ハンプティダンプティ


 ハンプティダンプティがいる。

 推定胴周り1メートル強、臨月を迎え有り得ないほど大きくなった腹を抱え、「ナル!」と手を振りながらよたよたと歩いてくる麻衣の姿は本国の童謡を連想させた。
 仕事の関係でどうしても帰国しなくてはならなくなり、三週間ほど日本を離れいていた。
 麻衣に付添っていた松崎さんからは「臨月近い妻を放置していくなんて何考えてるの!」と怒鳴られたが、本来なら一カ月以上かかる仕事を三週間で終わらせたのだからそう文句を言われる筋合いはないはずだ。反論すれば煩いので言わないでおくが。
 麻衣は昨日から検査入院していて三週間後に出産予定だという。帰国したその足で病院に来たのだがここまで大きくなっているとは予想外だ。再会の挨拶をそこそこに腹に視線が集中してしまう。
 
「ははは、凄いでしょ、このお腹」
「・・・先月はここまで大きくなかったと思ったが」
「この一カ月で急に大きくなってきたの」
「そうか・・・」

 病室に入り、よっこらせとベッドに腰掛けようとする麻衣に手を貸す。いかにも重そうな腹だ。
 今ですらこの大きさなら出産予定の三週間後はどのくらいの大きさになるのだろうか?
 これ以上大きくなれば麻衣が危険ではないか?
 また一月後の出産予定が三週間後に早まったのはどういう訳だ?
 他にも気になる点がある。
 麻衣の腕からは透明のチューブが伸び傍らに置いてある点滴パックと繋がっていた。

「その点滴は何だ」
「お腹の張り止め」
「・・・普通は服薬ではないのか?」
「そうなんだけど、それじゃ間に合わないんだって」

 この腹の大きさといい、点滴といい、何かがおかしい。
 麻衣の顔色は悪くない。腹の重さに疲れてはいるようだが顔色は良い。そうは見えないだけで何かあるのだろうか。この三週間、ほぼ毎日麻衣から電話があった。そのときは順調だと言っていたがそうではなかったのか?普通は陣痛があってから入院するのに、三週間前から検査入院をしている。その理由は何だ?
「麻衣、何か隠してないか?何故こんな早くから入院が必要なんだ」
 彼女の命や健康、胎児に不安要素を抱えてるのだろうか?
 何か問題があるのなら早めに知っておきたい。そう思い彼女に聞くと、麻衣はニパッと笑って嬉しそうに答えた。



「実はねー、お腹の子、双子なんだよ」



「は・・・・・・・・・?」


 その時の自分の顔は、『マヌケ面』というやつだったのだろう。軽く目を見張り、口をポカンと開けていただろうからだ。
 対して麻衣は「ナルでもそんな顔をするんだねぇ」と悪戯が成功した時の子供のようにニコニコと笑っている。その表情は非常に無邪気だ。入籍して三年目の人妻、しかも三週間後には母になる大人の顔には到底見えない。しかし語る内容は大人でしか有り得ない。

「双子だからお腹がすっごく大きくて、歩いてても重力で落ちて破水する危険性があるんだって。だから早めに入院したの。出産予定も36週目と早めなんだよ」

 麻衣のお腹にいる子は男だと聞いてはいたが、二人も入ってるとは聞いていない。

「僕は初耳なんだが」
「今初めて言ったから」
 しれっとしてのたまう麻衣に対し、眉間の皺が出来るのは仕方ないだろう。
「・・・何故隠してた」
「言わなかっただけだもん」
「おい・・・」
「気付かなかったナルが悪いんだよー」
「そういう問題か?」
「ちょっと注意すれば気づくよ」

 お腹はすっごく大きくなってきたし、母子手帳は二冊だしさーと言う。最初の頃に母子手帳を見せられたことはあったが、中身まで見た事は無い。そういえば母子手帳ケースは一冊が入るにしては少々厚みがあった気がする。何より能力者の自分なら腹に触れて集中すればわかったかもしれない。
 自分の関心度の低さを指摘されたようで多少気まずい。

「最初のころはエコーに映らなくて、15週目で分かったんだよ」
 今は33週目だから、4カ月近く前から黙っていたことになる。そのうち3週間は不在だったにしても、おしゃべりな麻衣がよくもそこまで黙っていられたもんだ。
「そんな前から黙ってたのか」
「分かった時ナルに話そうとしたらナルってば論文に夢中で聞いてくれなかったんだよね」
「・・・・・・」
「そしたらこっちも意地になっちゃってさ、気づくまで黙っててやろうと思ったの。あの頃マタニティブルーだったからねぇ」
「・・・・・・」

 麻衣の妊娠初期、酷い喧嘩をした。
 論文の締め切りで忙しく仕事に集中していた時で麻衣の話を碌に聞かなかった。自分にとってはいつも通り仕事に集中しただけで他意は無かった。忙しい頃に麻衣を構わないのはいつものことだからだ。だが妊娠初期だった麻衣は不安定になっていた。
 正直、子供への興味は殆どなかった。父親になる感慨などもなかった。とはいえ産まれたら育児に協力する気だった。それは夫として、父親として当然の義務だ。どちらかというと中毒症の恐れのある彼女の体調の方を気にかけた。子供に関しては産まれてからのことだと思っていた。
 そんな僕の本音を麻衣は正確に読み取っていた。それが彼女を更に不安定にさせたようだ。ちょっとしたきっかけから麻衣の不満が爆発し、酷い喧嘩をした。

『ナルは子供なんかいらないんでしょ!』

 そう言われた時、すぐに否定してやることが出来なかった。
 本音は『どちらでもいい』だ。
 二人で十分だった。これ以上家族が増えることを望んではいなかった。だが子供を欲しいと思ったことはなくても、いらないと思ったわけではない。出来ても良いとは思っていた。だから入籍してから避妊をやめた。麻衣が子供を欲しがっていたからだ。消極的な協力のつもりだった。
 すぐ『そんなことはない』と否定してやれば良かったのに、いい訳じみた気がしてすぐ言葉にならなかった。本音はともかく、妊娠初期でつわりもひどく、精神的に不安定な彼女のことを想えばすぐ否定してやるべきだった。
 すぐ否定しない自分に彼女は大層傷付いた顔をして、家を飛び出した。
 幸い、すぐ見つけて大事には至らなかった。珍しく反省させられた苦い思い出だ。
 あれは失態だった。
 
「ナルに双子って言うのがちょっと怖かったの」
「何故」
「・・・だって、一人でも子供が産まれたら大変なのに二人なんてもっと大変でしょ?ただでさえナルは子供に興味ないのに、二人だと聞いたら嫌な顔をされると思ったんだよね」
 驚きはするが嫌な顔なぞするはずがない。いつもの麻衣ならすぐ判るはずだ。やはりあの時の喧嘩が後を引いたのだろう。
「それにさ、ナルのお母さんてネグレクトだったって聞いたし…嫌な事思いださせたらやだなーって。自分もそうならないとは限らないし。他にもいろいろぐるぐる悩んじゃった」
 たははと情けなさそうに笑う彼女の額へ手を伸ばし、指で軽くはじく。
 妊娠してからは余りしなかったから久々だ。「イッタ!」と額を抑える麻衣を鼻で笑い、その頭をくしゃりと掻きまわす。
「馬鹿」
「うん馬鹿だよねぇ」
「・・・だがそう思わせた原因は僕にもあるんだろうな」
「・・・ちょっとだけね」
「今も不安か?」
「ううん。もうそれは過ぎた。最近じゃナルがいつ気づくかなーってわくわく思う方が大きくなってた。いつ気づくか綾子達と賭けてたんだよ」
「・・・・・・」
「ちなみに産まれるまで気付かない派が圧倒的多数でした。ナルってば信用ないね~」
 能天気に「あははは」と笑う麻衣に腹が立つというよりもう呆れてしまう。今思えば、松崎さんが自分の帰国に難色を示したのは早産の可能性を考えたからなのだろう。かといって知っていても帰国予定は変えられなかったが。

「お前は?」
「ん?」
「だから麻衣はいつ僕が気づくに賭けてたんだ?」
「出産予定日より1か月か2か月前くらいかなーと思ってた」
「何故」
「私のお腹がすっごく大きくなる頃だから。ナルは子供のことは興味薄くても、私の体調には敏感だったでしょ?変だと気づいてくれると思ったんだ」
「・・・・」
 事実その通りだったので何も言えない。
 麻衣は「さすが麻衣ちゃん、予想通り!私ってば愛されてるねぇ」とまた笑ってⅤサインをした。否定はしないが調子に乗るなとまた額を弾く。今度は先ほどのように遠慮はしなかった。

「あのさ、ママ友に『男の人は実際に子供が産まれてくるまで父親としての実感が湧かないのよ』って言われたの。だからね、今は興味が薄くても産まれてきてから愛してくれればいいの。そう思えるようになったんだ」

 そう言いながら、愛しそうに腹を撫でる姿は今までにない表情だ。
 自分の母親もかつてはこのような表情を見せたのだろうか。
 


 塀の上から落ちてしまったハンプティダンプティは戻らない。
 しかしこのハンプティダンプティならもし塀から落ちても見事に着地してVサインを披露してくれそうだ。
 いや、落ちても自分がPKで止めればいいだけだ。



「…二人分の名前を考えなければな」

「うん、よろしくね。おとーさん♪」

  

 三週間後、麻衣は無事に二人の男児を出産した。




 


END



友人が3/14に双子を出産しました。入院中退屈してた彼女へお見舞いに行った時に思いついたネタです。ナルと麻衣は子供について一度は喧嘩してると思う。
今はもっと早めに双子かどうか分かるらしいんですが、昔はエコーに映りづらく7カ月でやっと分かったという例もあるらしい。でも基本双子妊娠について詳しくないので変なとこあったらすいません。

2011.4.7
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