二人のはじまり 04

「で?二人はどうなってんのよ。白状しなさい」

 9月も半ばを過ぎ、夏から秋へと変わる日差しの中、オープンカフェで麻衣と真砂子と綾子の三人はお茶を楽しんでいた。
 買い物がしたかった麻衣は珍しく土曜日に休みを取っていたので、久々に真砂子と綾子の三人揃ってランチ&ショッピングを楽しんだ。それぞれに目的の品物をゲットし満足した三人は休憩がてらお茶をしようということになった。
 だが目的は休憩だけではないようだ。
 お洒落なオープンカフェにて麻衣はコーヒーフロートを、真砂子はミントティーを、綾子はティーグラッセを注文した。頼んだ品が届いて一息ついたところで徐に綾子が切り出した。ナルと麻衣が同居してから二週間以上経過した。そろそろ進展があってもおかしくない頃合だ。何かないかと二人は気になっていたようだ。
「白状も何も、変わりなしなんだけど…」
「なーにそれ、じゃぁ全然進展ないの?」
「うん」
「一つ屋根の下に男女が暮らしててそんなこと有り得ますの?」
「まぁあるんだなこれが・・・」
 綾子と真砂子は顔を見合わせて盛大な溜息を吐き出した。

「ヘタレね」
「ヘタレですわね」

 イレギュラーズの間ではジョンのナル「ヘタレ」説が浸透している。二人の進展具合を聞いては揶揄と愛情込めて「ヘタレ」と呼び称される。滅多になく博士を扱き下ろせるチャンスを誰もが逃さなかい。リンですら「ヘタレ」と聞くと苦笑するだけでフォローしない。
「全く変わりませんの?」
「まぁちょっと違うところもあるけど、ほとんど変わらないかな?」
 お互いで作ったルールを守り、割合仲良く暮らしてるほうだと思う。でもそれはただの同居レベルであって、同棲とは程遠い。少なくとも麻衣の知ってる男女のお付き合いとはかけ離れた遣り取りしかしてない。これでは進展が無いとしか言えないだろう。
 朝別々に起きて、ご飯作って一緒に食べてナルは仕事、麻衣は学校に行って、また事務所で会って一緒に帰って、ご飯作ってまた一緒に食べて、別々に寝る。それの繰り返し。
 そう話したら
「どこの熟年夫婦よ」
「枯れてますわね」
 ますます二人に呆れられた。
 確かに若い男女が一つ屋根の下、しかも寝室が一緒で(ここは恥ずかしいので内緒にしている)暮らしているのに何の進展もないのは変かもしれない。麻衣とて何かが変わると思っていたが日々は平凡に過ぎて行き、同居当初と変化がない。
 でもそれは麻衣のせいというよりナルのせいだと思う。
「私は普通だもん。ナルが枯れてるだけだいッ」
「そりゃ原因はあの坊ちゃんだと分かってるわよ。アンタは今のままでいいの?」
「うーん…」
 今の生活が不満かと言えばそうでもない。
 ナルとの通じ無さに溜息をつきたくなることもあるけど、一人より二人の方が断然良い。二人の間に何も無くても、そのせいで若干不満に感じても、同じ空間にいるだけで満たされる何かがある。
「今のままでも不満は無いんだよねぇ・・・でもあんまりにもナルが変わり無くて溜息つきたくなることもあるんだよ?」
 麻衣は俯いて飲み終わったジュースの底の氷をザクザクと掻き混ぜた。
「ナルと人並みな恋人生活が出来るとは思ってないけどさ、こう、もうちょっとナルから何かないのかなって思うのは贅沢かなぁ」
 突いた氷をさらに掻き混ぜて、手持ち無沙汰にストローを吸ってみる。溶けた水ばかりでコーヒーの味はほとんどしなかった。
「贅沢なんかじゃないわよ。それが普通よ」
「でもナルがヘタレなのは今更ですわ」
「アンタから動く気は無いの?」
「う~ん・・・」
 ストローを銜えたまま麻衣はうなった。
「私から動いたらナルの思うつぼな気がしてヤダ」
「何それ」
「ナルってさ、自分から人と付き合おうとしないで相手が動くのを待ってるとこあるんだよね。基本受け身なの。それのが対応もとりやすくて楽だから」
「積極的じゃないのは確かよね」
「今回も私が痺れを切らして動いたら良いように言い包められそうな気がする」
「考え過ぎじゃない?」
「かもしれないけど・・・」
 麻衣は銜えてたストローを放して顔を上げた。

「多分、私はナルに信じさせて欲しいんだ。二人でやってけるかって」

「「・・・・・・・・・」」
「だからそれまでは何も言わないでナルからの行動を待ってたいの」
 綾子はグラスを置き腕を組み、真砂子はミントティーを一口含んだ。
「なるほどねぇ、麻衣なりにナルを試してる訳だ」
「それくらいしても罰は当たりませんわ」
「だよね?」
 女三人でクスクスと笑って件の朴念仁がどんな行動に出るか好き勝手に想像しあった。


 * * *


「じゃ、私そろそろ行くから」
 麻衣は5時から大学の飲み会があった。ほぼ毎日バイトがある麻衣は大学の飲み会に誘われてもほとんど参加出来ない。でも今日はたまたま休みのをとっていたので珍しく参加出来るのだ。
「飲み過ぎないのよ~?」
「はーい気をつけますママ」
「油断しませんようにね?」
「大丈夫だよ!女友達と一緒だから」
 ゼミ仲間と先輩達との交流会だからいつのもメンバーがいるので安心だ。
「二人は明日は何時頃来れる?」
「三時には行けるわよ」
「私もそのくらいにお邪魔しますわ」
 明日は9月19日、ナルの誕生日だ。本人が嫌がっても皆で集まってアフタヌーンティーパーティーを囲むのが常だ。今日の買い物はナルの誕生日プレゼントを買うという目的もあった。
「じゃ、また明日事務所で!」
「ええ」
「また明日ね」
 ひらひらと手を振って別れた。

「・・・あの子、もう答えを出してたのね」
「ですわね」
 麻衣は『信じさせて欲しい』と言った。それは信じさせてくれればナルと結婚してもいいと思っている証拠だ。
「坊主が泣くわね~」
「松崎さんが慰めて差し上げて下さいまし」
「イヤよ!あいつメソメソすると手が付けられないんだから。リンに任せるわ」
「リンさんも苦労なさいますわねぇ」
「あら、意外と慰められて二人で泣いちゃうかもよ?」
「花嫁の父と花婿の父として?」
「そうそう!」
 二人はぷ―ッ!と笑い転げた。


 * * * 


「谷山がいるなんて珍しいな。ほれ飲め飲め!」
「うわッ勘弁して下さいよ!私お酒弱いんですから!」
「少しくらいいいだろう」
「さっきから何べんもそう言って注がれてんですから!殿ご勘弁下さいませ!」
「仕方ない、武士の情けじゃ。秘蔵のウーロンティーじゃ心して飲め!」
「ははぁ~、有りがたき幸せ・・・!」
「うむ、くるしゅうない!」
 麻衣はコップを捧げ持つようにして掲げ持ち、先輩から烏龍茶を注いでもらう。麻衣と先輩方の遣り取りを見た周囲はクスクスと笑っていた。
 飲み会会場は大学ほど近くにある新宿にあるメジャーな居酒屋の座敷一室を借り切って行われていた。人数は三十人ほど、最初の挨拶が済んでからは思い思いの席に着席して歓談していた。
「麻衣ってあんま飲みに行かないのに受け流すの上手いわよね」
「バイト仲間に鍛えられた」
「なるほど」
「納得!」
 大学に入りたての頃にイレギュラーズ(主に綾子)にお酒の飲み方を教わった。お酒の種類、自分の限界量、酒を勧めらた時の断り方などなど・・・。残念ながら麻衣はアルコールに弱い体質なのであまり飲めないけれど酒席は好きだった。
「ふふーん、あの美形な彼氏にも鍛えられた?」
「ナル?ううん、飲んでるとこほとんど見た事ない。好きじゃないみたいよ」
「えーつまんなーい」
「一緒に飲んでみたいんだけどなー」
「あんな美形見ながら飲んでみたい」
「うんうん!美形をツマミにお酒なんてサイコー!」
「あははは・・・、一応聞いてみるけど期待しないどいて?」
 酒が入り好き勝手にリクエストする友人ズを適当にあしらってると、こちらにやってくる人影があった。
(あ・・・)
 春日くんだった。
 あれ以来お互い普段通りに話そうとしても失敗することしばしば。何となく気まずい空気が流れていた。友人達もそれに気付いていたので、春日くんが来ると同時に麻衣の席から少し距離を置いた。
「隣平気?」
「うん」
 彼は麻衣の隣に着席した。
「その・・・・このままずっと気まずいの嫌でさ。ちょっと話したかった」
「それは私も思ってた」
「気にするな・・・って言っても気にするだろうけどさ、これからも仲良くやってきたいんだ」
「私も・・・出来たらそうしたいなって思ってた」
「これからもよろしく」
「私こそよろしく」
 二人で小さく乾杯した。
 とはいえ、ぎこちない空気の中で流れる会話は互いに気を使う。それを払拭するためにお酒を注いで、自分も飲んで舌を滑らかにした。そうして和やかな空気になった頃には、麻衣はすっかり自分の酒量を超えてしまっていた・・・。


 * * *

 
『あ、少年?ナルいる?』
 夜7時過ぎのSPR事務所に一本の電話がかかってきた。電話の主は松崎綾子で、所長に繋いで欲しいという。安原は珍しいと思いつつも所長に取り次いだ。
「何でしょう」
『今日麻衣が大学の飲み会に行ってるのは知ってるわよね?』
「それが?」
『そろそろ終わる頃だから迎えに行ってやってくれないかしら?』
「・・・その必要を感じませんが」
『いつもなら平気だけど、気になってさっき電話してみたら麻衣ってば酔っ払ってたのよ。あの子酒癖悪いから心配なのよね。彼氏ならちゃんとフォローしてやって!頼んだわよ!』
 そう言って綾子は一方的に宴会場所を伝えて切ってしまった。
「・・・・・・・・・」
 ナルは眉間に皺を寄せながら受話器を電話に戻した。もちろん行く気などなかった。
「あの、聞こえてしまったんですが谷山さんのことですよね?」
「ええ」
「差し出がましいかもしれませんが迎えに行って上げた方が良いと思いますよ?」
「麻衣は自分の酒量を弁えてます。その必要性を感じません」
 英国で数度皆と一緒に酒の席を囲んだ。その時は適度に飲んで酒を過ごすような様子は無かった。何より麻衣の野生の勘は特別製だ。酔ってはいても危険な目に合う前に逃げるだろう。
「そうかもしれませんが・・・谷山さん泥酔すると酒癖悪いらしいですから・・・聞いてません?」
「酒癖?」
「松崎さんから聞いたんですけど、彼女は熱いと言って服を脱いだり、甘えて抱きついたり、果てにはキスしてきたりするらしいんです」
「・・・・・・・・・」
 それは酔っ払いにありがちな行動だが若い女性がするとしたら大いに問題がある。
「あ、ご安心下さい。今のところ松崎さんの家で一回だけそうなっただけだそうですから。…でもいつも無事で済むとは限りませんよね?」
「・・・・・・・・・」
 こういう言い方が安原らしい。話半分に聞いた方が良いとは思えど無視できない内容だ。
「でも他にもありまして・・・」
「まだ何か」
「変な男に軟派された時に九字を打とうとしたらしいです」
「は?」
「下手な護身術より効果高いとは思うんですが、当り所が悪ければちょっと不味いかと・・・」
「……」
 麻衣の九字は小規模なスタンガン並の凶器だ。悪質な相手に遠慮などすることはないが、相手が心臓の持病を抱えていれば重大な結果になる恐れがある。
 ナルは溜息をついて所長室に上着を取りに行った。身支度を整えて携帯を持つ。
「後は頼みます」
「お任せ下さい。行ってらっしゃいませ♪」
 戸締りを安原に任せ、ナルは携帯のメール欄を見る。そこには他称母親の綾子から送られたメールの中に麻衣のいる店の場所が書かれていた。
(こういう所だけ有能だな)
 綾子が聞いたらひと悶着ありそうな感想を述べながら、ナルはタクシーを止めて目的地に向かった。


(半分くらいは信じたかな?)
 安原は含み笑いをしながら事務所を閉め始めた。今日はリンさんが所用で早めに帰っていたので残るは自分一人だ。
 先ほどナルに話した麻衣の武勇伝(?)には若干の虚飾が混ざっている。
 麻衣が一度だけ泥酔してキス魔になったのは本当、でも服を脱ぎだしたのは麻衣ではなく真砂子だった。大学に入る前にお酒を教えようとした綾子が家に二人を招待して飲ませた時に起きた事件だ。二人の酔っ払いの世話で大変だったと後に零していた。
 また絡んできた男性に九字を打とうとしたのも本当だが、相手は滝川でお互いふざけてただけだった。酔った滝川が「いいか?ヤバイ男がいたら九字打って逃げろよ?」「わかったおとーさん!」「んじゃやってみろ」「はーい♪」と二人ともイイ気分でじゃれあっていた。直後松崎さんにはたかれて阻止された。
 皆で教え込んだ甲斐もあって麻衣も真砂子もお酒の飲み方を一通り知っている。だから飲み会に行くと聞いても心配には及ばない。でも今は微妙な時期で麻衣も不安定だ。そういう時は酒量を間違えやすい。
(谷山さんは酔うと可愛いですからねぇ)
 麻衣は酔っ払うと甘えんぼになって人にくっつきたがる癖がある。その様子は猫がじゃれてくるようでとても可愛い。それを目撃した男がうっかり惚れてしまってもおかしくない。妙な気を起こす危険性もある。そのことを一番安原は心配していた。
 でもそう言うだけじゃナルは動かない。だから殊更酒癖が悪かった時を強調し、迎えに行くのを勧めた。過保護かもしれないけれどその方が安心だし、所長のポイントアップにもなると考えたからだ。
(明日はブリザードな職場になりそうですが谷山さんと所長の幸せのためです。厚着して耐えますとも!)
 妙な心配をしながら戸締りを終えて事務所を後にした。
2012.4.13
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