夜 03

 面会場所はホテルのスイートの一室だった。
 チャイムを押すとメイドが扉を開けて中へ案内された。通された先には金髪の女性が一人、白いテーブルの向うに座っていた。
 彼女はSara・Henderson、僕の後援者の娘だ。
 そして、ナルがサイコトメリで助け出したことのある女性だった。
『本日は突然呼び出してしまい申し訳ありません』
『いえ・・・』
 彼女が会釈すると豊かな長い金髪がサラリと流れた。
 明るいグリーンの瞳に毛ぶる睫、ぬけるような白い肌、ほっそりとたおやかな姿は大抵の男が美しいと感想を抱くだろう。
 その美しさが仇になった。
 彼女は十五歳の頃、その美しさに目をつけた四人の男どもによって下校途中に浚われた。
 富豪の娘なため最初は身代金目的の誘拐かと思われたが一向に身代金の要求が来ない。警察に任していたが何の進展を見せないのに痺れを切らした父親が伝を辿ってナルに探し出して欲しいと依頼が来た。それが拉致されてから三日目のことだった。
 断れない筋からの経由で打診され、ナルは渋々ながらも引き受けた。彼女が現場に残していったカバンからサイコメトリし、彼女の居場所を割り出して五日目に救出された。けれど無事とは言い難く、彼女は見も心も深く傷つけられた。その後彼女は重度の男性恐怖症になった。メイドがいるとはいえ、こうして男と向かいあって座ることが出来るようになるのが不思議なほどだ。
 あの事件によって僕には一人の有力な支援者とトラウマが一つ増え、彼女には深い心の傷が残された。
 あれから七年、彼女は努力して少しずつ克服していったのだろう。

『ぜひ一度会って頂きたいの』
 そう彼女から電話がかかってきた時初めは断るつもりだった。だがどうしてもと懇願されて断り切れなかった。
『私は幼い頃からの許婚がいます。あのような目にあった私でもいいと いつまでも待つと言ってくれてます。でも私は今年で二十二・・・本当なら大学を卒業した今年に結婚するはずでした。いつまでも彼を待たせるわけにはいきません。彼に諦めてもらうよう告げるか悩んでいる時にあなたの婚約を聞いて・・・どうしてもお話ししてみたかったの』
『・・・・・・・・・』
 以前にも彼女は僕と会いたいと連絡をとってきた。彼女は自分が助けられた経緯を聞いて僕の能力を知った。そして自分の理解者として僕との面会を求めた。だがその時は断った。
『僕は加害者でもあり被害者でもあります。貴方の気持ちには寄り添えないでしょう』と。
 だが今回は違うようだと分かり会う事を了承した。

『どのようなことをお知りになりたいのです?』
 単刀直入に尋ねると彼女は口ごもった。自分に会って話したいけれど具体的には考えて無かったらしい。もしくは本題までの繋ぎの質問を考えているのかもしれない。
『婚約者はどのような方か教えて下さる?』
『馬鹿で単純でガサツ。容姿は十人並でやや小柄。気が強くて僕のことも平気で怒鳴ります』
 間髪入れずにいれたナルの返事に令嬢は一瞬息を止めた。全く褒めてないのだから返事に困る。
『まぁ・・・元気な方なのね』
『元気すぎるくらいです。よく暴走しては後始末に巻き込まれます』
『意外ですわ。博士のお相手ならお淑やかで聡明な方だと思ってましたの。彼女のどういうところがお好きなのか聞いてもよろしくて?』
『さぁ・・・よく分かりません』
 令嬢は困惑気に目を瞬いた。
『でも彼女を愛してるから婚約なさったのでしょ?』
 日本語と違い英語では『Love』と明確な言葉で問われたが、その言葉を使うのに抵抗を感じた。
 『愛』『Love』『好き』『Like』
 好意を表す言葉はいくらでもあるがどれもしっくりこない。ナルはまだ自分の気持ちを量りかねている。
 『好き』とは心ひかれる一時の感情、『愛』とは愛しいと思う母が子を想うような普遍的な情愛だろう。
 実の両親はに愛情なんて抱いたことはないし、養育してくれた両親に対しては『感謝』の方がしっくりくるし、ジーンに対しては腹立たしいと思う方が多かった。
 今、麻衣に対して最も抱く感情は『欲しい』だ。
食欲にも似た本能的な欲求に過ぎない。それが麻衣に対してだけ抱くのだから厄介だ。正直に言えば麻衣とのことは面倒ばかりでうんざりする。しかし不要と切り捨てることは出来ない。
 彼女を表現するなら『特別』これが相応しいのかもしれない。
『・・・僕は女性など研究の邪魔でしかないと思ってました。今でも思っています。でも麻衣なら邪魔にならない。傍にいても苦痛じゃない。彼女は僕にとって唯一の例外なんです』
 令嬢は少し黙りこんだあと『羨ましいわ・・・』と呟いた。
『僕は運が良いのでしょう』
『・・・・・・・・・』
『僕は何度も死にかけてます。幼い頃に両親に恵まれず栄養失調で死に掛けましたし、この異能のせいで心臓が止まったこともあります。不要なトラウマも抱えました。共に産まれた双子の兄も事故で亡くしています。ですが僕はこうして生きて研究を続けることができています。そして二人で生きていくのも悪くないという相手に巡り合った。面倒なことも多いですが、僕は運が良い方だと思ってます』
 ナルが警察や個人的な依頼で仕方なくサイコトメリした映像はほとんどグリーンのハレーションからはじまる。目の前の令嬢のように生きて救い出せた例は稀だ。
 人は死ぬより生きる方が余程辛い。だが死んだらお終い。自分の研究も何もかもが無かったことになる。なら生きていた方がマシ。死を見続けたナルはそんな死生観を抱いていた。
『・・・私もあと少しで殺されるところでした。私に飽きた彼らは証拠隠滅の為に殺して湖に沈めようと話していました。その時、初めて死ぬのが怖いと思いました。それまでは早くこの悪夢から解放して欲しい。死なせて欲しいと望んでいました。でも殺されると聞いて、初めて父母とピーター・・・婚約者の顔が目に浮かびました・・・彼らに会いたいと・・・!』
 未だ過去の記憶が彼女を苛むのだろう、嗚咽であとの言葉が続かない。治まるのを待って紅茶を勧めると、彼女は一口紅茶を含んだ。
『助け出された直後は皆に会えて生きていることを感謝しました。でも直後から毎夜見る悪夢と幻に苦しめられて何故助けたのかと逆恨みする日々でした。でも今は博士には助けて頂いたことを本当に感謝しています』
 顔を上げた彼女は涙で化粧が崩れていても美しかった。前を向いた姿勢が美しいのだろう。
 嫌々引き受けた依頼でその後の彼女には何の興味も持たなかったが、こうして立ち直ろうと努力をする彼女を見れたなら悪くない結果だった。
『私は通信制の高校を卒業し今は大学へ通っています。女性が同席して一体一でなければこうして男性とも会話が出来るようになりました。だから婚約者のピーターとなら大丈夫かもしれないと、二人で会ってみることにしました。でも駄目でした。彼のことは好ましいと思ってます。でも、どうしても・・・怖いと思ってしまうのです・・・』
 彼女の本題はこれだった。
 彼女は前に進み始め壁にぶつかった。その壁を乗り越えるために、壁を乗り越えたと思われる僕と話したかったのだろう。だが生憎と僕も彼女と大して違いは無い。
『僕と麻衣の間には肉体関係はありません』
『え・・・』
『最初は無くても問題ないと思っていました。子供を作る時だけ協力すればいいだろうと。ですがそれは僕の勝手な思い込みにすぎませんでした。彼女を好ましいと思うと同時に、男として彼女を欲しいと思うようになりました』
 聞いた彼女は身を固くした。僕のことを一人の男性と急に意識したようだ。
『こんな衝動を抱える自分が疎ましく嫌悪感さえ感じています。こう思うのは彼女だけです。彼女以外は欲しくありません。だから彼女と別れれば僕は元の自分に戻れる。ですが彼女から離れようという考えはありません。結局は自然な欲求だと認めるしかない。いずれ時間が解決するでしょう』
『・・・・・・彼女はそれで良いのかしら』
『さあ・・・不安に思ってるようですがまだ別れ話はされてませんね』
 そもそも自分の気持ちすら伝えて無い。一度爆発したきりでその後は何も言われない。よく我慢している方かもしれない。
『ピーターも別れようとは言いません・・・それで良いのかしら・・・』
『急ぐ必要は無いでしょう』
『そうですわね・・・』
 令嬢は肩の力が抜けたようだ。彼女は肩を落としてティーカップを抱え持った。
『どんな女性か見てみたいわ。写真とかありませんの?』
 胸ポケットに入れていた写真ケースを開いて見せた。ジーンと僕の写真の代わりに今は麻衣の写真が入れられている。
『あら、可愛らしい方・・・とても素敵な笑顔ね』
 写真の中の麻衣は大きな口を開けて笑っていた。確かルエラ達が記念撮影しようと言い出し、庭でマーティンが撮影した時のものだ。白いワンピースを閃かせ、馬鹿みたいに笑いながら写真を撮られていた。全員で撮った写真を家族写真のようだと嬉しそうに額に入れてリビングに飾っている。
『キスくらいはなさいました?』
 悪戯めいた瞳でされる若い女性らしい質問に、ナルは余裕の笑みで答えた。その艶やかな笑みに令嬢は一瞬呆けて見てはいけないものを見たように視線を反らした。
そして何か考えた仕草をしたあと、微笑んでティーカップを傾けた。力のある表情。彼女の中で何か答えが出たのかもしれない。

『そろそろ時間ですわね。本日はありがとうございました』
『いえ』
 有意義な時間とはいえないが、自分の状況を吐露することによって整理がついた気がする。語り過ぎた気もするが、彼女も自分も同じ病を抱えている。同病相哀れむだ。
 彼女は立ち上がって僕に手を差し出した。
『車までエスコートして下さいますか?』
 男性嫌悪症の彼女がエスコートを希望する意味は一つだけだ。
(努力する者は嫌いじゃない)
差し出された手を取る。触れた瞬間、彼女の腕が僅かに震えた。嫌悪感を必死に押し殺してるのだろう。
 二人で歩く後ろからメイドが付き従う。メイドの姿をしているが本当のところはボディガードだ。令嬢のために父親が四六時中女性の護衛をつけている。二度とあのような目に遭わないように。
 ロビーを通り、待たせているハイヤーのところまで辿りつく。運転手がやってきて扉を開く。彼女が中に乗り込む手前で手を離した。
『私、帰国したら婚約者に会いに行こうと思ってます』
『そうですか』
『餞別にキスして下さいません?』
 ナルは与えられるキスが苦手だ。あの行為の生々しさを思い出しやすいので苦手だった。彼女も他人からのキスが苦手なのかもしれない。だとしたら彼女にとってこれは実験の一環なのだろう。もしくは勢いをつけたいのかもしれない。
 ナルはかがんで彼女の顔を近づいた。唇が手が足が震えているのが気配で伝わる。でも彼女は逃げなかった。
 青ざめた頬に、触れるだけの軽いキスを落とした。
「ありがとう・・・」
「良い旅を」
 自分にしては破格な親切心を発揮して彼女を見送った。彼女は二度と僕を必要しないだろう。
そんな予感がした。

 麻衣との待合わせ時間までは少し余裕がある。
ロビーでお茶でも飲もうかとホテルに戻ろうとしたら、横から強い視線を感じた。人に見られることなど慣れているが気になってそちらを向く。
 やはり麻衣がいた。
彼女は口を引き結び僕を睨んでいた。
(あの顔は確実に見られたな・・・)
 間の悪さに溜息つきながら、ナルが麻衣に歩み寄ろうとすると・・・、麻衣は身を翻してダッシュした。その見事なスタートダッシュにナルが追いかける間もなく雑踏の中に紛れて見えなくなる。
 ナルは呆然とホテルの前で立ち尽くし、深い深い溜息を吐いた。







2012.5.4発行オフ本より一部削除してup

2012.5.27
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