必要経費か否か?


 ひと目ぼれ、をしてしまった。

 麻衣は『ひと目ぼれ』の対象から目が離せず立ち尽くしていた。
 といっても対象は人ではない。麻衣は毎日見ている旦那様の顔のおかげで耐性がついているので、どんなイケメンがいても見惚れるということはない。たまにあっても金髪碧眼の外国人とか子供とかを見て奇麗な絵画を見る程度の感動を覚えるくらい。女の子としてトキメクということはない。
 だが今の麻衣は滅多にないトキメキを覚えていた。
(ヤバ、欲しいかも・・・)
 ひと目見てからかれこれ20分は目が離せないでいる。

 場所は新宿の某デパートの寝具売り場。
 新春バーゲンからクリアランスバーゲンに代わり、正規価格より30~50%と引きと堂々とPOPが踊っている。貧乏体質で根っからの庶民な麻衣が近寄れないブランド品もお手頃価格になっている。試しに覗いてみたらとあるブランドのカバーセットが目に入った。
 白い生地に黒で大きな花が描かれたベッドカバーだった。
 ともすればケバケバしいデザインなのに非常に上品な仕上がりとなっている。よくみると、白い生地は光沢のある部分とない部分がある不思議な風合で、百合の花のシルエットを大胆かつ流麗な筆致で描かれ、光沢のある黒のバイアステープで縁を彩っている。シンプルな色遣いながら現代的かつ上品な仕上がりはさすが高級ブランド品だ。
(欲しいんだけど・・・・・・高いよね~~)
 ブランドに疎い麻衣でも知っている高級ブランドの馬のマークの品はそれに相応しいお値段だった。なんと35%引きでも2万円以上するのだ。
 それにカバーだけじゃなくピローケースとシーツも揃えなくてはいけない。30~50%引きでも合わせて4万円を超えてしまう。ブランド品じゃないセール品なら半分の価格で揃えられる。値引き価格が合わせて2万円以上だから間違いなくお買い得だけど二の足を踏んでしまう値段だ。
(でもなぁ・・・・・・)
 ひと目ぼれしてしまったのだ。いつもなら商品を置いて回れ右してしまう金額なのに、どうしても離れられない。
 麻衣の旦那さんは研究者の割には年収が高いほうらしい。渡される生活費は学生時代の何倍もあって毎月余ってしまう。おかげで二人の貯蓄高はそれなりの数字になっている、だからこのくらいの贅沢をしても許されるくらいには余裕のある生活だ。でも麻衣は学生時代とは雲泥の差がある生活水準の違いに結婚してから1年たってもまだ慣れない。同棲生活を入れれば3年以上経っているけどまだ慣れない。多分いつまで経っても慣れないだろうと思っている。
 でも、その鉄壁の庶民感覚を覆すほど、このセットが欲しくなってしまった。
(絶対、似合うよねぇ・・・)
 このシーツを使ったベッドを使う旦那さまを想像してしまったのだ。

 黒い百合の布団に埋もれる黒の麗人。 
 黒い百合のシーツの上で寝がえりをうち、まどろむ黒百合のような人。
 黒い百合の枕に散らばる漆黒の髪と瞳。

 どれも嵌まりすぎる。似合いすぎる。そして『見たい』と思ってしまったのだ。
(絶対、似合うよね!)
 麻衣はその光景を見たいという妄想に取りつかれてしまったのだ。

 ベッドカバーはもうひと揃え欲しいと思っていた。結婚してからベッドをシングル二つからダブルに変えた。ベッドメイクが一回で済むのは楽で良いけど、新調したせいで予備のシーツやカバーが二セットしかない。雨の日が続かなければ大丈夫だけど心許ない時もある。だから買うのは無駄遣いじゃぁない。必要経費だ。
 でもたかがカバーセットに4万円もの大金をつぎ込んでいいのだろうか?
 けれど良い物は長く使えるし、そのくらい贅沢をしても全然圧迫されない家計ではある。
(ううううううううう・・・)
 麻衣はシーツを睨みつけて自分の庶民根性と戦っていた。
 しかしひと目ぼれとは厄介なもので、買わないという選択肢はどうしても選べない。
 麻衣は清水の舞台から飛び降りる気持ちでレジに向かったのだった・・・。


 * * *


 持って帰ったシーツは洗濯して干したら夕方には乾いたので早速ベッドメイクした。
「素敵~~!」
 黒に近い木目でまとめられた寝室に良く似合い、部屋の雰囲気をワンランク上に押し上げた。まるでホテルのようだ。
 試しに寝ころぶとシーツの感触もすべすべで気持ち良い。
「さっすが高いだけあるわ~」
 お値段はデザインだけじゃなく質の良さにも反映されてると感心した。

「何を騒いでいる」

 麻衣のはしゃぐ声を不審に思ったナルが寝室に顔を出した。
「あ、ナル!見て見て~ベッドと枕カバー新調してみたの!どう?」
「・・・いいんじゃないか?」
「『別に』じゃないだけマシな回答よね」
 何事においても機能重視でデザイン性には拘りのないナルに美的感覚の感想は求めて無い。拒否されなければ良いと思ってた。
「奮発しちゃったからすっごい良い手触りなんだよ~♪ね、ナルも寝てみなよ」
「いい」
「そう言わずにさ!ほら~」
 麻衣は起き上がり、ナルの手を引いてベッドに引っ張り込む。
 ぼすんッ!と音を立ててベッドに転がった。そこにサッと布団をかぶせる。
「ほら、気持ちいいでしょ?」
 見合わせたナルの眉間にはくっきりと皺が浮かんでいるが、慣れている麻衣はニコニコと鉄壁の笑顔は崩れない。それどころか満面の笑みに変わっていく。

(うーわー!うーわー!予想以上に似合ってるぅ~~~!!!)

 いつもの黒シャツ姿で横たわるナルに黒百合の布団をかける。そうすると、黒衣の麗人が百合の中で眠っているようだ。
 彼を知る面々が見たら『嵌まり過ぎて不気味』とでも言いそうな光景だ。
(写真撮りたい~~~!!!)
 麻衣は布団のなかでジタバタと笑いをこらえた。
「何を暴れている」
「あ、気にしないで、気にしないで」
「ふうん?」
 ナルはベッドに片肘をついて身を起こした。その姿も嫌になるくらい様になっている。
(いやーここまで絵になると高級シーツカバーも報われるってもんだ)
 一人で納得している麻衣をナルは怪訝に見ていたが、ニヤリと人の悪さが滲む、だが艶のある笑みを浮かべた。

「珍しく積極的だな」

「へ?」

 ナルは艶めいた笑みを浮かべたまま麻衣ににじり寄る。
「な、ナル・・・?」
 黒百合の中で微笑む麗人は少々刺激が強い。それがベッドの中なら尚更で・・・。
(ヤバイ、スイッチ入れちゃった?)
 麻衣は身の危険を感じたが時既に遅し。黒百合の化身に覆いかぶされた。
 肌色を晒した麗人が百合の中で蠢く様を楽しむ余裕など欠片もなく、スイッチの入った旦那さまに翻弄される麻衣だった・・・。

 翌朝、ぐしゃぐしゃになってしまったおニューのシーツを嘆く麻衣がいたそうな。

「・・・誘ったんじゃなかったのか?」

「ちがーーーーう!」

 乙女心を理解しない旦那さまでした。



(終わっとけ)




某チョコ戦争のときに行った某デパートで素敵なカバーがあったんだよねー・・・。あんな寝室にしてみたい。


2013.2.1
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