夜 05 |
「ただいまぁ・・・」 午後十一時手前、いつもならナルは書斎にいる時間だなと思いつつリビングに入るとナルがいた。ソファに腰掛け片手に持っていた本をパタンと閉じてこちらを見た。 「随分早いお帰りで?」 「あはは、ちょっと真砂子と盛り上がっちゃって・・・」 「飲んでるのか」 「ちょっとだけ。あ、前みたいに泥酔はしてないよ!」 「ならいい。・・・座れ、話がある」 「うん。私も話しがある」 麻衣はナルの隣に拳一つ分空けて腰掛けた。そしてナルを正面から見つめた。ナルも麻衣を見つめている。 視線が絡み合う・・・ 先に目を反らしたのはナルの方だった。 「・・・あれは誤解だ。麻衣が思っているような意味はない」 「誤解?」 「彼女は僕が好きな訳じゃない。彼女には別に婚約者がいる。だが事情があって男性恐怖症になり、婚約者のためにも克服したいと望んでいた。今日面会したのも治療の一貫。あのキスも挑戦したがった彼女が希望してしたものだ」 「そうなんだ・・・」 その相手に何故ナルを選んだのか知りたかった。わざわざナルを選ぶ必要は何だろう。婚約者がいると言っても本当はナルのことが好きなのかもしれない。ナルが面会を受け入れたのだから深い事情があるのだと思う。でもその事情は聞いちゃいけない気がした。本当は全部聞いて安心したかったけど我慢した。 ナルの過去は深くて底知れない。 多分聞いても全部は答えてくれない。一々気にしてたら切りが無い。ナルが彼女に対して関心がないのは分かったならそれで十分と思っとくべきだろう。 「・・・麻衣は?」 「ん?」 「話があると言っただろう」 「あ、うん・・・」 何からどう話せばいいか分からなくて先が続かない。そもそも考えてなかった。素直に好きといえばいいのかもしれないが何か違う気がする。そうこうしてるうちに隣のナルが苛立つ気配がしてきて焦る。 (あーもう当たって砕けろだ!) 突然ナルに抱きついた。 「麻衣ッ!?」 当然ナルは慌てて身を固くする。だが突き飛ばされはしなかった。そのことに麻衣は安堵する。 「あの時は逃げちゃってごめんね?」 「いや・・・」 ピタリと頬を寄せたナルの胸から心臓の鼓動が伝わる。少し早い気がするのは気のせいだろうか。麻衣だって自分から抱きついたのは大胆だと思うし恥ずかしい。私と同じくらいドキドキしてくれていたら嬉しい。麻衣は赤くなった顔を上げないまま話し続けた。 「私悔しかった。だって彼女はすごく綺麗でナルとお似合いに見えたから」 「・・・・・・」 「それにさ、私はナルとあんな風にキスしたことないもん」 「・・・あるだろう」 「誕生日のあれ?あんな当て付けのキスなんか数に入んないよ」 「そうじゃない」 ナルはため息をついて麻衣の肩に手をかけて体を離させた。麻衣は離れる体温に寂しさを感じていたらナルの手が頬を包んだ。そして至近距離にナルの顔、 (うわ・・・睫長ッ!) 驚いた瞬間、口にあたたかな感触、麻衣はナルにキスされていた。 ちゅっとリップ音を響かせて離れ、また重ねられた。麻衣はあまりのことに驚いて口を開いていた。その隙間からナルの舌が忍び込み歯列をなぞりあげ、麻衣の舌に絡んだ。 久しぶりの熱い感触に肌が泡立ち頭が痺れる・・・。 「ぁ・・・・・・」 鼻から抜ける甘い自分の声に麻衣の頭は余計に沸騰した。 何でとか、どうして、とか疑問の言葉が頭を占めたが、次第に上がる熱に全て消えうせて熱を追うのに必死になった。 いつしか自分から舌を絡め、深く深く互いの口腔をまさぐった。 最後にナルは麻衣の唇を舐めて離れた。唾液で光る麻衣の唇をナルは親指でぬぐう。呆然としている麻衣はされるがままだ。 「前にもこういうキスをした。麻衣が忘れただけ」 「うそ・・・」 「嘘じゃない。お前が泥酔した晩だ」 「全然覚えてない・・・」 「最初はお前からお仕置きと称して僕にキスした」 「うっそ・・・ごめん・・・」 ナルのキス嫌いはジーンから聞いている。翌日機嫌が悪かったのはキスのせいだったのだろうか。自分が覚えていないから言わずにいてくれたのかもしれない。 「謝ることはない。嫌じゃなかった」 「え?」 「キスは嫌いだが、麻衣からのキスは嫌じゃない」 「・・・・・・・・・」 嫌じゃないという表現は微妙で麻衣は返答に困る。見上げるナルの瞳は深くて表情が見えない。 「僕がキスを嫌いなのは過去にサイコトメリで暴行された被害者と同調したのが原因だ。体中を口と舌そして歯で蹂躙された記憶が肌に残っている。キスの感触はあのおぞましさを生々しく思い出させる」 「ナル・・・」 彼が抱えているトラウマは全然癒えてなかった。 異性に興味が沸かないという後遺症が残されただけで殆ど癒えていると勘違いしていた。彼が抱えた傷はまだ瘡蓋で、ちょっとした切欠でまた血を流すのだろう。 麻衣は堪らずに涙を零した。ナルは僅かに苦笑して麻衣の涙を拭った。 「泣くことじゃない。両親はこのことを知っているがそれでも僕にキスをする。彼らはキスはおぞましいだけじゃない。愛情表現の一つだと僕に教えたがった。僕もそれが分かったから我慢できた。特にジーンは遠慮なくしてきたな。リハビリだよと笑いながら、時に意趣返しを込めて」 「ジーンらしいね」 「ああ」 多分ご両親は遠慮がちにナルへキスしたのだと思う。でもジーンはしたい時に遠慮なくしたんだろう。それに怒るナルが簡単に想像できて、ついクスリと笑ってしまった。 「・・・麻衣とこうしているのは嫌じゃない。だが嫌悪感が拭い切れない」 嫌悪感と聞いて麻衣の体が竦む。 「麻衣にじゃない。加害者でもあった自分への嫌悪だ」 ナルは被害者だけじゃない、加害者ともサイコトメリで同調した。麻衣はナルが二重のトラウマを抱えているのだと知って、また涙が零れた。 「それはナルじゃない。ナルじゃないよ・・・」 「分かっている。だが刷り込まれた記憶は容易には消えない」 ナルは泣く麻衣を宥めるように背中を撫でた。 麻衣の薄い背中に触れていると体の奥にちりちりと炙られるような熱が産まれる。この熱が厭わしい。胸に氷が落ちたような嫌悪感が広がる。熱い衝動と冷えた嫌悪感が混ざり合い混沌と化す。 このまま麻衣と肌を重ねるのを望んでいる自分 麻衣との情交を望む自分を嫌悪感する自分 相反する自分に身動きがとれない。自分がどうしたいのか分からない。だがこの体を離そうとは思わなかった。 「・・・キスしていい?」 麻衣が震える声で問うた。ナルが頷くと、麻衣は膝立ちになりナルを見下ろした。 見上げた顔は涙に濡れていた。 ぽとりと雫が落ち、頬をすべり口角に伝わる。 麻衣は屈んでナルと唇を重ねた。 軽く舌を絡ませる。 少し塩辛い。涙味のキスだった。 「悪くない」 微笑むと、麻衣は泣きながらナルの頭をかき抱いた。 ナルは麻衣のあたたかく柔らかい胸に抱かれながら瞼を閉じる。 「・・・もう少し待て」 麻衣の腕の中でナルが囁いた。 『何に』とは言わなかったが麻衣は黙って頷いた。 そのまま朝まで二人で過ごした。 2012.5.4発行オフ本より一部削除してup このタイトルは夜は空けるんだよって意味でつけたのを思い出した。 2012.6.6 |
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