終わりと始まり07

 家についたらまず風呂に入った。
 脱衣所で服を脱ぐと、その破れ具合にゾッとした。カーディガンは解れ、シャツのボタンは殆どなく布地が裂けて修復不可能となっていた。彼らは破くのを楽しんでいたとしか思えない。
 麻衣はもう見たくなくて、シャツの残骸を脱衣所のダストボックスに放り込む。
 熱いシャワーを浴びて体をごしごしと洗う。あの気色悪さを忘れたくて肌が赤くなるほどこすった。
 気が済むまでこすってから、もうもうと湯気を上げながら脱衣所に出る。
 そこで姿見を見てゾッとした。
 首と鎖骨に赤い痕が残されていた・・・。
(汚いッ)
 麻衣は咄嗟にタオルでごしごしと拭いた。皮が向けるまでこするとようやく気が済んだ。ヒリヒリと痛んだが、その痛みがあの気色悪さを拭ってくれるような気がした。
 麻衣は大きく溜息をつき、床へずるずると座り込む。
(ナルはこんな気持ちを何度も何度も味わったんだ・・・そもれもっと酷く・・・)
 夢で見ただけでは分からない本物の恐怖が体に残っている。
 少し触られただけでこんなにもおぞましい。自分が何か汚いもので汚されたような錯覚を覚えた。
 こんな気持ちは誰にも味わって欲しくない。
 ナルがあの現場から私を遠ざけた理由がよくわかる。
内緒にしておきたかった理由も。
自分が生身で襲われて初めてナルの気持ちが分かるなんて皮肉な話だ。麻衣は今更ながらに自分の無茶さ加減を反省する。
(本当に襲われて最後までされていたら・・・)
想像しただけで体が震えた。

「麻衣?」
 遅い麻衣を心配したのかナルが脱衣所をノックし、中を覗いた。麻衣を見て眉を顰める。
「何て格好でいる。風邪ひくぞ」
 麻衣はタオルを巻いただけの格好で床に座り込んでいた。ナルに見られるのは恥ずかしいが体裁を繕う余裕が無い。 
「ちょっと腰が抜けちゃって・・・」
 ナルは溜息をついて一旦脱衣所を出た後、寝室から毛布を持ってきて麻衣に被せ抱き上げた。
 軽々とリビングまで運び、ソファにおろした。
 細いくせに案外力があるのだと感心する。
 テーブルの上には紅茶が置かれていた。ティーカップを渡された。一口だけ飲んだ。
「ナルって喧嘩強かったんだね。あいつらが吹っ飛ばされて気分良かった!」
「・・・力を使ったからな」
「って駄目じゃん!」
「チャージしたから問題ない。・・・お前のカードケースが役にたったな」
「あ、ジーンと会えたんだ?」
「無理矢理繋いだ」
「へ、へぇ・・・そんなこと出来るんだ」
「さあ、怒鳴ったら繋がった」
「イギリスでナルが危なかった時もジーンが教えてくれたんだよ?すごく遠かったけど声が届いたんだ。『ナルが危ない!』って」
「緊急時限定かもしれないな」
「かもしれないね」
 黙っているのが嫌でぺらぺらどうでもいいことが口をすべる。本当はもっと話したいことがあるのにうまく言い出せない。でも何か話したくて口を開き続けた。
「でもさ、あれだね。夢で襲われるのと実際に襲われるのじゃ雲泥の違いだね。押さえ付けられた腕がまだ痛いもん。夢じゃこんなことないよね」
「・・・・・・・・・」
「最後までされなかったけど、今回でナルの気持ちが少しだけ分かった気がするな」
「・・・分かる必要は無い」
「え・・・」
「あんなものは知らないにこしたことはない」
「・・・まぁそうだよね」
 切って捨てるように言われてバツが悪くて下を向く。視界に手首が映った。そこには男に押さえ付けられた指のあとがあった。
「ッ・・・・・・・・・」
 力づくで押さえつけられた純粋な恐怖を思い出し、また体が震えた。ぎゅっと手首を握り痕を隠した。

「麻衣は僕を攻める権利がある」

 突然ナルが意外なことを言い出した。
「どういう意味?」
「僕は麻衣があの三人に押し倒され服を破かれる前に助けることが出来た。・・・だがしなかった」
 胸にひやりとした感触がした。
「麻衣が乱入するまえに、鈴木さん彼らに襲われる決定的証拠映像をとることが出来なかった。このチャンスを逃したら彼らを罪に問う証拠を掴むのは難しい。証拠映像が撮れるまで助けるつもりは無かった。・・・僕は二人が襲われるのを待っていたんだ」
「・・・・・・・・・」
「リンは麻衣が画像に映った段階で助けに行くか尋ねた。だが僕は断り、お前が押し倒され服を破かれるのを黙って見ていた。麻衣に傷がつくのを防ごうと思えば防げた。・・・恋人失格と攻められても仕方が無いな」
「ナル・・・」
 思わぬ告白に言葉が続かない。
 でも不思議と腹は立たない。確かに酷い目にあったけれど、ちゃんと助けてくれたし、何よりナルらしい。あの子達を助ける為には彼らを罪に問う必要があった。感情に流されないでちゃんと結果を出したところがとてもナルらしい。
 普通の恋人同士なら攻めて当然だろうけど、私たちは依頼を引き受けたのだからそれを解決する義務がある。今回は二度と幽霊騒ぎが起きないこと、それは彼女達が騒ぎを起こさないよう部室を平気で使える状態にすることだ。そのために彼らを罪に問う証拠が必要不可欠で、そのためなら少々のことは仕方ないと思った。
 ナルが「怒らないのか?」と言いたげにこちらを見た。
「うーんと、別に腹は立たない、かな?」
 ナルは黙って私を見つめた。
「だってあれは必要なことだったし、最後は助けてくれたもん。結果オーライだよ」
「・・・・・・・・・」
「ナルは私が襲われてもいいって思ったわけじゃないでしょ?」
「当たり前だ」
 その声は低かったが強く、硬かった。
「私も怖い目にあったけど、ナルだって私が襲われるのを見て嫌なのを我慢してくれたんでしょ?ならおあいこだよ」
 ニコリと笑うと、ナルは小さく溜息をついた。
「・・・お前は図太いな」
「ちょっ!何よソレ!!」
「褒めてるつもりだけど?」
「女の子に向かって言う言葉じゃないやい!」
 頬を膨らせて抗議すると、ナルがふと笑った。
 そして私を抱き寄せて
「・・・すぐ助けてやれなくて悪かった」
 そう耳元で囁かれた。
 じんわりと胸に沁みた。
 私は首を振って「ううん」と答えた。
「考えてみればさ、襲われたのが鈴木さんじゃなくて私で良かったよ。、私なら酷いってナルに遠慮なく文句も言えるし、こうしてナルに慰めてもらえるから」
「・・・かもしれないな」
 ナルの胸に頭を乗せてすりつけると、私の頬をなでてくれた。優しい仕草に陶然とする。
私を傷つけたのはナルかもしれないけれど、その傷を癒してくれるのもナルだ。
ならプラスマイナスゼロでいいんじゃないだろうか。
「そういいえばさ、もう逃げられないって思ったとき、『まだナルとだってしてないのにッ!』って思っっちゃった。恋人とだってマダなのにお前らにされてたまるかッ!て蹴飛ばしたかったな」
「・・・・・・・・・」
「ホント未遂で済んで良かったよ」
 あははははと笑ったら、ナルが重々しい声をだした。
「・・・麻衣」
「なに?」
「それは誘っているのか?」
「へ?」
 意味が分からなくてナルを見上げると、常に無い熱い目線で私を見ていた。
 正確には私と私の体を見ていた。
 毛布に包まれてるけれどこの下はタオル一枚だし、話してたら毛布が肩から落ちて胸の辺りまで上から丸見えだ。そんな際どい格好をしていてぴとりとくっついている。
 そんでもって自分の言ったことを思い出す。
『まだナルとだってしてないのに!』と言う事は、
『ナルとならしてもいいよ』って言ったも同然なわけで・・・
 今更だけど恥ずかしくなってきたッ!
 パッと離れようとしたらナルの腕が放してくれなかった。
 えー、あー、うーと赤くなったまま言葉を濁す。
「どうなんだ?」
 ナルが顔を寄せて問いかけてくる。静かな声のわりには目線が熱い。背中に回された手からじわりと熱が広がっていくようで、顔だけじゃなく体全体で熱くなってきた。
 私が答えるまでナルはじっと待っていた。

「・・・そうとってくれてもいい、よ」

 真っ赤になって搾り出すように言うと、ナルがふっと笑う気配がした。顔を上げさせられ、ナルの顔を至近距離で見る羽目になる。
そして口付けられた。
いつもの軽いものではなく、あの夜にしたような熱く、深いキスだった。深く貪られ、頭がぼんやりしてきた頃、ナルが離れた。ナルの口元は唾液で光っている。おそらく自分も同じだろう。
「・・・僕が怖くはないのか?」
 今日襲われたばかりだから心配してくれたのだろうか?
 でもそんなの今更だ。

「怖いよ。すごく怖い」

 ナルが好きだから嫌われるのが怖い。
 ナルが好きだから不安になる。
 ナルが好きで大事だからこそ、新たな関係を結ぶのが怖かった。でも新たな関係を望んだのはナルだ。私がお互い傷つかない距離で満足していたのに無理矢理距離を詰めてきたのはナルに他ならない。
何を今更びびっているのか。

「ナルだから怖いけど、ナルだからいいの」

 自分でも上手く言えないけどそうとしか言えなかった。
 それでもナルには通じたようで、ふと笑って再び深いキスをして・・・私を寝室に連れ去った。

2012.01.12
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