保護者会Ⅱ-完結編プロローグ- 

 帰国した当日、リンはイレギュラーズ+安原に拉致られた。真砂子のみ、麻衣から話を直接聞きたいと出席していない。
 そして新宿の某居酒屋にて英国での出来事を白状させられた。
 研究所での研修生活や、調査時の二人の遣り取り、そしてキャサリン事件に最後の婚約騒動まで、あらいざらいしゃべらされた。寡黙なリンにしてみれば一週間分くらいの労力だった。
「はぁ~ドラマのようですね」
「ドラマ以上よ。前後編の映画が作れるわ」
「なんや渋谷さんらしいエピソードな気もしやすけど、お気の毒でしたなぁ」
「・・・・・・・・・」
 長い長い話を聞かされた面々は思い思いの感想を漏らした。滝川のみ沈黙を保ったまま酒杯(日本酒)を傾けている。リンのように穏やかな沈黙とは違い、背後に暗雲を背負っているかのようだ。だが皆はキレーに無視して話を進める。
「お二人とも体の具合は平気なんですやろか?」
「はい。ナルはいつものことですから心配には及びません。谷山さんは若干痛みはあるようですがほぼ全快してるそうです」
「それは良かったです」
「軽くすんで幸いでしたね」
「ホントよ!未婚の女の子に一生残る傷を作らせるなんてとんでもないわ!責任問題よね!」
「責任ならキッチリ取ってるじゃないですか。婚約しちゃったんだし?コレ以上の責任の取り方はないでしょう」
「そう言えばそうよね」
「そうどすなぁ」
 安原、綾子、ジョンがあはははと能天気に笑っている中、ピシリと不穏な音が響いた。が、賑やかに話す皆は誰も気付かない。
「でも怪我してからまだ一週間でしょ?足に痛めてたし、風呂の無い階段使うアパート暮らしは大変よね。うちに来るよう言おうかしら」
「それには及びません。谷山さんは暫くナルの家にいるそうです」
「おや!急接近ですね~」
「あらまぁ、早くも同棲?」
「ま、松崎さん・・・」
 リンの言葉に皆驚きの声を上げる。下世話な揶揄にジョンは慌て、リンは苦笑して首をふった。この時にもまたピシリと音がなったが皆の声に掻き消された。
「谷山さんは病み上がりのナルの生活を面倒見てもらうようルエラとまどかに頼まれただけです。通うのは大変ですから暫く泊ることにしたそうです」
「そうですか。9月になっても暑いですからね。谷山さんにとってもその方が良いかもしれません」
「怪我してる身でエアコンのない生活は厳しいわよね。患部は清潔にしなきゃいけないけど風呂なしの部屋じゃシャワーだって毎日浴びれないし」
「さいですね。熱いと傷痕が悪化する可能性もありますからその方が良いですやろ」
「いっそのことずっと同居しちゃえばいいのに」
 綾子の発言にまたピシリピシリと音がする。が、楽しく会話してる面々は気付かない。
「悪くないですね」
 意外にも真っ先に同意したのはリンだった。
「おや、リンさんが肯定するなんて意外ですね。結婚するまでは反対なさるかと思いましたが」
「二人とも成人してますし、婚約までしてれば外聞も悪くありませんから」
「ナルのお守はもう卒業したいだけじゃないのー?」
「否定はしません」
 意地悪そうに言った綾子にリンはしれっと答えた。
「でも麻衣さんは結婚に承諾したわけではないんですやろ?気が早いと違いますか?」
 心配げに言うジョンに、リンは少しだけ考えるようにして言った。
「そうですが・・・時間の問題だと思います。ナルは本気ですから」

 パリンッ!!

 物が割れる音に今度は皆も気づいた。
 音の発生源は滝川だった。その手元が濡れ、陶器の破片が散らばっている。
「滝川さんッ、大丈夫どすか?」
「タオルタオル」
「怪我はない?」
 綾子が滝川の手の平を確認し、ジョンと安原が店員を呼び破片を集めタオルで周囲をぬぐいはじめた。幸い、滝川に怪我は無いようだ。すぐ店員が新しいタオルを運び破片を片付けて元の状態に整えられた。
 滝川は周囲が慌ただしく働くなかずっと無言だったが、ぼそりと呟いた。

「ふざけるな」

「俺は認めねーぞ。ナルもリンも麻衣を何だと思ってんだ。騙し打ちで婚約なんかさせやがって・・・ふざけんのも大概にしろッ!」
 徳利は滝川の怒りを受けて割られたようだ。その手は怒りのためかまだ震えている。そして目はリンに向けられていた。リンは僅かに目を伏せ、だがきっちり滝川に目を向けて答えた。
「・・・手段は問題だと思いましたが、決してふざけてなどいません。ナルは真剣です」
「余計悪いわッ!冗談の方がまだマシだ。結局ナル坊は自分の都合に麻衣を巻き込んだだけだろうが!」
「そうですね。今回のことでナルは誰かと結婚する必要性を痛感したようです。空白の席には誰かが座りたがる。それなら自分で選んだ相手を座らせた方が良いと考えたのでしょう」
「結局自分の都合じゃねーか」
「ですがその相手に、最も親しい異性の谷山さんを選んだのはとても自然な流れです。悪い事だとは思いません」
「根本的な問題がある。ナルは麻衣を女として愛してるか?違うだろうが」
「かもしれません。ですがナルにとって谷山さんは特別な存在です。ナルなりに大事にしてますし、破格の扱いをしてると言ってもいい。それは滝川さんもお分かりでは?」
 この数年二人を見てきた限り、それには頷くしかない。だがそれはあくまで男女の関係ではない。
「恋愛感情抜きでな」
「確かにそうですが、結婚するのに本気で愛してるか否かなんて必要でしょうか?恋愛と違い結婚は未来への約束です。恋情という動機よりもお互いへの理解と協力が重要です。その点、二人は十分です。私は良い夫婦になると思います」
 リンが話す内容に滝川も同感する部分は有る。だがそれは二人が結婚に納得してたら頷ける話だ。
 リンの話では二人の間に愛情は無く、丁度いい位置に麻衣がいたから無理矢理婚約させたようにしか聞こえない。時間をかければ纏まりそうな二人なのに、何で過程をすっとばして結論だけ得るような真似をするのか。ナルはそれで良くても、普通の感覚を持つ麻衣があんまりにも可哀想だ。
「何でもっと麻衣のことを思いやれねーんだ?将来働くかもしれないとこでナルの婚約者なんて発表されたら冗談じゃすまねーだろ。麻衣が可哀想じゃねーか。何で時間かけて麻衣も自分から頷けるようになるまで待てなかったんだ。もうちょっとやりようがあるだろう・・・」
 麻衣を心配して苦く呟く滝川に、リンも苦い面持ちで言い添える。
「・・・それは私も同感ですが・・・ナルはあれで精一杯だったのではないかと」
「精一杯?」
「余裕が無いんですよ。恐らくナルは谷山さんが好きなのでしょう。だから手に入れたかった。それに手段を選んでいられなかった・・・というのが実情だと思います」
「ナルが麻衣を好きだって?じゃあ何で麻衣にそう言わないんだよ。そうすりゃ俺だって・・・」
「恐らく無自覚です。ナルも分かってないと思います」
「は?無自覚?」
「私にもナルの考えてることはよくわかりません。ただナルの行動だけを見ればそういうことかと推察しただけです」
 確かにリンの言うように、麻衣の事を好きで結婚したいと考えるなら、今回のような絶好のチャンスを逃すナルではない。だが愛情を持ってる相手に対して、想いを告げずにあんあ強引な手段をとったら逆効果だ。まず間違いなく相手は怒り、想いは受け入れられないだろう。
「・・・なんか違和感がありますよね」
 ボソリと言ったのは安原だ。それは皆の気持ちを代弁していた。
 ナルが麻衣に対して恋愛感情のある素振りを見せた事は一度もない。単に自分の都合に麻衣を利用しただけと言われた方が納得しやすい。
 ナルは麻衣のことを大事にしていても恋愛感情はないというのが皆の共通認識だった。
 納得出来ない綾子はリンに問い質す。
「ナルが無自覚で麻衣を好きって・・・そんなことあるの?」
「ナルはそういう感情が分からないようです。『多分ナルは誰も好きじゃない。ただ無視できない相手がいるだけ』と、ジーンは言ってました」
「恋愛感情が分からないってこと?」
「家族や友人への好意もよく分からないそうです。尊敬や感謝など理屈で分かる感情は理解してても、純粋に湧き上がる好意のような感情が分からない。好意を抱いてるのかもしれない相手も、よく分からないので『無視できない相手』に分類してるそうです」
 リンの言葉に皆は唖然とする。恋愛感情どころか、家族や友人への愛情もよく分からないなど普通は有り得ない。しかしナルの片割れ、ジーンが言うなら間違いないだろう。
「・・・僕は前から思っていたのですが、所長はアスペルガー症のようなところがありますよね」
 安原が遠慮がちに発言した。それに対してリンは何も答えない。視線を向けただけでその表情からは肯定も否定も見えなかった。
「アスペルガーって・・・、頭は滅法良いけど人とのコミュニケーション能力が問題有る発達障害のあれか?」
「はい。知的障害がない自閉症とも言われてます。知能指数が高く、特定の分野への強いこだわりを示し、その分野で大成することもありますが、反面、他者へ興味を持てずコミュニケーション能力に問題がある障害です。所長の場合は特殊な生い立ちと能力がありますので一概には言えませんが、可能性はあるかと。とても頭の良い方で健全な道徳観念の持ち主なのに、何故あんなにコミュニケーションの取り方が下手なのか?アスペルガー症候群であれば納得するんです」
「確かになあ・・・」
「さいですね・・・」
 なるほどと反応を見せた滝川とジョンと違い、綾子だけはふんっと鼻を鳴らした。
「昔からそんな人はいたわよ。天才となんとかは紙一重って言うじゃない。それにわざわざ名前をつけて病気扱いにするってどうかと思うのよね。個性みたいなもんで関係無いわよ」
「それには同感なんですが・・・ただ昔は実害がなければ大抵のことは許容してくれましたが、最近は他者へ対し無暗に厳しくなる傾向があります。病気だと名前をつけて認知が広がれば障害を持った方が理解されやすくなる。また悩んでる方も自分の状態に気付きやすく改善しやすくなるという利点もあります」
「さいですね。昔に比べると最近は余裕の無い方が多いですさかい、病気だと理解されれば周囲の対応も少しは柔らかくなりますよって」
「鬱病もそうだよな」
「余裕の無い社会が病気扱いにしたってこと?」
「そうとばかりは言えませんが、昔に比べて人間関係が複雑になってきたので問題になりやすくなったとは思います」
「知られるようになったのはこの近年だよな」
「そうですね。事件があったのでそれがきっかけで話題になりましたね」
 この症例に関しては1990年代から徐々に世界に知られていった。近年、この症例の男性が事件を起こしたので一時期メディアで取り上げられたことがある。
「話はそれましたが、所長はああいう人なので、周囲は温かい目で見守るべきかと思います」
「そうね。麻衣だって流され安いし絆されやすいけど馬鹿じゃない。本気で嫌だったらナルをひっぱたいてでも婚約破棄するわよ。ちゃんと自分で決められるまで下手に外野が騒ぐことじゃないわ」
「僕もそう思います。渋谷さんは信頼のおける人ですさかい、悪い結果にはならないと思いますです」
「・・・・・・・・・」
 自分だってナル坊のことは信頼している。麻衣だって大丈夫だと思う。皆の言い分の方が正しい。外野が口をだすことではないと分かっている。分かっているがまだ納得しきれない。滝川は黙ってしまった。
 その肩をまぁまぁと叩いたのは安原だ。
「可愛い愛娘を持ってかれるのは誰だって嫌でしょうが、見ず知らずの誰かよりは断然マシですよ。僕の妹に見ず知らずの男を彼氏として紹介された時は面白くありませんでした。谷山さんは僕にとっても妹みたいなもんです。所長ならかえって安心ですよ」
「・・・・・・・・・」
 それには心当たりがある。麻衣に彼氏が出来るたびに面白くない思いをした。その点、ナルなら色々問題あるが、ある意味安心でもある。滝川の眉間の皺は少しだけ和らいだ。
「それに想像すると楽しくありません?首尾よくお二人が付き合ったとしても、何度も喧嘩したり破局寸前になりますよ。その都度慌てる所長が見れるかと思うと楽しみで楽しみで・・・」
「それは私も楽しみ」
「あ、ありそうでんなぁ・・・」
 綾子はにんまり、ジョンも苦笑しながら否定しない、リンですら視線を反らしてうっすらと口元が笑っている。あの天上天下唯我独尊のナルが慣れない恋模様で慌てる様を想像すると笑わずにはいられないようだ。しかし滝川だけは不機嫌な顔を崩さなかった。
「あのな、それで泣かされるのは麻衣なんだぞ?あんな恋愛に不向きな男、間違いなく麻衣は苦労するぞ?」
「何言ってんですか。苦労しない恋愛なんてありませんよ。誰かと真剣に付き合って傷付かないことなんてありません。相手が誰でも同じですよ」
 これまたキッパリ言われると、滝川はぐうの音も出なかった。
「さいですね。ホントにその通りだと思います」
「さすが彼女持ちは言うことが違うわね~」
「からかわないで下さいよ」
 感心するようにジョンと綾子が言うと、安原は少し照れた様子を見せて額を掻いた。安原は真砂子と付き合いだして一年近くになる。何でも卒なくこなす安原も、恋の道だけはそうはいかなかったらしい。紆余曲折あって今は真砂子と幸せにやっているようだ。
 そんな安原だからこそ、ナルの慣れない恋の道行きを応援したいのかもしれない。
「それに所長はご自分の事はよく分かってると思いますよ。分かった上で改善するつもりがなかったんだと思います。そのせいでこれから谷山さんとのことで絶対苦労するでしょうね。自業自得ですよ」
 安原の『自業自得』発言に皆が噴出した。滝川も苦笑した。
「確かに自覚してても改善する気はなさそうだよな」
「ええ、仕事で必要な時以外、自分から改善する気は皆無です」
「渋谷さんは仕事しか目に入らないお人ですさかい・・・」
「お兄ちゃんが注意しても『僕には必要無い』で切って捨てたでしょうね」
「その通りです」
「仕事と恋愛は違うもの。ふふふ、苦労するわよ~あの坊ちゃん」
「だろうな・・・」
「初めての経験でしょうからね~」
 綾子はちょっとばかり人の悪い笑みを浮かべた。他の面々も似たような顔だが、ジョンのみはニコニコと人の良い笑みを浮かべている。
「とういうことは、麻衣さんが渋谷さんにとっての初恋なんですやろか。なんや素敵どすなぁ」
 流石は神父、周りのように人の恋路を笑うことはしない。ひたすら二人の幸せを願っているようだ。
「初恋・・・」
「あのナルちゃんが初恋・・・」
「なんて違和感のある言葉・・・」
 ジョンの初恋発言に皆はその似合わなさ加減に微妙な表情になる。失礼だが、犬と猿が結婚すると聞いたような有り得無さがある。遅すぎる初恋に笑ってもいいのに、その違和感が邪魔していた。
 そのまま話は初恋についての話題に流れて行った。

 皆が話すのを横目に、滝川は溜息をつき、酒を注文した。
 運ばれた酒を注ごうと手を伸ばすと、横からすいっと徳利をさらわれた。みるとリンだった。無言で滝川の猪口に酒が注がれた。滝川はそれを黙って受け、リンは自分の猪口にも注いだ。
 二人は猪口を持ち上げ、無言で猪口を鳴らした。
 
 一口口を付ける。

 知らず、同時に溜息をついた。


アスペルガーについては公式設定じゃないですよー。ただその可能性がありそうだなと思って。昔テレビか本かで知って、個性の一環だと笑わずに病名をつけるのがヤダなと思った覚えがある。

2012.01.12
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