二人のはじまり 03 |
「あのさ、私の寝ている間に何かの実験とかしてないよね?」 一緒の寝室を使いはじめて一週間ばかりたった朝食の席で、麻衣は怖くて聞けなかった質問をぶつけてみた。 疑いを掛けられたナルは眉を顰めて「何だ突然に」と不愉快そうに返事した。 「なんかさ、寝てる時に近くに人の気配がする時があるからさ・・・」 麻衣は一度寝入ったらなかなか起きない。でもずっと全く意識が無いと言うわけではなく、何かされればぼんやりとした感覚が記憶として残る。綾子のところで寝こけた時も「もう、仕方ないわね」と綾子が文句を言いながら上着を脱がされお布団をかけてもらった記憶がぼんやりと残っていた。それを言ったら「だったら手間かけさせないで起きなさいよ」と文句をいわれてしまった。感覚が残るのと目が覚めているのとは違うんだけどさ。 一昨日の朝、夢うつつの中でぼんやりと誰かが私の傍に立ち頭を撫でられたような感覚の記憶がうっすら残っていた。最初は夢かと思ったけれど、ここはナルとの共同寝室。もしかすると本当にナルが私のベッド脇に立って何かしたんじゃないか・・・という怖い想像をしてしまった。ナルがするとしたら実験しかない。寝てる間に人体実験されるなんてごめんだ。 「一緒の寝室を使っているんだ。気配がするのは当然だろう」 「まぁそうなんだけど・・・」 麻衣は箸をくわえてごにょごにょと反論を試みるが寝ぼけている時の感覚なのであやふやだ。問い詰める材料などなかった。 「実験室でも現場でもない場所で実験しても正確な実験結果としては扱われない。ましてや個人の寝室で採ったデータなど何の意味も無い」 「そりゃそうだ」 ナルが研究データ採取に関して非常に真摯で公正なのは骨身に染みている。本人に無断で証人の第三者もろくな機材のない場所で実験などするはずがなかった。 「じゃああれはただの夢か~」 麻衣は安心したようにホッとした。 「・・・嫌な夢でも見たのか?」 「ううん、優しく撫でられただけだから別に嫌じゃないよ。むしろ気持ち良かった感じ」 「そう」 「でも誰の夢みたんだろ?おとーさん?おかーさん?ぼーさん?・・・意外なとこでジーンだったりして」 「・・・・・・・・・」 「でもジーンだったら私の事起こして『お話ししよ?』とか言いそうだよね~」 「・・・ごちそうさま」 「あ、うん」 ナルは茶碗を持ち席を立つ。使った食器を流しに持っていくことは麻衣が決めたルールだ。そのまま書斎に戻ろうとするナルを麻衣が引きとめた。 「ナル、お茶は?」 「いらない」 硬質なテノールが返りパタンと扉が閉じられた。 「・・・何で不機嫌になるのさ」 訳が分からず首を傾げる麻衣だった。 * * * (今朝は何で不機嫌になったんだろ?) 講義を終えた麻衣は帰り支度をしながら考える。 麻衣の方が先に家を出たのでその後のご機嫌が不明だ。これからちょっと寄り道をして事務所に行く予定だから自分が行く頃には機嫌が直ってればいいなと思う。 (大体何で不機嫌になったの?) ナルは案外単純なので不機嫌になるポイントがハッキリしている。 『仕事や読書の邪魔をしないこと』これに尽きる。 邪魔をするような騒音を立てたり、下らない内容で中断させたりしなければ大抵の事は平気だ。だから扱いは面倒だけど慣れればやり易い上司なのだ。いつも吐く毒舌はただの癖なので気にすることもない。本当に不機嫌になったら黙り込んで取りつく島も無い。今朝が良い例だ。何を聞いても無視される。 でも今朝はそのどれにも当てはまらなかった。一体何が彼を不愉快にさせたのだろうか? (わっかんない!) 事務所に辿りついても不機嫌なようなら聞いてみよう。それで自分が悪いのなら謝る。自分に非がないなら放っておこう。一緒に暮らしていく以上、面倒でも今のうちに聞いた方が後々のためだ。そう決めて鞄を抱える。 「じゃ、また!」 「またね~」 「バイト頑張って」 「ありがと!」 友人達に手を振り校舎を出た。 * * * 「谷山!」 呼ばれて振り向くと、先ほどまで同じ講義を受けてた春日くんだった。大学の門から出かかった足を止めて彼が傍に来るまで待つ。自分より頭二つ分くらい背の高い彼はすぐ私に追いついた。 「これからバイト?」 「うん」 「それってすぐ行かなきゃ駄目?ちょっと時間取れないかな・・・」 背中を丸めて首をかき人の良さそうな顔の目尻を下げながら聞かれた。少し困ったような、でも照れたような微妙な表情だ。気軽な雰囲気ではない。 「えと・・・」 バイトまで少し時間がある。けれど麻衣はその前に行きたい場所があった。でも彼の様子では先延ばしにしない方が良さそうだと判断した麻衣は「一時間くらいなら大丈夫」と頷いた。 二人で向かった先は大学近くのオープンカフェだ。そこそこ広くて席と席の間がゆったりしているので話を聞かれる心配もない。カップルに人気の店だ。 「谷山さ、以前うちの大学に来たあの人と付き合ってるのか?」 「うん」 「本当に?」 「・・・何でそんなこと聞くの?」 「あ、えと、吊合わないとかそういうんじゃなくて・・・、その、谷山がいつもと違うから」 「え?」 「谷山は恋人といる時ってすごくよく笑って・・・甘えたような可愛い顔になる」 「へ、あ、そう・・・かな?」 滅多に言われない『可愛い』なんて言われちゃうと照れてしまう。しかも真面目な春日くんに言われるとは思わなかった。 「でもさ、前にあの人が来た時はそうじゃなかったからさ、その・・・本当に好きで付き合ってるのかなって気になっちゃって・・・」 「・・・・・・・・・」 「もしそうなら、俺にもチャンスはあるかな・・・」 そう言って赤らめた顔を反らした。 春日くんはとても真面目でちょっとシャイ。だけど気が小さいというんじゃなくて、ふんわりとした包容力のあるタイプだ。美形じゃないけど男らしい優しい顔立ちをしている。体も大きくて頼りがいがある感じ。付き合ったらすごく大事にしてくれそうな感じだ。 正直、よっぽどナルより私好みだったりする。 チャンスだった。 ナルよりずっと自分を大事にしてくれそうな人が目の前で告白してくれている。今ここで頷いとけばナルの魔手(?)から逃れるかもしれない。なのにすぐ頷けない自分がいた。 「・・・実は本当はまだ付き合ってるわけじゃないの。打診されてお試しで付き合ってるの」 少し事実と違うけれど間違いでもない。聞いた春日くんがふっと顔を上げた。 「正直に言えばナル・・・彼のことはナルって言うんだけど、は全然タイプじゃないんだ。すっごい美形だけど仕事の鬼で毒舌でぜーんぜん優しくないの。しょっちゅう喧嘩ばっかしてる」 「なら・・・」 春日くんが何かを言う出す前に私は首を振った。 「でも高校生からの付き合いで、一番身近な人なの」 「・・・・・・・・・」 「色々腹立つこともあるけれど、恩もあるし、大事な存在なんだ。だから・・・ごめん」 ナルと春日くん、どちらかを天秤にかければ答えは決まっている。 残念ながら欠片も頷こうと思わなかった。 「そっか・・・変なこと聞いてごめん」 気まずい空気は二人が席を経つまで変わらなかった。 * * * カラン・・・ 「こんにちはー」 「こんにちは、谷山さん」 先に来ていた安原さんがこちらを見て挨拶してくれる。いつも変わらない様子にホッとする。先ほどの春日くんとの会話で気疲れしてたようだ。 「どうかしましたか?」 「いえいえいえ、何でもないです!」 「そうですか。所長が谷山さんが来たらお茶を運ぶようにと言ってましたよ」 「了解しました~」 へらりと笑って給湯室に消える。聡い安原さんはちょっと溜息ついただけで何かあったと気付いて気にかけてくれる。でもこちらから言わないとそれ以上は聞いてこない。特に今回みたいにちょっと疲れたけど話すことでもない時は有り難い。気にかけてくれたというだけで下降気味だった気分が浮上する。ホントにバランス感覚が絶妙な人だよね。 手慣れた仕草で焙じ茶を淹れて心配してくれた安原さんにサーブする。大丈夫ですよって笑顔付きで。 そして今日疲れた原因の一端でもある彼の人にはダージリンを用意した。 「失礼しまーす」 軽くノックして勝手に入る。本を読んでる最中は返事を待っても無駄なので大抵そのまま入る。 「ここ置くね」 デスクの端のいつもの場所にお茶を置く。これに対してナルは頷くのみ。「ありがとう」の一つも無い。慣れっこになった自分がちょっと悲しい。 パソコンに向かいながら黙ってティーカップを傾ける姿が鑑賞に値する男なんてナルしか知らない。中身も数々の難はあれど尊敬に値する男だと知っている。こんな相手に胸がトキメカナイ自分の方が少々乙女として足りないのかもしれない。 (もう少し分かりやすい相手ならねぇ~・・・) ナルにも家族愛に近いような感情は持ってると思う、多分。でもそれは非常に分かりにくく難解でこちらに伝わって来ない。行動を見て「もしかして?」と思う程度しかない。そういう相手と恋人や夫婦になるなんて絶対疲れるに決まってる。 その点では春日くんはバッチリだった。私に対して分かりやすい愛情を傾けてくれそうだ。反対に私が愛情を傾けたらそれにちゃんと答えてくれるタイプだと思う。そういう分かりやすい人が私は好きだし、安心出来る。 男としてはナルのがレベル高いかもしれないけれど、付き合いたい相手としたら断然春日くんだ。 でも失いたくない相手はどっち?と聞かれたらナルのほう。 悔しいけどこれは随分前から自覚していた。何度も彼氏から今の仕事を辞めろと言われても辞めるつもりは無かった。SPR日本支部が無ければ今の自分はいなかった。あの場所を捨てろなんて自分には出来ない。そしてあの場所を築いたのはナルだ。彼がいなくてはあそこはなかった。私にとってナルはあの場所と同じくらい失いたくない存在だった。 そんなナルと仮でも婚約者となってしまった以上、いくら好みのタイプの春日くんからの告白でも断るしかない。二人を比べたらどうしてもナルに天秤が傾いてしまう。ナルの魔の手から逃れるために、こっそりお試しで付き合うという選択肢もあった。けれど麻衣はナルを裏切りたくはなかった。自分が出した条件に対してナルの答えを待つまではそういうことはしたくなかった。 (でもちょっと惜しかったよなぁ・・・) 寂しがり屋の麻衣としては常に優しい彼氏募集中なのだ。 ままならない現実に麻衣は溜息をついて退室しようとした。 「人の顔を見て溜息を付くな」 ギクリとして振り向くと、パソコン画面を注視していたナルがこちらを見ていた。 「何でもない」 「ふうん?」 ナルは皮肉気に口の端を上げた。 「大学で告白でもされたか」 「!!!!」 「図星か」 「な、何で分かったのよ!もしかしてサイコトメリでもした?!」 「まさか」 「じゃあ何でよ」 「麻衣が室内に入り意味ありげに僕の顔を見て溜息をついたから」 「はぁ?ってそれだけで分かるモン?」 「麻衣は出勤直後にお茶を運んで来る時は大抵雑談をしていく。昼を食べたか、今日の天気だとかどうでも良い話をする。それが今日は無い。それより気にかかることがあるのあろう。なのにすぐ退出せずに僕の顔を見て溜息をついた。わざわざ人の顔を見て溜息をついたんだ、その原因は僕にも関わりが有るのだろう。僕に関係無ければ安原さんにでも愚痴を零すだろうからな。麻衣は大学からこちらに来たので大学で何かがあった可能性が高い。先日麻衣の大学に行った時に僕へ好奇心以外の視線を向けて来た男がいたからな。恐らく麻衣に懸想している男だと思われる。僕に関係して麻衣が溜息をつく程の面倒事となれば、そいつに告白でもされたかとカマをかけただけ」 「・・・・・・あんたはホームズかい」 「お前がワトソンでは役不足だな」 「どうせねッ」 麻衣はぷくりと頬を膨らませた。 ナルはそれ以上追求せずに視線をパソコンに戻した。二人の間に沈黙が流れ、告白された麻衣は何となく気まずかった。 「・・・あのさ、ちゃんと断ったからね?」 「そう」 ナルは何の表情も変えなかった。分かりきった答えを聞いたとでも言うような態度だ。少しは面白くないとか、心配するとか何かないのだろうか。麻衣は面白くなくて口を尖らせた。 「でもすっごく良い人で心がときめいちゃったもんねッ」 「それは良かったな」 全く相手にしない様子のナルに麻衣は尖らせた唇をひっこめた。 「・・・ナルは私が誰に告白されてもどうでもいいんだ」 『お前に興味がない』と言われてるようで少し悲しい。 「お前が頷くとは思えないからな」 「何で?」 「僕に対抗出来る者などほとんどいない」 「そりゃあそうですね!」 「少なくとも大学でお前の周囲にいないことは確認済み」 「え・・・・・・」 「僕がわざわざレポートを届けるなんて変だと思わなかったのか?」 「思ったけど・・・」 でもそんな理由で来るなんて思いもよらなかった。 「僕を見て対抗しようという者は殆どいない。諦めろ」 ナルは麻衣の周囲への牽制も兼ねて大学まで赴いてレポートを届けたということだろうか。あれは敵状視察?も兼ねていたのなら・・・ 麻衣の顔がカァッと赤くなった。 (ちょっと嬉しいかも・・・) 少なくともナルは私に対して無関心じゃないのが分かって嬉しい。 「ナルでも気にはなるんだー」 「目的達成のために障害があるなら取り除くのが当然だ」 先ほど膨らんだ喜びが急速に縮む。 ナルが言う目的とは結婚だろう。 目的を達成するためだけに状視察をしたのだろうか? それなら全然嬉しくない。 (私が言った条件ちゃんと考えてくれてるのかなぁ・・・) 噛み合わない会話に途方に暮れて麻衣は項垂れた。 春日くんとなら普通に出来る会話もナルとは成立しない。通り過ぎてくばかりな気がする。 「・・・仕事に戻るね」 「麻衣?」 力なく呟いて麻衣は退室していった。 (怒ったり赤くなったり項垂れたり忙しい奴だ) 項垂れる後姿を見送り、ナルはため息をついた。 麻衣は僕が麻衣に新しいパートナーが出来る心配をしないのが不満なようだった。それは当然だ。僕とジーンを相手にして勝てる相手でなければ脅威とはいえない。そんな存在などいるはずがないのだから心配する必要が無い。 麻衣は何故未だに気付かないのだろうか。 麻衣が僕以外のパートナーを選ぶ場合、比べるべき相手は僕一人じゃない。 僕らは同一の存在ではないが切っても切り離せない関係だ。麻衣はジーンが好きだといいながら僕を切り捨てることが出来ない。ジーンと見比べて、僕を見比べて、それでも選べる相手など今の麻衣の周囲にはいない。未来はどうか分からないが、自分が阻止する限りは無理だろう。そのことに麻衣は薄々気付いていながら足掻いているように思える。 (さっさと諦めればいいものを・・・) 「往生際が悪い」 ナルは皮肉に吐き出して仕事を再開した。 そういう態度が、麻衣を不安にさせ、麻衣が素直になることが出来ない理由だと気付かない博士だった。 |
2012.4.12 |
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