、シャンパンは久保田自らが回った店で最も高いものを購入した。それを知ったときは大変驚いたが、祝ってる本人が楽しそうなので、時任はそれでよしとした。
「……ま、いいか。いただきまーす」
「おかわりもあるからねー」
「絶対しねえ」
時任は、ケーキをフォークで一口サイズ程度に取って、口に放り込んだ。スポンジはふわふわで、クリームは滑らかで優しい甘さだ。その美味しさに、時任は思わず久保田を見上げる。久保田は、柔らかい表情で時任を見ていた。
「美味しい?」
「……ん」
「そ。よかった」
久保田がコップにシャンパンを注ぐ。高級なシャンパンが、いつも使っているコップに入っている様に、時任はどこか違和感を覚えた。
「うん、なかなか」
久保田もようやくケーキを口にする。
「なぁ、久保ちゃん」
「んー?」
「……野郎二人でケーキ食うのも何かアレだと思うんだけど」
「何、じゃあ女装でもしてこようか」
「それはやめろマジ吐くから」
「遠慮しなくてもいいのに」
「黙れ久保ちゃんのアホ!」
「うーん、俺は別にお前さえいればいいんだけどね」
「……あっそ。ふーん」
「時任はそれじゃ駄目なんだね」
「べ、別に駄目とか言ってねえし……」
時任は赤くなって、何やらもごもごと言っている。久保田がその横顔を覗き込もうとすると、時任はすぐにそっぽを向いた。
「ごめんね時任。機嫌直して」
久保田は手を伸ばし、時任の頭をそっと撫でる。触れた瞬間、時任の身体ははぴく、と小さく跳ねる。そのまま撫でられるうちに、何だか頬が緩んでくるのがわかった。そんな状態が、時任には恥ずかしくてしょうがなかった。
「ぁ、謝んなくてもいいし。別に」
「じゃーほら時任、『あーん』してあげるからこっち向いて」
フォークが柔らかいものを切って、皿にぶつかる音が微かに耳に届く。時任はゆっくりと、久保田の方を向いた。
「はい、あーん」
「……ん、」
時任はケーキを食べながら、自分のケーキをフォークで切っていた。そしてそれをフォークに刺すと、
「仕返し」
「でかいね」
久保田に差し出した。
「俺様が『あーん』するなんて滅多にないんだからな」
「そーね」
「ほらよ」
久保田は、自分が差し出したものより二回りほど大きいケーキの塊を頬張った。時任もそれから、自分のケーキを改めて食べはじめた。そのまま二人はケーキに没頭し、しばらく無言が続いた。
「ごちそうさまでした!」
時任は久保田より一足先に食べ終えた。
「久保ちゃん」
「ん?」
「それ食べたら、話があるんだけど」
いつになく真面目な表情。久保田はじっくり味わっていた残りのケーキをすぐに飲み込んで、シャンパンで口をすすいだ。
「はいお待たせしました。で、どーしたの」
「今から俺が出す問いに、『イエス』か『はい』で答えろ」
「『イエス』か……『はい』?」
久保田は思わず聞き返してしまった。しかし時任の表情や姿勢は至って真剣そのものである。冗談のつもりでは決してないのだろう。久保田は吹き出しそうになるのを堪えつつ、時任を促す。
「わかりました。じゃあ早速どうぞ」
「じゃあ質問その一。久保ちゃんは俺のことが好きですか」
「はい、好きです」
自らで答えを用意したのに、時任は頬を赤らめる。久保田は目を細め、照れているその様をじっと見つめていた。
「……その二。久保ちゃんはそのまま俺を好きでいてくれますか」
「はーい。勿論」
「じゃあ、これで最後。っと、何だったっけ……あぁ、思い出した」
時任は一回深呼吸をする。そして久保田の方に向き直ると、意を決して言葉を発しはじめた。
「えーっと、健やかなるときも病めるときも、……」
「喜びのときも、悲しみのときも?」
「そうそう、それそれ。……じゃなくて! お前は黙ってろ。で、富めるときも、貧しいときも、……えーっと、晴れの日も、雨の日も、ずっと俺の傍にいますか!」
言い終えて、時任は久保田の目をまっすぐ見る。頬が熱いのは、もう気にしていられなかった。
それからしばらく、二人は互いに見つめあっていた。やがて久保田は少し微笑んでから、ゆっくりと口を開く。
「その質問には、『イエス』でも『はい』でも答えられないかな」
「……何でだよ」
「だって、」
時任の身体を優しく抱き寄せる久保田。急に近くなった匂いと体温。時任は驚いて顔を上げた。そして、
「……っ、……ん」
唇が重ねられた。
時任は一瞬驚いた表情をしていたが、すぐに目を閉じた。柔らかく、温かい感触に神経が集中する。逃げようとしても、力が入らない。キスが甘いのは、ケーキのせいだろうか。このまま酔ってしまいそうなのは、シャンパンのせいだろうか。時任はいつしか、久保田のシャツを掴んでいた。
「ん、」
久保田の唇が離れる。時任の唇が、どこか物足りなさそうにゆっくり閉じて開く。久保田は、時任をもっと深く近く、シャツ越しの肌と肌が密着するくらいに抱き寄せた。そして赤くなっている時任の耳に、ぽつぽつと囁く。
「誓いの言葉には、誓いのキスで返さなきゃでしょ?」
照れが邪魔して、言葉が返せない。時任はせめてもの抵抗として、久保田の背中に手を回し、爪を立ててやった。
「マジ何なのお前。最悪。ていうか離せ」
「はーい」
久保田はあっさりと時任を解放した。時任は顔全体をすっかり真っ赤にさせている。そのままぷい、と久保田に背を向けると、自分のコップにシャンパンをなみなみと注いだ。
「……どしたの時任」
かけられる言葉を無視し、時任はシャンパンをごくごくと飲む。
その数分後、久保田が空いたケーキの皿を下げに行っている隙に、ソファーは全て時任の領土となっていた。
「あらあら」
久保田は戻るなり、苦笑してしまった。そのままソファーとテーブルの間の床に座ると、久保田は紅潮して熱さを孕んだ頬に右手を伸ばす。そのまま掌で、柔らかく包み込んでやる。それでも起きそうにない、愛しいひと。久保田は時任の前髪を、そっともう片方の手でかきわけて、先ほどと同じくらい優しく唇を落とした。
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ベタ甘なお話になっちゃいました。(笑)
当然の如く久保田に拒否権なんかあるわけがありません。
そして時任ハッピーバースデー!
ここでこうして祝えることが嬉しいです。
重ね重ねですが、犬´さまありがとうございます。