ハニトラ!-8畳一間双子付き- エダ八千代 |
開発の手が伸び始め、周りに大きなマンションが出来てきた最寄りの駅から徒歩八分。それでも未だのんびりした空気が漂う長閑な街に、麻衣の住んでいるボロアパートがある。そこだけ年代を巻き戻したかのような、木造二階建てのアパート。共用部分はそのまま外だし、二階に上がる階段は上がるとカンカン音が響き、おまけに塗装が剥げて手すりを握ると茶色い錆がつく。ドアは薄い板で、それを潜ると小さな板張りのキッチンと、その横にトイレと風呂。奥の部屋は八畳一間と押し入れ一つ。六室ある全てがこの間取りだ。この一階の三号室が麻衣の生家。そして麻衣の双子の弟たちの生家は、二階の対角線上にある。 双子との出会いは、麻衣が小学二年生のときだ。幼いころから麻衣はアパートの二階には決して上ってはいけないと父親に言い含められていた。しかし母親が夕食の支度を、父親が仕事から帰らない時刻に一人でアパートの敷地内で遊んでいると、階段はまるで冒険に誘っているように魅力的に見えた。二階のたった一人しかいない住人は、髪は伸び放題、着ているものは黒一色、父親が寝る前に読んでくれる絵本に出てくるお化けのような女だった。彼女は神経質で、階段で足音を立てようものならもの凄い形相で部屋から飛びだし、金切り声で罵倒してくる。近所の小学生には有名で、音を立てずに階段を上りきる度胸試しが流行っていた。麻衣は父親の言いつけを半分守って、三段だけ慎重に上っては飛び降りる、という遊びをよくしていた。麻衣には夕飯前まで一緒に遊べる同級生が近くに住んでいなかったため、一人で遊ぶためのルール作りが上手かった。時々どこかのおばあさんが二階の女性の部屋を訪れていたようだが、それ以外の交流は全く見られなかった。 ある日、麻衣は母親に例の女性の部屋に回覧板を持って行くように頼まれた。三号室の次は二階の五号室になる。いつもなら母親が持って行く。二階の彼女は回覧板に一応目を通しているようだし、面倒見のいい麻衣の母親は、彼女の様子を伺う切欠にしているようだった。 「えー、やだ。だってこわいもん。へんなにおいするし」 「二年生になったからもうお姉ちゃんでしょ。いいから行ってきて頂戴。回覧板なら上の人も怒らないから」 「……はーい」 もうお姉ちゃん、という言葉に丸めこまれて外の階段を上る。もちろん足音を立てないように慎重に。上りきって目的のドアの前に辿り着くと、家から持ってきたピンクの傘を使ってドアの横についている呼鈴を鳴らす。足音ですら聞きつけて飛び出してくる女の人が、呼鈴を押しても出て来ないことに不審に思いながらも、仕方がないので持ってきた回覧板をドアノブに掛けて帰ろうとした。すると、ドアの奥からバン!と大きな音がして、続いて床か何かをめちゃくちゃに叩く音が聞こえてきた。麻衣は怖くなって、急いで家に帰って母親に事情を話した。それを聞いた母親は、仕方がないわね、と苦笑して、一度ちゃんと大家さんに叱って貰おう、と夕食時に父親と相談していた。 翌日、再び麻衣はアパートの階段を上った。昨夜は怖くて眠れなかったので、今日は音の正体を確かめようと思ったのだ。両親はそこの女性が立てた音だと思ったようだが、実際その音を聞いた麻衣はそう思わなかった。一人で立てた音にしては叩く手の数が多すぎる気がしたのだ。今度は呼鈴を鳴らさず、ドアノブに手を伸ばす。人の家に上がり込むのではなく、ちょっと中を覗くだけ、と心の中で言い訳をする。鍵は掛かっておらず、油の足りない蝶番が軋みながらドアが開いた。それと同時に、生ごみの臭いが鼻をついた。麻衣が顔をしかめながら恐る恐る中を覗くと、昨日のように床を叩く音が始まった。麻衣は子供の声を聞いたような気がして、部屋の中に入り込む。キッチンにはゴミが散乱して靴を脱ぐのも嫌だったが、我慢して靴下になる。止まない物を叩く音はだんだん小さくなっていったが、間隔は短くなっていった。キッチンと畳の部屋を区切る暖簾をくぐると、ここの住人である女の人がテーブルに突っ伏して眠っていた。そしてその隣では、二人の男の子がゴミの中で横たわり、虚ろに天井を見つめながら一心不乱に床を叩いていた。 それからが大騒ぎだった。それを見た麻衣はアパート中に聞こえるくらいの大声で泣き出し、娘の悲鳴を聞きつけた麻衣の母親が飛び込んできた。この部屋の事をこの中の誰よりも理解すると、救急車を呼び警察を呼び大家を呼び、もちろん麻衣は放っておかれた。 それからしばらくすると、その部屋で見つかった双子の男の子は麻衣の両親が引き取ることになった。預け先が決まるまで毎日双子の様子を見に病院に顔を出していた麻衣の母親が、別々の施設に預けられるのは可哀想だと申し出たからだ。その日から麻衣は双子のお姉ちゃんになった。麻衣より二つ年下の双子の男の子は、兄がユージン、弟がオリヴァー。あの部屋に住んでいた母親は日本人だが、夫はアメリカ人だったらしい。 決して裕福ではなかった麻衣の家だが、家族が二人増えたことでそれまで以上に家計は圧迫された。それでも両親は双子を邪険にすることは無かったし、実の娘である麻衣と差別することもなかった。当時まだ四つだった双子はすぐに家族に打ち解けた。特に姉になった麻衣の後をトコトコついて回る姿は近所でも評判になるくらいに懐いていた。 悪い噂はもちろんあった。アパートで一人暮らしと思われていた女に実は子供がいて、それを誰も知らなかったことや、その子供たちは育児放棄をされていたこと、第一発見者は小さな女の子だということ。静かな町に不気味なニュースとあって、地方ニュース番組でそれなりの大きさで取り扱われた。その煩わしい影響で両親は別の土地に引っ越しを考えたらしい。しかし近所の善い住人たちが守ってくれたのだという。その時の記憶は曖昧で、詳しい話を両親に聞くと、あまりいい顔をされない。しかしいずれ口さがない他人から聞かされると分かっていた母親は、簡潔に、脚色せずに事実を述べた。 曰く、双子には首輪が付けられ、その端は柱の釘にしっかり固定されていたことを。 双子が小学校に上がると、そっくりな双子を見分けるのも容易になった。見分けると言うよりも話して分類すると言った方が正しいかもしれない。どちらも静かな子供だったが、兄のジーンに声を掛けると微笑んで挨拶を返すが、弟のナルは相手が知らない人物なら無視、知っている人物なら無表情に頭を下げる。ただこれが麻衣相手になると、我先にと駆け寄って抱きつくのだ。 彼らは幼い頃から容姿に恵まれていた。小さい頃は本当に天使だった。子供の頃、誰もが大人に「知らない人について行ったらいけないよ」と言われたように、彼らも両親に同じことを言われていた。「大抵は誘拐されて身代金を要求されるよ」と言われただろう。確かに双子と両親の間はそうだった。彼らは素直に「はい」と返事をし、「よく出来ましたと」頭を撫でられて終わった。しかし、麻衣とその母親は違った。 「麻衣、あんたはお姉ちゃんなんだからしっかりジーンとナルを守るのよ?」 三人並んで昼寝をしている時に、麻衣だけ起こされてそう言われた。麻衣はなんで自分だけ起こされたのか考えながら、眠い目を擦って答える。 「ふぁーあ、誘拐されようにも家見りゃ一目瞭然でしょ?お金ないってすぐ分かるよ」 アパートの前の狭い道路を大型トラックが通れば低速であっても家自体がガタガタ揺れるし、洗濯機は外にしか置き場がない。このアパートに住んでいるだけで、学校で貧乏認定されてからかわれるのに、誘拐なんて成功率の低い犯罪を下調べもなしに実行しないだろう。母親に守るように言われたジーンとナルは、逆に麻衣を守るように麻衣を挟んで眠っている。すると母親は至極真面目な顔で言った。 「ジーンとナルだから心配なのよ。身代金の電話すらないかもね。だから死んでも二人を守れ」 「酷い!」 以下本文にて |
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