眩しい陽射しを手で覆いながら、時任は空を見上げていた。しかし空の青さも眩しくて、つい目が細くなってしまう。
じりじりとした暑さが寄り添い、時任の顔には玉のような汗が浮かんでいた。コンクリートの地面も焼けたように熱い。時任は、何でそんな場所に寝そべっているのか自分でもよくわからなかったが、今は空を見上げるのに夢中になっていた。
「時任」
「わ。……何、久保ちゃん」
不意に、空に影ができた。久保田が上から覗き込んできたのだ。優しい微笑みに胸をちくりと刺され、時任は顔を少し赤くした。
久保田の顔が視界からなくなったかと思うと、今度は手が繋がれる。異常に早くなる心拍を抑えようと、時任は深呼吸をした。
「眩しいねぇ、空」
久保田はもう片方の手で眼鏡を外し、細い目を更に細める。時任はその顔を一度だけちらりと見て、また空に目を戻す。かざしていた手を下ろしてしまっていたので、容赦なく太陽光線が目を射てくる。時任は眩しそうに目を瞑ると、再び、今度は右手で太陽を隠した。
「久保ちゃん」
「んー?」
「今日誕生日だよな」
「そうだったっけ」
「いや、覚えとけよ」
「お前が覚えててくれるからいいよ」
「俺が忘れたらどうすんだよ」
「別にどうもしないけど」
「……これからは、覚えとけよな」
「はいはい」
「はい、は一回でいい」
「はーい」
時任が少し手を握る力を強めると、久保田からも握り返される。暑さも熱さも、あまり気にならなくなってきていた。代わりに、体内で心音が響くのが気になってきている。
「なぁ、久保ちゃん」
「んー?」
「何か欲しいもんある?」
「特にないよ」
「それじゃ俺が困るんだよっ」
そこでまた、会話が終わる。会話が長続きしないのはいつものこと。だけど今日だけは、それがもどかしかった。時任は久保田の手をほどくと、両腕を空に向かって伸ばした。そして視界に映る青空の端から端を、手で区切るように囲った。
「久保ちゃん、見える?」
「うん」
「こっからここまで、俺の分」
「俺の分は?」
「無し」
「酷いなー」
「だから、やる。半分、やる」
「そんなに貰っていいの?」
「俺がやるって言ってんだからいーのっ」
二人分の空に、綿雲が流れていく。時任は、また久保田の方を見た。馬鹿にされたかもしれないと、不安になったのだ。そのときは「冗談だ」とごまかすつもりでいるのだが。
しかし、久保田はまっすぐ空を見て、柔らかい表情をしていた。その目は真っ白な綿雲を追っている。その表情は何故か心にじわりと染み込んで、目を潤ませる。
ふと、今度は飛行機雲が空を横切っていく。白い飛行機雲はすぐ蒼く染まり、空へと混じり消えていった。
「消えんの早いな」
「飛行機雲、好き?」
「好きってほどでもないけど、見るとちょっと嬉しくなる。あーまた飛ばないかな」
そう言ったすぐ後、また飛行機雲が白い線を描いた。驚いて久保田の方を向くと、久保田も時任の顔を見つめていたことに気づいた。その表情は、あくまで優しいものだった。
「もう一回飛んできた……!」
「そうびっくりすることないんでない?」
「へ、何で?」
「お前が飛ばしたんだと思うけど。だって、お前の空なんだから」
時任は一瞬目を丸くしていたが、すぐに笑顔を見せる。久保田には、その笑顔は空よりも太陽よりも眩しく映った。
「そうかもな」
そして時任はどこか嬉しそうな表情で、空を仰ぐ。どこか遠くから、蝉の鳴いている声が聴こえてくる。雲の流れだけ見ていると、時も一緒に流れているのを忘れそうになってしまう。意識を現実に引き戻したのは、久保田だった。久保田は身体を起こし、眼鏡をかける。そして時任の顔をまた覗き込んだ。
「さて、俺はそろそろ戻るよ」
「何で? まだいりゃいーじゃん。ひょっとしてバイト?」
「ううん。今日、夕立くるみたいだから」
「えっ! マジ!? でも俺の空には降らないかもしんないじゃんよ」
「そーね。でも雨が降んなくても、そんなとこいたら熱中症なっちゃうよ」
「……俺、まだいる」
「ふーん、じゃあ買ってきたハーゲンダッツ二個、一人で食べちゃおっと」
「何だと!? それは聞き捨てならねえぞお前っ!」
時任も急いで立ち上がると、行こうとする久保田の腕に自分の腕を絡みつかせた。そして小生意気な笑みを浮かべて睨んでやると、久保田は小さく、優しく笑った。
「ハーゲンは渡さないからな」
「はーい」
そのまま二人が屋上を後にすると、残されたのは、広がっている二人分の青空だけだった。
こうやって、誕生日をいくつ祝うことができるだろう。そして夏をいくつ越えていけるだろう。まだ絡ませたままの腕に、時任はぎゅっと力を入れた。こうやって、二人で何度も夏を越えていけたことが、何故か今とても嬉しかった。
「久保ちゃん」
「なーに」
「誕生日おめでとう」
時任は潤んだ目を隠すため、満面の笑みを作った。