千客万来 |
麻衣を伴って日本オフィスへ行くと、既に安原さんが出勤していた。 「所長、谷山さん、おかえりなさい」 「ただいま!安原さんお久しぶり~!」 ニコニコと真意を伺わせない笑みを浮かべる安原にむかって、麻衣が満面の笑顔で懐いて行く。麻衣を見る目は柔らかい。これは本当の顔だろう。 「昨夜リンさんからお二人の婚約の話を伺いました。おめでとうございます」 「どうも」 「安原さん・・・」 ナルはともかく、騙し打ちで了承させられた麻衣におめでとうなどとよく言えたものだ。麻衣は複雑な面持ちで安原を見みやった。 「残念ながら今のところは相思相愛ではないようですので、冷やかすのは結婚式まで勘弁して差し上げます」 「ずーーっと勘弁してて下さい」 「そう言わずに。お二人の結婚式に出席するのが僕の夢なんですから」 「面白がらないで下さい!」 「本気なんですけどねぇ」 安原は笑いながら自分の席に戻って行った。 「ナル、お茶飲むよね?」 「ああ」 麻衣は荷物を置くと安原にもリクエストを聞いて給湯室に消えていった。 ナルは所長室に入り、椅子に腰かけてパソコンの電源を入れる。 メール等チェックをしていると トントン、ノック音が響く。 麻衣だ。黙っていると勝手に扉が開いた。 「お茶だよ~」 ナルが頷くと、麻衣はいつもの場所に紅茶を置いて退室した。 静かな所長室に紅茶の香りが広がる。一口含み、英国から持ってきたファイルを開く。 帰国後第一日目の朝は、落ち着いた満足な始まりだった。 が、この静寂は早々に破られることになる・・・。 * * * トントン お昼近く、扉を叩く音で静寂は破られた。 応じると遠慮がちな声がした。 「渋谷さん、ちょっとよろしおますか?」 この声はジョンだ。遠慮がちに入室し、柔らかな笑みを浮かべた。 「お久しぶりどす。入院しはったと伺いましたがもう大丈夫ですやろか」 「ああ、問題ない」 「そうどすか。それはようございました。でも今年は残暑が厳しいですさかい、無理せんといて下さい」 彼らしい心配に苦笑して返した。 真に無欲な聖職者の前では、流石のナルも余計な心配は無用と切って捨てることがしにくいようだ。 「今日は渋谷さんにお願いがありまして寄らせてもらいましてん」 ジョンがお願いなんて珍しい。ナルも少し驚いたように頷く。 「リンさんから麻衣さんと婚約なさったと聞きました。おめでとうございます」 「・・・どうも」 騙し打ちで了承させた自覚があるだけに、素直に祝福されると少々居心地が悪い。 「お二人の結婚式は僕に挙げさせて欲しいんどす」 「は?」 「あ、もちろん日本で挙げる場合どす。お国でなさる場合は宗派が違うんで問題ですが、日本なら鷹揚ですさかい問題ないですやろ?」 「・・・問題はないでしょうね」 問題があるとすれば式をするかどうかだ。麻衣はまだ結婚することを了承していない。 「あんじょう考えといておくれやす」 「分かった」 ジョンは嬉しそうに笑うと「ほな今日はお暇させて頂きます」と退室していった。 「・・・・・・・・・」 リンから経緯を聞いてるなら結婚出来るか否かはまだ未定だ。なのに「結婚式を挙げさせてくれ」とは気が早すぎる。 これは麻衣を口説き落せるようナルを応援してるのか、結婚だけは正規な手続きを踏んで皆の前でキチンと挙げろという牽制か、どちらともとれる発言だ。 だがジョンは純粋に二人の幸せを願っているだけだろう。 すなわち、相思相愛の幸せな結婚をして欲しいという願いだ。 現状を思えばこの上なく難しい注文だ。 こっそり溜息をついたナルだった。 * * * 次に静寂を破ったのは女性陣だった。 「お邪魔するわよ」 ノックもせずに入室してきた綾子に、ナルはしんなりと眉をしかめた。 「リンから聞いたわよ~、麻衣と婚約したんだって?一応おめでとうと言っとくわ」 「・・・どうも」 綾子は祝福とはほど遠い表情と微妙な言い方だった。 「はい、これ私からの婚約祝い」 渡されたのは白い箱に銀字のアルファベットでSGと書かれていた。何が入っているのか、非常に軽い。 「?」 「ちゃんと避妊はしなさいね」 にっこり笑顔付きで言われて箱をよく見ると、小さい商品説明に『避妊具、24個入りのお徳用パック』とも書かれている。箱の中身はコンドームだった。 「出来ちゃった婚を否定するつもりはないわ。私くらいの歳になったらいいのよ。いい大人で社会人なんだから。でも麻衣は学生なのよ。しかも身寄りがないんだから自然人の評価は厳しい。あの子にそんな不名誉なことはさせないでよね」 「・・・留意しましょう」 それ以外に何と言えばいいのだろうか・・・。 「それだけよ。邪魔したわね」 「・・・・・・」 「あ、麻衣借りてくから!」 言い捨てて、返事を待たずに嵐のように去って行った。 女性と結婚する理由として妊娠させたから責任をとるというのもあるが、そのような外道な真似をするつもりは断じてない。しかしコレを渡され釘を刺されるということは、その可能性も有り得ると疑われたようで気分が悪い。ナルをからかいたいだけか、本気の牽制か、恐らく両方の意味を込めた箱をナルは忌々しげに睨んだ。だが捨てずにデスクの奥に仕舞い込む。いずれ使う機会があるかもしれないからだ。 洒落と牽制を兼ねた実用的な祝い品に、複雑な気分のナルだった。 * * * 綾子が去って直ぐ後に、コンコンと軽いノック音が響いた。 応じると涼やかな声が聞こえた。 「お邪魔してよろしいかしら」 (今度は原さんか・・・) ナルがうんざりとした気分で応じると、楚々とした振舞で入室した。 「麻衣から聞きましたわ。ご婚約おめでとうございます」 「・・・どうも」 麻衣から聞いたというなら碌な用件じゃないだろう。ついぞんざいな口調になる。 だが真砂子はそんなナルを小さく笑った。 「嫌味じゃありませんのよ?私本気で喜んでますの」 「・・・・・・」 「けして褒められた経緯ではありませんけど、麻衣にはそれくらい強引なほうが良いと思いますの。でないと麻衣はいつまで経ってもジーンに縛られたままですわ」 全てを知っている麻衣の親友はジーンとのことをずっと憂慮していた。 ジーンを超える相手などなかなかいない。だがナルならその可能性がある。それもナルが積極的に動くのなら期待出来る。しかもナルは自分がかつて好きだった相手。彼にも幸せになってもらいたい。麻衣となら相手に不足は無い。真砂子としては二人が纏まってくれるのが一番喜ばしい。 「ですからナルには頑張って下さらないと困ります。しっかり繋ぎとめて麻衣を落として下さいませ。そのための助力なら惜しみませんことよ?」 「・・・どうも」 今度はマシな口調でナルが応じた。余計なお世話と言わないだけマシな方だろう。それに満足したように微笑んで「失礼しますわ」と扉に向かう。だが去り際「でも・・・」と呟いた。 「麻衣を悲しませたら・・・呪いますから」 にっこりと艶然と微笑みながら言い残し、扉を閉じた。 脅迫と紙一重の応援に、溜息をついたナルだった。 * * * 次々と訪れるイレギュラーズに集中力を殺がれた。ナルは気分転換にお茶を頼もうとしたが肝心のお茶汲みバイトがいなかった。 「谷山さんなら松崎さんと原さんに連れられて出掛けましたよ」 「そうですか」 確か松崎さんがそんなことを言っていたのを思い出す。本を片手に、ナルは小さくため息をついてソファに腰掛けた。 「お疲れのようですねぇ、お茶を淹れましょうか?」 「お願いします」 安原さんは含み笑いをしながら「はい」と給湯室へ消えた。 ナルは本を広げようとしたところで、本日最後の客が来た。 カランコローン・・・ 「よーナルちゃん久しぶり!入院したらしいが大丈夫か?」 軽い調子でやってきたのはぼーさんだった。 「問題ない。・・・で?」 「ん?」 「前置きはいらない。要件をどうぞ」 滝川が来た理由など分かり切っている。 「せっかちな男はモテないぞ?」 「間に合ってます」 「『麻衣』にもモテないぞ?」 「・・・・・・」 「『間に合ってます』とは言わないんだな」 「回りくどい男もモテないと思いますが?」 「まぁな」 滝川はナルの前に腰掛けた。 「婚約の話は聞いた。その手段も聞いた。それに関しちゃ色々言いたいこともあっけど、もう過ぎたことだからとりあえず不問にしとく。だけどな、これだけは聞きたい」 「お前、麻衣が好きなのか?」 軽い口調の割には真剣な眼差しでひたとナルを見つめた。見返すナルには僅かの動揺も見られない。静かな表情で滝川を見つめていた。 「・・・答える気は無しかよ」 「いや・・・」 ナルは小さな溜息を零した。自分でも確とした答えがでないことを他人に話すのは抵抗がある。しかし話さない訳にはいかないだろう。 「ぼーさんが望むような意味ではNOだろう」 感情の見えない口調だった。 「おい・・・ふざけるなよ」 「ふざけてなどいない」 「じゃぁ何で麻衣と婚約なんかしたんだよ。惚れて、この女と家庭を持って幸せになりてぇって思うから結婚を申込むもんだぞ?」 「だろうな」 「そんなんで結婚して麻衣を幸せに出来んのか?」 滝川はその覚悟があるのかと問うと、それまで他人事のように答えてたナルに初めて変化が現れた。 「麻衣を幸せにする覚悟?そんなものあるわけがない」 「ナルッ!」 皮肉気に口を歪めたナルに滝川が激昂しかける。それに冷や水をかけるようにナルが問いかけた。 「ではぼーさんは麻衣を幸せにする自信があるのか?」 「ッ・・・・・・」 一瞬言葉が出なかった。滝川は麻衣の幸せを願っている。だがそれが自分の役目だと考えた事は無い。出来るかと問われれば答えに詰ってしまう。 「自分が出来無いことを人に求めるな。麻衣の幸せは麻衣が自分で掴むものだ。それを自分が与える自信があると答えるほど傲慢にはなれない」 突き放したようにも、謙虚にも聞こえる答えだ。滝川は頭をガシガシ掻いた。 「俺はお前が何考えてるのか全くわからん!が、麻衣のことなら少しは分かる。あいつは寂しがり屋だ。おめーはその点じゃ麻衣の旦那には不適格だと思う」 「・・・」 「だがな、麻衣の中にでんと居座るお前の兄ちゃんにとって代われるのはお前しかいないかもしれねぇとも思ってる」 「ジーンの身代わりになれと?」 「いいや。ジーンを忘れさせてやって欲しい」 「何故?」 「へ?」 「麻衣が誰を想おうが自由だ。今がジーンが上でも新たな家族が出来れば自然と優先順位は下がるだろう。無理に忘れさせる必要もないと思うが」 「そうかもしれないが・・・ナルは麻衣がジーンが好きなままで構わないのか?」 「ああ」 「嫌じゃないか?」 「別に」 「何でまた・・・」 「どーせ死者は何も出来ない。結婚を邪魔出来るわけでもなし、放っておけばいい」 達観したようなセリフに唖然としてしまう。 「・・・でもな、麻衣だって好きな相手と結婚する方が幸せだぞ?麻衣を自分に惚れさせて結婚しようとは考えないのか?」 「これだけ長い間傍にいて僕に好意を抱かないなら今更じゃないか?」 ナルは面倒くさそうに答えた。 麻衣がナルのことを好きになるとは露とも考えてないらしい。好かれる自信が無いというより、決定事項だと思ってるようだ。 (あぁもうわっかんねぇ!) ナルが麻衣の事を好きなら応援しようと決めていた。だがナルは麻衣のことを好きかどうか分からないという。しかも好いてもらおうとも考えてないという。とても滝川には理解できない思考回路だ。 「・・・でも麻衣と結婚したいんだな」 「一応」 「”麻衣”がいいんだな」 「・・・くどいぞぼーさん」 「そうなんだな!」 しつこく聞いてくるぼーさんに、ナルは面倒くさそうに「ああ」と頷いた。 「分かった。もう何も言わん。頑張れ」 「・・・どうも」 父上からの結婚お許しが出たのに、ナルはちっとも嬉しそうじゃない。 「あ、これだけは言っておく」 ナルが「何も言わないんじゃなかったのか?」と言わんばかりの目でぼーさんを見た。 「麻衣に優しくしてやってくれ。それだけは頼む」 小さな溜息が返事だった。 * * * 「お疲れ様でした」 滝川がいなくなった頃を見計らい、安原が紅茶を差し出した。ナルはティーカップを受け取り、溜息をひとつ零した。 「安原さんも何かあるなら今のうちにどうぞ」 「僕ですか?」 二人にはなくとも自分にはあるんじゃないか?と目線を送る。 安原は「人の恋路に口出すほど野暮じゃありませんよ」と苦笑した。 「強いて言えば、同年代の彼女持ちに相談したい時は24時間年中無休で受付ておりますので遠慮なくどうぞ」 ナルからは返事は無く、疲れたような溜息が零れた。 以前の彼なら、こんなことを言おうものなら手痛い嫌味が帰って来ただろう。それどころか、結構です、と跳ねのけない程度に女心に疎い自覚はあるようだ。凄い変化だと安原は感心した。 難攻不落の孤高の科学者がたった一人の少女の為に少しずつ変化しはじめた。 いや、進化しはじめたと言うべきかもしれない。 その瞬間に立ちえ会えるなんてこの上なく愉快だった。 安原はにんまりと顔を綻ばして仕事を再開した。 * * * コンコン・・・、遠慮がちにノックされた。 「只今戻りました」 恐る恐ると顔を出したのは麻衣だった。時計を見ると原さん達と出掛けてから2時間も経っている。 「昼休憩にしては長すぎるのでは?」 「ごめんなさい」 麻衣は素直にぺこりと頭を下げた。 入室しきた麻衣は手に紅茶ポットと一口サイズのサンドイッチが乗るトレイを持っていた。 「ナルが何も食べてないって聞いたから」 麻衣はにへらと笑って勝手に応接セットにトレイを置く。紅茶は飲むがサンドイッチは不要だ。しかしナルは素直に手を伸ばし、野菜サンドを一つ抓んだ。 「ありゃ?素直に食べるなんて珍しいね」 麻衣は嬉しそうにポットからティーカップに紅茶を注ぐ。湯気が立上り、香りが鼻腔をくすぐった。麻衣は立去らずに近くの椅子を引っ張ってきて腰かけ、サンドイッチを一つ抓む。 「まだサボるつもりか」 「ごめん。でも一個だけ」 麻衣はジャム入りのサンドイッチを口に運びながら、はぁ~と大きくため息をついた。 「真砂子と綾子に無茶するなってさんざん叱られちゃってさ~・・・」 ホテルでのことだろう。自分もそう思ったが、その無茶に助けられた身としては言うべきじゃない。 「婚約のこともいろいろ言われちゃった。綾子は『流されて結婚するに一票』で、真砂子は『絆されて結婚するに一票』だってさ。面白がってんの!ジョンは『頑張っておくれやす』、ぼーさんにも『まぁ頑張れ』って言われちゃった。一体何を頑張るんだか・・・。あ、でも誰も反対はしなかったよ」 「・・・・・・・・・」 「でもね、賛成もされなかった。ちゃんと自分で考えなさいってことだよね」 イレギュラーズは前科のある自分には警告を、麻衣に関しては見守る姿勢を貫くつもりらしい。 「ナルも何か言われた?」 「・・・・・・」 「お疲れ様~」 沈黙は肯定。麻衣はあははと他人事のように笑った。 「へっへ~、その分じゃ結構絞られたな?日本じゃ味方がたくさんいるもんね。ナルの好き勝手にはさせないからねッ」 麻衣が強気な顔でビシッと指を突きつけてきた。ナルは眉をしかめて不心得者の鼻を摘んでやる。 「指差すな。行儀が悪い」 「痛い痛い痛い!!」 もがく麻衣が「ごめんなさーい」と言ったところで手を離してやる。 「安心しろ。婚約の時のようなことはもうしない」 「ホント?」 「ああ。騙して結婚しても碌なことにはならないからな」 「そりゃそっか」 麻衣は「良かった~」と胸を撫で下ろした。が、ナルは得意の皮肉な、でも悪魔的に綺麗な笑みを浮かべた。 「だが手加減はしない。覚悟しとけ」 (ひぃぃぃぃ) ナルの宣戦布告とも言える発言に麻衣は声に無い悲鳴を上げた。 「・・・ほどほどでお願いします」 恐る恐る言う麻衣に返ってきた返事は「仕事に戻れ」と無情なものだった・・・。 英国とは違って砦の多い日本では(仮)婚約者は苦戦を強いられること必須。 (仮)が取れるか否か、ここからが本番です。 |
騙しはしないけどイロイロ仕掛ける予定な博士です。がんばれー! 2012.01.18 |
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