ありえない。
そんなハズないのに綿でも詰まってんじゃねーかってくらい、息がしづらい。
呼吸なんてごく自然な行為を、わざわざ意識してやんなきゃならんなんて想像したこともなかった。
ずっしり重く感じる身体を沈めたベッドで、枕に片頬擦りつけても唸っても、息苦しさは消えちゃくれない。ひたすらグズグズと詰まってばっかの鼻を持て余し、顎が外れそうなほどの大口でどうにかこうにか酸素を取り込んでいる。
9月8日、昼下がり。
年に一度の国民的、否、世界的祝日と言っても過言じゃねぇ。
時任様の誕生日だっつーの、こん畜生。
《キミがとなりの》
自業自得なんて言葉は俺様の辞書にはない、とこの際言いたい。
いわゆるひとつの季節の変わり目ってのが、繊細な俺の身体を蝕んだのだ。
あとは冷房のリモコン操作を間違ってたってのも要因としてあげてもいい。
久保ちゃんがバイトだったから、腹出して寝留守番を決め込んでたのはまぁ…そんなに悪くない。洗濯物入れ忘れてたのも…失敗くらい誰にだってある。
とにもかくにも、不可抗力な出来事が重なって俺は誕生日にお風邪を召しているわけだ。
「ん…っ。…なるほどね、それで具合どぉ?」
俺が滔々と熱に浮かされた頭で事の次第を伝えてみると、枕元にしゃがんでうなづいてた久保ちゃんは一回だけ不自然な咳をしやがった。たまに見るこの仕草は、ごく稀だがコイツが吹き出したいのを堪える時の癖だ。
まるで翔太くらいのちびっ子にするみたく柔らかく撫でられても、今はあんまし嬉しくない。口元を隠すな、あがった口角見えてんぞ。
「さいあく…」
しかし多くを語るにはもう酸素もなにも足りないので、諸々の感情を叩き込んだ4文字で答えるに留めておく。
声の調子で多少不機嫌を察したのか、久保ちゃんはひとつ息をついて落ち着いた微笑みを見せた。
「そっか、起きれそう?」
頭の芯がじんわり痺れて仕方なく、自然と閉じがちな目蓋を掠めて額に乗せてあった濡れタオルを久保ちゃんが裏返す。
よく見えないが、もう片方の手で床に置いたビニル袋を探りつつ、冷えがちな指先で頬にも触れてきた。ちょっと癪だが、これは案外気持ちいい。
「どう?」
「ちょい、しんどい…」
身体中で燻ってる熱は、それぞれの関節の部分で鈍痛を伴って主張している。力を入れようとしても、思い通りに上半身を起こすのも難しい。
一瞬浮かせてすぐに枕へ落ちた頭が疼き、息を詰めて呻く俺の目元まで久保ちゃんは濡れタオルを引きおろした。肩を押されて、仰向けになる。
「ん、なに…」
この体勢はあんま楽じゃないし、目蓋を透かしていた蛍光灯さえ見えなくなって、真っ暗な視界につい狼狽えた。
「そのままで我慢な。ちょっと…ごめんね?」
横に戻ろうとする身体を聞き覚えのある久保ちゃんの台詞に止められて、苦しいけど我慢した。
じっとしてると、すぐ近くでなにかの箱が開く音がした直後、体力が落ちて不安になりがちなのか落ち着かない気持ちで包まってた布団を剥がされる。
「ふぇ!?」
突然すぎて発音のはっきりしない声を上げる間に、シャツまでたくし上げられ布の内側にこもってた熱が逃げて鳥肌が立った。
一体何が起きてんだ?どういう状況なのか理解が追いつかず、酸素が足りない所為で聞きたいことも聞けない俺は口をパクパクさせた。それに気づいた久保ちゃんが、また声に笑いを滲ませて「大丈夫だから」って言ってくる。
ぺたって、さっきより冷たい手のひらで直に胸触りながら。
大丈夫ってなにが!?
まさかとは思うけど、さすがにこんなコトは今までなかったけども!
咽喉から腹の結構きわどい部分までやけに滑りよく撫でる手のひらの刺激に、身体が過敏に反応しそうだ。目隠しプレイとか今するコトじゃない、普段だって嫌だけど。
これ以上されたら本気で呼吸困難になる!
俺はありったけの酸素を吸い込んで、切れ切れに抗議を試みた。
「く、くぼちゃ…無理」
「ん?」
「…きょう、は…無理って」
不明瞭だが言葉は伝わってみたいで、擦る手が腹の辺りで止まる。でも触れるか触れないかの位置で微妙に浮いた手は、小刻みに揺れて逆にくすぐったさが倍増だ。人が必死に言ってんのにどうして笑うんだと、怒りかけた俺の目の上からタオルが外れた。
急に取り戻した視界が明るくて、目の奥が痛んだ。
寝転んだまま眩暈を覚えてると、シャツと掛け布団が元通りに直されて横になっていいよと久保ちゃんが寝返りを打つのを助けてくれる。
その表情は別に怒ってもないし、揶揄ってる風でもない。いっそ微笑ましいとでも表現したくなるような穏やかな微笑を浮かべて、おもむろに両手を挙げた。
「これ、塗っただけ。さすがにそこまで盛ってないってば」
右手はうっすら白く、左手には小さなプラスチックの薬瓶。ぼやけた目を凝らしてラベルを見れば『ぬるカゼ薬・小児用』と、はっきり書いてあった。極端な薬物アレルギーの気がある俺でも、塗るタイプの子供用ならまだイケるかもしんないってチョイスなんだろうけど、複雑な気分だ。
子供用らしい薄いメンソレータムは、吸うと爽やかな感じで確かにシャツの中から香ってきてる。布との摩擦が少し変な感触に変わったのは、このクリームの所為なんだろう。すぐに効き目が出るはずないけど、現金にもそうと知った途端に息苦しさがマシになった気がする。
あぁ、つまり他意はなかった、と。
そういうワケで。
「〜〜〜〜わ、わりぃ!」
エロいのはどっちだっつー話だよ、薬塗られただけで焦ったりして!人のコト言えた義理じゃないっつーの!!
思わず布団の中にもぐりたくなったけど、それじゃ呼吸が難しくなる。恥を忍んで風邪じゃない熱で火照った顔を出したまま、逃げるのを観念してちらりと久保ちゃんを見た。
最初にタオルと一緒に持ってきてた洗面器に浸したそれを固く絞って、久保ちゃんは「でこ触るよ」と微笑んでいる。
悔しいが、触る前に今みたく言ってくれてたら焦んなかったのに、なんて心の中でぼやきながら手を伸ばして一番近い久保ちゃんの袖を握った。
風邪だから、誕生日だから。
それとはまた別の、いつも触れてたい気持ちのままに。
「…ありがと」
「どういたしまして」
氷水につけてた冷たい手が、俺の手に重なって布団の中に戻った。肩までかけた布団を軽いリズムで叩きつつ、久保ちゃんが囁いてくる。
「誕生日おめでとう、時任」
強く強く手を握る。
本当だったら、ケーキ食って遊んで……やらしーコトとか、ちょっとして。
誕生日権限でめちゃくちゃ甘えてみたかったのに。
ツイてないって、思ってたのに。
「………さんきゅ」
キスも出来ないザマだけど、コンディションとかこの際どーでもいいとか思うほど。
キミがとなりの、誕生日。
またまた遅れちゃいましたが、お誕生日おめでとう!時任!!
誕生日なのに風邪っぴきでごめんなさい!…自分がいつもそうなもので…。
なんとか参加できて嬉しいです、誕生日小説というのを書いたことがなかったので、大変勉強にもなりました。
とにもかくにも、やっぱり久保時が大好きだと改めて実感!
犬’様、本当に素敵なお祭りをありがとうございました!
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