夜 04

「なんなのあれなんなのあれッ・・・・・・私だってナルとキスしたことないのに!!!」
「麻衣、声が大きいですわ」
「うううううう・・・」
 場所は表参道にあるビストロ風居酒屋。あのあと麻衣は真砂子を呼び出し、彼女おススメのこの店にヤケ酒ならぬヤケご飯を食べに来た。洋服を着た真砂子は芸能人だと周りに気付かれにくい。人目を気にせずナルが食べられない肉料理をたくさん頼んで二人でシェアした。
 真砂子にはナルへの気持ちを自覚したことを話してある。話した時は『やっとですの?随分遅かったですわね』と呆れられた。でも喜んでくれた。以来、私の愚痴をちびちび聞いてくれる。
 一応ナルには真砂子とご飯食べてくるとメールを打った。その後は携帯の電源を落としているので知らない。
「頬にキスでしょ?英国人にとっては挨拶でしょうに」
「でも私はしたことないもん!悔しいよッ!」
 ナルとのキスは騙し打ちで当てつけにされた一度きりだ。ただし、本人の記憶の上では、だが。
「何でナル本人に文句を言いませんの?」
「ナルが好きでキスしたわけじゃないのは分かってるもん・・・」
 麻衣はカジカジとジョッキを齧りながら項垂れた。
 あのナルが誰かとそういう関係になる心配なんかしてない。だけど仕事の関係でどうしてもという場合があるかもしれない。あのナルがそんなの引き受けるとは思えないけど、万が一ということもある。キャサリンの時だってちょっと間違えば危険だった。
(ナルは私の知らない世界に住んでいる)
 これが麻衣を一番不安に思っていることの一つだ。だから何が起こるか分からない。ナルを信じてもナルの答えを貰えない限りは不安だった。
「麻衣はその女性に嫉妬しましたのね」
「・・・そうだよ」
 だからナルには言いたくない。女の嫉妬なんて醜いだけだ。ナルから答えを貰うまで自分の気持ちを言いたくないというのもある。
「麻衣は良い子ですわね」
「真砂子ぉ・・・」
 大好き!と抱き付こうとしたらペシッと額を叩かれた。
「でも、恋愛なんて少し図々しいくらいがよろしくてよ」
「・・・キツイなぁ」
「麻衣から気持ちを言うつもりはありませんの?」
「それはない」
「何故ですの?ナルよりは麻衣の方が男女のお付き合いに慣れてるのだから、麻衣からリードしたほうがスムーズに行くと思いましてよ」
「だって・・・前に否定されたもん」

『僕が?ジーンが?』

 ナルは正確に私の勘違いを指摘した。
 あれはナルが正しかった。私の恋に恋していたような幼い恋心はナルを通してジーンを見つめていた。その後は時を重ねて何度も夢で再会し、本当にジーンが好きになってしまった。
 今もジーンのことが好き。これは揺るぎない。
 でもナルのことも好き。これも間違いない。
 私にとってナルとジーンはワンセット。切っても切り離せない。ジーンも好きでナルも好き。片方を好きになったら片方が好きにならなくなるなんてことはない。かといってナルとジーンを同一視しているわけじゃない。ちゃんと二人をそれぞれ好きで大事に想っている。この気持ちは上手く説明することが出来ない。だから中々自覚することが出来なかったのかもしれない。
 もし二人が生きていたら私はとても迷っただろう。ジーンに恋しつつ、ナルのことが気になって仕方なかったと思う。
 でもジーンは死んでしまっている。彼の元へ行きたいとは思わない。手をとって一緒に生きて行きたいと思えるのはナルだ。そこははっきり分かっている。
 選択肢が一つしか無かったからナルを選んだと言われれば否定出来ない。
 どっちでも良いのだろうと言われても否定出来ない。
 でもどれも正解じゃない。
 私はナルとジーン、両方選んでいる。その結果が今だと思う。この気持ちは上手く表現できない。こんな自分でも説明のつかない気持ちをナルにちゃんと伝えられる自信がない。下手するとナルとジーンを重ね合わせていると誤解されかねない。
 そして今度も否定されたら立ち直れない・・・。
 自信が持てない麻衣はナルに自分の気持ちをぶつけることに尻込みしていた。
 そう言うと、真砂子はふうとため息をついてビールジョッキを追加注文し、ずいっと私の前に差し出した。
「お飲みなさい」
「真砂子?」
「猪娘が尻込みしているなんて名折れも良いところですわ。飲んで勢いつけてどーんとぶつかってきなさい」
 首を傾げ黒髪をサラリと流し不敵に笑う真砂子は綺麗だった。瞬間、負けたくないと思った。
「・・・猪娘だとぉ、恋に悩める乙女に向かって何てこと言うだ」
「あら、猪だって恋くらいしますでしょ?」
「うーん、恋というより発情期じゃい?」
「恋の季節と言って下さいませ」
「そうともいう」
 二人して笑いながら乾杯した。持つべきものは背中を押してくれる女友達だ。






2012.5.4発行オフ本より一部削除してup

2012.6.6
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