<<お疲れな貴方へ…>>
「ナルぅ・・・」
「・・・・・・・・・」
「ナルってばぁ」
「・・・・・・・・・」
「ナルッ!」
「・・・煩い」

 可愛い奥さんの再三の呼び掛けにやっと振り向いたと思ったら眉間に酷い皺。そして強烈な眼光。
(あの皺と目で何度子供達を泣かせたか・・・)
 こっそり麻衣は溜息をつく。
 だが10年以上付き合いのある奥様であり二児の母でもある麻衣には全く効かない。殺人光線も無敵な笑顔で受け流す。
「あんた根を詰め過ぎ。酷い顔色だよ?今日はもう寝た方が良いよ」
「問題ない」
「鏡みてごらん。青白くてでっかい隈こしらえてどこの幽霊だって感じだよ?こんな生活続けてたら自分が研究材料になっちゃうんだから」
「・・・・・・・・・」
「あんた今『それも悪くない』とか思ったでしょ」
 麻衣の言う通り、死んだら睡眠も食事も取る必要が無いので好都合だし霊にならないと分からないことが多いだろうからそっちのほうが研究もすすむかもしれない、という下らない妄想が一瞬頭を過った。確かに自分は疲れているかもしれない。
「そのまま過労死しちゃったらいつまでも論文書いてそうでやだね。ナルが幽霊になったら頑固で浄霊できそうになくてイイ迷惑だから!」
 麻衣はこぶしを握りながら力説した。
(妻としてその言い草はいかがなものだろうか?)
 博士が思うのも無理は無いが多分お互い様だと思われる。
「ねぇ、私と下らない言い合いするくらい煮詰ってるんでしょ?今日は休んどこうよ・・・」
 乗ってる時のナルなら麻衣の発言は一切無視。耳にすら入らない。こうして耳を傾けて短いながらも会話してるのは煮詰っている証拠。休息を取ったり気分転換を図った方が効果的だと自分でも分かっている。
 しかし論文は最終章にさしかかている。詰ってるところもあと少しで掴めそうな気がして寝る気にはなれなかった。
「あと一時間で寝る」
「ホント?」
 麻衣は信用してないと言わんばかりにナルを睨みつけたが、溜息をつき部屋を出ていった。
 しかしすぐティーカップを手に戻ってきた。麻衣は机にお茶を置く。喉は乾いていたのでカップを手にすると、嗅いだ事のない香りがした。
「せめてこれ飲んで。夜中にカフェインのあるもの飲んじゃだめだからハーブティにしてみました。菊花茶っていって、目に良いらしいよ?」
 喉を潤せられれば何でも良い。ほのかに甘いそれを飲んでナルは仕事を再開させた。


 10分後・・・。書斎で眠りこける博士がいた。


 実は麻衣がサーブした菊花茶は、神経を落ち着けて催眠作用のあるジャーマンカモミールをブレンドしたスペシャルティーだった。
 乗ってる最中で元気な時ならともかく、一週間ほとんど寝てない身には堪えただろう。

「ナルの一時間は当てにならないからね~」

 麻衣はこっそり笑って眠るナルに毛布をかけた。

「おやすみ」

 頬に柔らかなキスを落として書斎を後にした。
 
 

 * * *



 翌朝すっきり目覚めた博士は一気に最終章を仕上げたらしい。


「内助の功ってこんな感じ?」

「調子に乗るな」


 博士は昨夜の報復も込めて奥さまの頬を抓まんでやった。
 ブー垂れる奥さまとじゃれあう博士は久方ぶりに家族仲良く穏やかな午後を過ごしたそうな。


(fin)



かなやんさんに送りつけた小話をサルベージしてちょい加筆しました。

2012.7.25
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