二人のはじまり 05

 プルプルプル・・・ポケットに入れてた携帯が震えている。麻衣はぼんやりしながら携帯を取り出して液晶画面を見た。珍しいことに相手はナルだった。鈍い動きで通話ボタンを押した。
「にゃる?」
『・・・・・・誰だそれは』
「んん?にゃる・・・だよね?」
『誰かと代われ』
「うえ?何で??」
『いいから代われ』
「ええええ嫌だよぅお話ししようよぅ~」
 麻衣はキャラキャラ笑って会話にならない。ナルと問答をしている麻衣の携帯を横から掴む手があった。
「もしもし?麻衣の彼氏さん?」
「由美子ぉ~」
 彼女は「私の携帯なのにぃ」とジタバタしている麻衣の抵抗を余所に勝手にナルと会話をすすめている。ほどなくして会話は終わり携帯を閉じた。
「良かったわ。あと少しで彼氏さんが迎えに来てくれるって」
「うう?にゃるが来る?何で?」
「アンタが酔っ払ってるからに決まってるでしょ!」
「うーん?何でだろ・・・?」
「もう麻衣ったら飲み過ぎ!」
 麻衣はぺしんと額を叩かれ「いたい~」とグリグリと叩いた彼女に頭をすりつけた。完全な酔っ払い状態だった。 
 宴会は終わりにさしかかり、約半数がほどほどに酔い、半数の半数がほぼ素面、そのまた半数が麻衣のように手がかかる酔っ払いと化していた。明日が休みの土曜の宴会なら当然かもしれない。
 麻衣は女友達の腕にしがみつきニコニコキャラキャラと笑っている。ごろごろと甘えられて可愛いのだけれどこのまま一人で帰すのは危険すぎる。誰かの家に連れて行こうと話し合ってる時に丁度彼氏からの電話が来た。正に渡りに船だった。

 暫くすると居酒屋の入口の方からざわめく声が聞こえた。主に女性の声だった。
「・・・何か煩くない?」
「もしかして麻衣の彼氏じゃない?」
 ガラリと座敷の扉を開いて見ると、居酒屋の中をモデルのような美形の男が颯爽と歩きながらこちらに向かっていた。
「すっげキレイ・・・」「何あれ芸能人?」「モデルじゃね?」
 ナルを目撃した人達は口々に噂した。

「あ!にゃるだ~~~♪」

 ナルを見つけた麻衣が満面の笑顔でとてとてと駆け寄って行く。両手を広げて懐きに行く姿はまるで子供のよう。周囲はひゅーひゅーと囃しながら見守っていると...

 ガシィッ!

「いたいいたいたい~~ッ!」

 ナルは麻衣の額を正面から掴みギリギリと締めつけていた。ナルの白い指が孫悟空の知恵の輪のごとく麻衣の額に食い込んでいる。握ってる本人はお釈迦様というより暗黒のお釈迦様だ。光輪の変わりに見事な暗雲を背負っている。しかも顔は素晴らしく整ったままでうっすら笑みを浮かべているのが余計に恐ろしい。
 そして一言。

「酒臭い息で近づくな猿」

 絶対零度のテノールが響き渡った。

(・・・仮にも彼氏が言う台詞か?)

 その光景を見た者は誰もが思っただろう。

「ひっどーーい!おさるじゃないもん!ちゃんとにんげんだもん!」
「そうだな。猿は酒は飲まないし分を弁えてる。猿に失礼というものだな」
「うえ?おさるさんじゃなかったらなに?」
「さあな。・・・コレの荷物は?」
「あ、ここです」
 麻衣の友達が用意していた荷物をナルに渡した。
「ここの支払は・・・」
「私達が建て替えておきます。月曜日に請求すると麻衣に伝えといて下さい」
「分かりました。お世話になりました」
「いえいえいえ!」
「麻衣をよろしくね!」
 ナルは軽く会釈をし踵を返した。左手に麻衣の荷物を、右手には麻衣自身をぶら下げながら黒衣の美青年は去っていった。後日、ゼミ仲間に暗黒お釈迦さまと猿のカップルと囃したてられたそうな。


「ほら入れ」
 ナルは止めていたタクシーに麻衣を放り込み、自らも乗り込んで住所を伝えた。
「いたぁい・・・なるのばか・・・」
 ぐずる麻衣はぐずぐずと拗ねながらこてんと体を倒してナルの膝の上に頭をのせた。猫が額をすりつけるようにぐりぐりと頭を擦りつけてくる。
「重い」
「なるのばぁーっか」
「・・・・・・(怒)」
 一瞬放りだしてやりたい気に駆られが溜息一つでやり過ごし、麻衣の飴色の髪をくしゃりと掻き混ぜた。麻衣はくすぐったそうにくすくすと笑った後、舌ったらずな口調でぽつんと呟いた。
「・・・ありあと」
 ありがとうと言いたかったのかもしれない。すーすーと寝息をたてはじめた麻衣に、ナルは深い溜息をはいた。
 


 ぼんやりとした視界に白い手とコップが映った。
「飲め」
 ナルの声に何の疑いも持たずに麻衣は受け取り口を付けた。冷たい水が喉を通る。どうやら喉が渇いていたらしい。全ての水を一気に飲み干した。
「・・・ありがと」
 礼を言うとすぐ近くで溜息をついた気配がした。そちらを見るとぶれた黒い塊に見える。多分ナルだろう。彼は自分の傍から離れていった。もう一杯飲みたいなぁと思いながら。
「あっつい・・・」
 9月も半ばを過ぎて肌寒い日が増えた。薄いセーターを着ていたけれどちょっと早かったようだ。今は熱くて熱くてどうしようもない。もう家だからいっかと麻衣はもそもそとセーターを脱いだ。それだけじゃ足らなくてシャツのボタンをプチプチと外す。でもぼんやりとした視界では上手く外せない。
「麻衣ッ」
「う?」
 叱るようなナルの声にボタンを外す手を止めた。
「・・・着替えは寝室でやれ」
 ではここはどこだろう?
 麻衣は見回すとソファとテレビが見えた。自宅のリビングらしい。
「もう一杯飲め」
 差し出された水をまたごくごくと飲む。ぼんやりとした視界が少しだけクリアになってきた。それでもぐわんぐわんと目が回る。麻衣はコテンとソファに転がった。
「うー・・・あたまがガンガンしてきもちわるい・・・」
「吐くなよ」
「だいじょぶ・・・だとおもう」
「飲み過ぎだ」
「だぁってさー春日くんがいたんだもん」
「カスガ?」
「私のこと好きってゆってくれた人。いい人でさー、ぜーんぜん気にしてないそぶりしてくれんの。だっから私もふつうに話してたけどー・・・でもやっぱ気まずいんだよねー・・・」
「ふん」
 気まずい者同士が場を繋ぐために酒を注いだり注がれたりすることはよくあることだ。会話を滑らかにするために酒を飲むことも。そうしている間に酒量を超えたというのか。呆れるが理解出来なくもない。
「気を付けろ」
 ナルはもう一杯水を汲もうとコップに手を伸ばす。
「・・・ねぇナルはちゃんと考えてる?」
 振り向くと麻衣がソファから半身を起こしてこちらを見ていた。
 シャツの前ボタンが半分ほど外れ前が肌蹴ている。角度のせいで下着と白い肌が目に入り、ナルは眉を潜めて視線を外す。
「・・・何を?」
「私が言った条件」
「何だ突然に」
「だってさ、ナルってぜーんぜん変わんないんだもん。私と一緒に暮らしてても、春日くんに告白されても、ぜーんぜんかわんないんだもん」
「それが?」
「それがじゃないよッ!普通はなんかあるの!」
「例えば?」
「そんなん知らないッ!」
「麻衣?」
 叫んだ麻衣がボロボロと泣きはじめた。気が昂り情緒不安定。典型的な酔っ払いだ。支離滅裂な会話は聞くに値しない。
 だが人はこういう時にこそ本音を曝け出す。
 麻衣が春日とやらのこと以外でも不安な想いを抱えていたと知れた。他にも何かあるのだろうかと、ナルは溜息をついて麻衣の横に座る。
「ナルは何もゆってくれないッ!」
「かもな」
「このまんまでもいいんだけど、このまんまじゃやなのッ」
「そうか」
「私ばっかりでずるいッ」
「何が」
「私ばっかり考えてるッ!かすがくんはナルよりずっとずっと優しい人で好みだったのに私選べなかった!もったいなかったのに!何でナルは一人涼しいかおしてんのッ!何とも思わないわけ?結婚さえできればどうでもよいの?私のことなんてどうでもいいんだッ」
 最近の不満を吐き出した麻衣は更に大粒の涙を零す。先ほど飲んだ水が全て涙に変わったかのようにぼろぼろと零す。零れる涙を受け止めるように頬に手を添えると、麻衣が胸にしがみついてきた。そのまま更に激しく泣きだした。
 麻衣が泣く姿など見慣れている。偶然その場に何度も居合わせた。だがいつも自分が原因では無かった。
(・・・これは僕が泣かしたことになるのか?)
 いつもは平然と見ていられたが自分が原因となれば居心地が悪い。初めて麻衣を泣かしたことに戸惑いながら、ナルは黙って麻衣の息が落ち着くのをを待った。
 背中を撫でてやると次第に背中の震えは収まっていった。
「・・・別に何も考えてないわけじゃない」
「ナル?」
「ちゃんと考えている。だから安心しろ」
「ほんとに?」
「ああ。・・・どうでもいい相手にここまでしない」
 仕事を早めに切り上げて迎えに行き、眠り込んだ麻衣をタクシーから運び、尚且つ水の飲ませて介抱している。他の人間ならまず迎えに行かない。介抱もしない。誰かに任せて終わるだろう。
 しかも今は泣いてる麻衣を抱きとめながら会話している。抱きつかれた直後は驚いたが今は違和感がない。人の体温が傍らにあるのは久しぶりだ。懐かしい感覚に違和感を感じたが今は不思議と馴染んでいる。これが他の人間だったら間違いなく突き飛ばしているだろう。
 そう答えるとスキンシップが好きな麻衣は嬉しそうに体をすり寄せる。子供のような無邪気な仕草にナルは眉を潜めた。まだ酔っているようだ。自分相手ならともかく余所でもやったら問題だ。迎えに行って正解だった。
「他には?」
「さあ・・・まだよくわからない」
「なんだ、全然だめじゃん・・・」
 文句を言うがその頬はもう乾いていた。気分が上昇し始めたことに安堵する。
「だから麻衣を観察している」
「は?」
「麻衣を観察し、自分がどう思うかを観察している」
「観察って・・・まるで実験みたい」
 麻衣は不満そうに口を尖らせた。
「少なくとも僕にとっては同じようなものだな」
「え~~じゃあ私は実験動物!?」
「近いかもな」
「ひどいッ」
 麻衣はムキーッ!と猿のように顔を赤らめてひどいひどいと繰り返した。
「むぅ、悪い子にはおしおきッ!」
 突然麻衣が自分に抱きついてきた。
 チュッ
 頬に濡れた感触とリップ音。キスされたのだと知れる。硬直したナルに麻衣がにこーーーっと満足気に笑った。
「ナルってばキスが嫌いなんだって?」
「・・・誰から聞いた」
「ジーンに聞いたもんね~、試しにやってみなって!」
「余計なことを・・・」
「ホントに苦手なんだね~同じ兄弟とは思えない。ジーンなんか『練習?』とかゆって私にキスしたんだよ?しかも口に!!」
「・・・・・・」
「すっごい手慣れててさ~さすがイギリス人!って思ったもん」
「・・・・・・・・・」
「ナル?」
 黙りこんだナルをいぶかしんで麻衣が見上げてくる。アルコールで潤んだ目、赤く染まった頬、少し呂律の回らない口調、どれも麻衣が酔っている証拠だ。酔った拍子にされた悪戯くらいで怒るのも馬鹿馬鹿しい。だがその小さな唇が吐き出す言葉が気に食わなかった。
「確かにキスをされるのは苦手だが逆は問題ない」
 苛立つままに勝手に体が動いた。
「ナ・・・ん・・・」
 麻衣の小さな唇を自分の唇で塞ぐ。瞳を閉じなかったので驚きで目を見開く麻衣と目が合った。
「嫌か?」
「え・・・う・・・?」
 すぐ離れて問うと、現状を把握してない麻衣は目を瞬かせるのみ。だがその顔に嫌悪感は無かった。
「嫌じゃないな」
 急くように断じて再び口を塞ぐ。今度は喰らいつくように唇を塞いだ。
「ん・・・ぅ」
 息苦しいのか麻衣が身を捩り口を開いたのでその隙に舌を差し込む。口腔は暖かく濡れていた。舌で麻衣の舌を探り絡ませる。麻衣も抵抗せず従順に舌を絡ませてきた。麻衣は過去に交際相手がいたからティープキスにも慣れているのだろう。そう気付くと体がカッと熱くなった。擦り合わせた舌から酒を飲んだように、ゾクゾクと熱が背筋を這う。まるで麻衣自身が度数の高い酒のようだった。
 舌を絡ませたまま麻衣の腰を抱きソファの背に押し付ける。シャツのボタンの残りを外してその下の素肌に手を這わした。その滑らかさにゾッとする。
 何故自分は麻衣にキスをする?
 何故自分は肌に触れている?
 頭の片隅で疑問に思いながら体は欲求に従い動いていく。
 答えは簡単だ。そうしたいからに過ぎない。
 では何故したい?動機が分からない。
 分からずとも体は勝手に動いていく。
 脇腹を撫で上げて麻衣の小振りな胸に触れる。邪魔な下着をずらして直に触れた。やわらかな膨らみを掴む。
「いたッ」
 力を入れ過ぎたらしく麻衣は痛いと身をよじった。だが弾力のある感触が心地よく数度揉む。
「う・・・痛い・・・やだぁ・・・」
 まだ痛いとと麻衣が腕を突っ張り抵抗を示した。邪魔な腕をとり片手でまとめる。腕を上げた瞬間、涙目の麻衣と視線が合った。
 ――― 頭が冷えた。体も。
「悪かった・・・」
 ナルは身を放して麻衣の乱れた服を直してやり、寝室から毛布を運び麻衣にかけてやる。
「もう寝ろ」
 頭を撫でると麻衣は大人しく目をつむりすぐ寝息をたてた。


 ナルは今日一番の大きなため息を吐いてその場を離れた。


DTはがっつくからやーねー、うぷぷぷ~(親父笑)
2012.4.16
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