夜 01


 論文明けの博士は非常にご機嫌だった。
 良質なデータとその解析結果が提出されたからだ。
深夜に勝手に付くランプと影、浄化の過程、その後の本人らしき幻までデータに残るのは珍しい。派手な事件だと機械が壊れてデータが飛ぶ。地味な現象だった分、起きる現象が予想でき、機材の設置が的確に行われクリアなデータが取れている。こうも奇麗に揃うのは珍しい。やはり日本の心霊現象は質が良い。この数日はホクホク顔でデータと報告書を読み耽っていた。
 が、少々気になることがある。
 この事件に緊急性は無かった。なのに何故僕の論文が終わるまで待たなかったのか?
 地味な現象だが僕の興味を引く依頼内容だとリンも麻衣も分かる筈なのに何故?
 自分は理論が専門だから調査が本来の仕事ではない。だが現場でしか分からないこともある。その場にいればもっと良質なデータが取れる機会があるかもしれないし、新たな発見やインスピレーションを得ることもある。現場の重要性はリンもよく理解していたはずだ。なのに緊急を要さない事件を僕の不在に引き受けたことが解せない。
 結果として十分なデータも取れ、僕が不在でも問題なく解決しているのだから不満は無い。だが解せない。
「リン、この事件には緊急性がないのに何故引き受けた?」
「何か問題がありましたか?」
「無い。だが急ぐ必要もなかった」
「依頼人の方が谷山さんの元交際相手だったからです」
「は?」
「今回の調査では谷山さんの能力が重要でした。ナルがいた場合、現在の交際相手と過去の交際相手に挟まれては谷山さんが可哀想ですし、情緒不安定になってトランスに失敗する可能性も有り得ます。ナルが不在な方が調査がスムーズに進むと判断しました」
「・・・・・・・・・」
「ナルがいない分も補おうと彼女はよく働いてくれました。トランスも浄霊も成功し依頼人へのケアも完璧でした。昔の交際相手の前ではやりにくいことも多いでしょうに、彼女は表に出さず懸命に頑張りました。結果的に正しい判断だったと思っています」
「・・・・・・・・・分かった」
 自分不在でも調査を許可していたし、かついないほうが良い状況ならば仕方ない。だがこの釈然としない気分は何だろうか・・・。
「谷山さんの元交際相手は中々の好青年でしたよ」
「それが?」
「ただの感想です」
「・・・・・・・・・」
「そう言えば論文の執筆中に随分谷山さんにお世話になりました。何かお礼をした方が宜しいですよ」
「いつから人のプライベートに口出す程暇になった?」
「谷山さんはナルの部下であって本当の恋人でもなければ夫婦でもありません。なのに自宅でナルのサポートをしている間は出勤扱いにならないので彼女は無給でした。上司として何某かの配慮をするのが当然では?」
「・・・考慮しよう」
「お願いします」
 リンはひそやかに笑んで所長室を後にした。

 引き続き調査データを見ていたナルはしんなりと眉をしかめた。
 纏めた画像データの中にテストと称したフォルダがある。中を見てみると見知らぬ男が麻衣の横にいた。これは依頼人の荒関大輔だろう。大柄で頼りがいがあり優しい気の付くタイプ・・・自分とは正反対だと麻衣は主張していたから間違いない。麻衣はこういうタイプが好きらしい。どこかぼーさんと似た雰囲気がある男だった。彼は設営を手伝っていたのか、二人仲良く荷物を運ぶ姿が映されていた。
 画面の隅にリンが映っているのでカメラテストと称して二人を撮影したのはぼーさんだろう。しかし画像を消さずにそのまま残したリンも同罪だ。
(暇人どもめ・・・)
 ナルの眉間に深い皺がよる。
 こんな下らない悪戯をしかけた二人にも腹立つが、彼らの思惑を知りながらまんまと乗せられる自分に最も腹が立つ。はっきり言って麻衣が過去の男といるのは面白くない。
麻衣が酔って本音を晒した夜から、ナルは麻衣に対して強く女を意識するようになった。
 ハッキリ言えば欲情してしまう。
 仕事中にふと白い首筋を晒したときに、ソファで寝ころび細い足がのぞいた時に、風呂上がりに擦れ違い甘い香りを漂わせた時に、無表情の仮面の下で湧きあがる衝動を懸命に散らしていた。
 夜にベッドに横たわる麻衣に触れることも止めた。触れたらそれだけじゃ済まない気がするからだ。
 このような衝動を覚えるのはかつてなく、そんな自分を持て余していた時に、丁度論文受付の発表があった。自然と意識は切り替わり論文執筆中は一切麻衣の事を忘れた。
 だが執筆が終わり日常に戻った途端、また視界に麻衣の姿が入るようになった。意識すれば視界から追いだすことは簡単だ。だが気を抜くと不意打ちで目にとまる。やり過ごすために一瞬息を止める自分が嫌になる。まるで麻衣限定の痴漢にでもなったようで気分が悪い。
 そんな時にこれだ。
 最初の交際相手。一番長く、麻衣が本気で交際していた男。
 キスした時、麻衣は慣れた仕草で僕に応えた。躊躇なく舌を差し出し絡ませた。普段の子供っぽい彼女からは想像も出来ない潤んだ瞳でこちらを見上げ、熱い体を擦り寄せて来た。あの時の麻衣は出会った頃の少女ではなく、一人の成人した女性だと思い知らされた。
 恐らくこの男がそのように麻衣を変えたのだろう。
 自分の知らない麻衣を知り、自分の触れたことない麻衣を知る男・・・。
 そう思うだけで腹の底に黒く淀んだ感情が溜る。
 これは俗にいう嫉妬というやつだろう。
(僕が調査に行かなくて正解だったかもしれないな)
 こんな気分のまま参加していれば機材が全滅しかねない。ナルは溜息をついて淀んだ感情を吐き出した。



2012.4.25
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