過去の人 05

 二日目の夜は天井の照明を点けて観察することにした。

「温度が下がり始めました」
 リンさんが言った途端、パチンとランプの明かりが灯った。
 廊下と部屋を隔てる障子に箪笥の陰が映っている。その横にジワリと薄い影が浮かび上がった。最初から明るくしていたせいか、昨夜より鮮明に映っている。今夜は影の位置に向かって数台のカメラを設置しているので複数の角度からランプと影が映し出された。

「じゃ私行ってくるから」
「はい、お気をつけて」
「へますんじゃねーぞ」
「しないですよーだ」
 麻衣はベースの隅に畳の上に腰掛けた。手にはお借りした櫛を持っている。行くと言っても直接あの部屋に行くわけじゃない。トランスして彼女に会いに行くのだ。
 先ずは目を閉じて扉を思い浮かべる。その先に昨夜見たつやさんがいることを思い浮かべる。そのイメージを固めながらギュッと体に力を篭める。そして少しずつ力を抜いていく。力を抜いていくごとに扉に近づいていくようイメージする。そして完全に力が抜けたとき、…私は扉の向うにいた。
 見回すと見覚えのある廊下。障子の影に人影が映っていた。

(…無事に開けられたみたい)

 私の能力が分かってからナルから定期的にトレーニングを受けた。自分でトランスに入れるよう、自分で行く場所をコントロール出来るように。
 力を抜く方法を教えてくれたのはジーンだけど、扉を思い浮かべる方法を考えてくれたのはナルだ。
 勝手に抜けてひっぱられるのは危険なので、知りたい情報への道筋を自分でつけるために向かう先として扉をイメージした。何故扉かと言うと、分かりやすいし、私が鍵をお守りにしているかららしい。いつも持っている鍵と連想しやすくイメージが固まりやすいから。トレーニングの甲斐あって現場ではほぼ100%トランスに入れるようになった。今回のようにつやさんの思い出深い櫛が有る場合は確実に彼女の場所へ導かれる。その分事務所での訓練は芳しくなかったけれど…。
 
 私は障子を開いて中に入る。
 目の前に白髪の老女が文机に向かっていた。遺影で見せてもらったつやさんだ。
「こんばんは」
 声をかけるとふと顔を上げてこちらを見た。
「どなた?」
「谷山麻衣と申します。先輩…いえ、大輔さんの後輩です」
「そう…でも何故ここに?」
 つやさんの質問には答えずにっこりと笑う。
「こんな時間までお仕事大変ですね」
「慣れてますから」
「でも…そろそろ休んでも大丈夫ですよ?」
「え?」
「今はしっかり娘さんが帳簿をつけています。ほら、見てください」
 麻衣はすいと人差し指を上げて遠くを指差した。
 指の先には暗闇が広がり建物が透けて見える。ぽつんと明かりが灯る場所があった。
 そこにはつやさんのように文机の前に座る女性がいた。
「淑子…」
 先輩のお母さんだ。今はつやさんの代わりに毎晩帳簿をつけている。
「ね?」
「何故あの子が・・・」
「今は女将さんとして頑張ってらっしゃいます」
「女将として?」
「ええ…」
 つやさんは私を見て目を瞬いた。そして頬に手を当てて思い悩むように首を傾けた。
「・・・私は・・・死んだのね」
「はい、残念ながら・・・」
 多分彼女は薄々感づいていたのだろう。私が来たことでハッキリ自覚したようだ。
「つやさんは今年の1月に朝突然倒れられて、そのまま目覚めなかったそうです」
「そう…何か変だとは思ってたの。こうして帳簿をつけようとしても何も浮かばない。私は死んでたのね・・・」
 彼女は顔を上げて遠くを見つめた。その視線の先には何があるのだろう。
 しばし遠くを見つけた後、彼女はぽつんと呟いた。
「・・・なら旦那のところに行きましょうかね」
 振り向いた彼女は昨夜の夢で見たつやさんだった。髪は黒く艶やかで、ピンと背筋を伸ばした佇まいが印象的だった。
 いつの間にか和室は消え闇の中に私達はいた。
 そこに一筋の光がさしている。
 白く明るい光がまっすぐ彼女の足元に届いていた。
「もう行かれますか」
「ええ」
「何か皆さんにお伝えすることがありますか?」
「無いわ。私はもう過去の人、未来ある人へ残す言葉など無駄にしかならない」
 そうキッパリと言って、彼女は一歩、光に向かって歩きだした。しかし、彼女はふと足を止めてこちらを振り向いた。
「一つだけあったわ。旦那に貰った櫛を焚きあげて頂戴」
「分かりました」
 私が頷くと、つやさんは満足そうに笑って今度は振り返らずまっすぐに歩み続け…、やがて光の中に消えた。


 * * *


 翌朝、つやさんからの伝言を伝えると、当然だけれどとても驚かれた。大輔先輩は私を初めて見るように目を見開いて私を凝視した。少しその視線が痛かった。女将さんは驚いた後、泣き笑いのように微笑んで涙を一筋零した。
「…母は女将として常に自分に厳しく、いつも前しか見てないような人でした。何も言ってくれないなんて…とても母らしいです」
 そう言って、また一筋涙を零した。
「でも正直に言えば、母と娘として少しくらい何か言って欲しかったわ…」
「ならいずれ女将さんがあちらへ行った時に恨み言を言ってみては?一言くらい言っても罰は当たらないわよって」
「ふふふ、それもいいかもしれないわ」
 女将さんは私のおどけて言ったことに、今度こそ本当に笑ってくれた。
 私もいつか両親に会えたら言いたいことがある。何でお互い天蓋孤独なのに夫婦になったの?もうちょっと考えて相手選べば良かったのに、って。言ったら「だって好きになっちゃったんだもの、仕方ないでしょ?」と母は笑って答えそうだ。父の声はもうよく覚えていないから、どんな声でどういう答えを言ってくれるか密かに楽しみにしている。
「それで櫛なんですけど…」
「ええ、構いません。正直言えば手元に残しておきたかったけれど、母が望んでないなら焚きあげて下さい。それに生前母に言われたことがあるんです。母がいつか亡くなったら形見にもらいたいと言った時、『これは私が旦那から貰って作り上げたもの。貴女は自分の旦那に買ってもらって自分の櫛を作り上げなさい』と。だから私も夫に買ってもらった自分のつげ櫛を持っているんです。まだ母のような綺麗な飴色じゃありませんが、いずれ同じように綺麗な色になるよう大事に使い続けるつもりです」
 そう言ってつやさんの櫛を大事そうに撫でた後、私に手渡してくれた。
 私はそれをぼーさんに渡した。ぼーさんは頷いて受け取り、庭に組み上げていた護摩壇の前に置いてある台に置いた。先輩のご両親と先輩の前でぼーさんはつやさんと櫛を供養するお経を唱えた。そして櫛を火に向けて放る。
 櫛を火に放った瞬間、パッと鮮やかな火花が散った。油を染み込ませた櫛なせいかすぐ炎に包まれて大きく燃え上がる。不思議と、何かのお香を焚いたような香りが広がった。
 櫛が燃えて形が無くなる頃、煙が一筋、天へと立ち上った。そして一瞬、煙がふわりと形を変えた。煙の中で小柄な女性が浮かび上がった…つやさんだ。
「母さん…」
「祖母ちゃん…」
 声を詰まらせる女将さんを、旦那さんが寄り添って支えている。
 煙の中のつやさんは一瞬微笑んで煙と共に消えた。
 火の中の櫛は真っ白な灰となり風にさらわれた。

 その晩の和室は、朝日が入るまでランプの灯らないあたたかな闇に包まれたままだった。





2012.4.25
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