彼女の提案 |
「こんばんは!」 「……」 自宅に戻った翌日の夕方、麻衣は大きな荷物を持って帰ってきた。 いや、まだ同居していないのだから帰ってきたというのは語弊だろうか。 麻衣は部屋に上がり「ヨッコイショ」とリビングに荷物を置いた。 「随分な大荷物だな」 「善は急げといいますし」 「ふうん?」 「えーーと、同居の件ですが、前向きに考えたいと思います!」 麻衣はビシッと敬礼しながらナルに向かって宣言した。ナルは腕を組んだまま無表情にこの大荷物は引越用荷物かと視線を落とした。 「承諾したととっても?」 「条件を幾つか飲んでくれたら」 「言ってみろ」 麻衣はまっすぐナルを挑むようにみた。 「もし私がナルとはやってけないと言ったら必ず婚約解消してね」 「いいだろう」 ナルはそう言わせないだけだと心の中で呟きながら頷く。 「逆にナルが同居を解消したいと言っても卒業までは追い出さないで。私行くとこないもん」 これも予想通り。実家を持たない麻衣なら当然な懸念だ。 「そんなことはしない。もしそうなったとしても別の住居を手配する」 「ありがと」 「以上か?」 「最後に一つ、これ一番大事」 「何だ」 そう言った癖に麻衣は少し逡巡する様子を見せた。少しだけ頬が赤い。 「もったいぶらずにさっさと言え」 促すと挑戦的にこちらを見てきた。 「私の事好きになって」 「・・・は?」 予想外すぎる内容に間抜けな声が漏れる。聞き違いかと思う内容だ。 「だから、 ナ ル に 私の事好きになって欲しいの」 もう一度麻衣が繰り返した。やはり聞き間違いではないらしい。ある種とんでもない要求を言った麻衣は頬を赤らめつつナルを挑戦的に睨みつけていた。 「・・・好意は強請るものではないと思うが」 ナルはしんなりと眉を寄せ、目を細めて麻衣を眇めた。人の感情を強制する条件は承諾しかねる。またそのような条件を出すべきではないと思う。 「言うと思った!ならこの話はお終い。婚約解消して」 「・・・・・・・・・」 ナルの眉間に皺が寄る。その結果も承服できない。 「だって両方とも好きじゃない夫婦なんか上手くいきっこないよ。私達がイイ歳でそろそろ結婚しなきゃいけないなーって思う歳なら『まぁいっか』でナルと結婚するのもいいと思う。でもさ、私はまだ二十歳でもっともっとイイ人と出会うかもしれないじゃん。このまま済し崩しにナルと結婚して、もしそういう人と出会ったら絶対後悔すると思う。そんなの嫌だもん」 「僕以上はそういないが」 「対外的にはそうでも私的にはそうじゃありませーん。ナルは彼氏候補としては圏外なんだからね」 「・・・・・・・・・」 ナルは黙りこむ。少なくとも自分が麻衣の好みのタイプじゃないという自覚はあるらしい。しかし『圏外』とはいささか言い過ぎな気がする。 (僕は地球外生命レベルか?) ナルは『電波の圏外』と『地球圏外』を勘違いしたまま不機嫌になる。学者馬鹿の英国人には若者用語はハードルが高いらしい。 「でも結婚相手としてはそうでもないんだよね。ルエラとマーティン大好きだし、仕事馬鹿で浮気しそうにないし、稼ぎはちゃーんとあるし・・・それにナルは私がジーンの事好きなままでもいいんでしょ?」 「ああ」 全くひっかかりがないとは言わないが構わないと思っている。それこそ人の心は強制するものではないからだ。 「ならあとはナルが私のこと好きになってくれたら結婚するのに問題はないんだよね」 「成程な・・・」 麻衣は逃げるのを止めて正面からナルと向き合う事にしたようだ。 結婚を前向きに考慮し、問題点を考えて僕に提示し、改善されるなら承諾すると突き出してきたわけだ。 前向きな意見は悪くない。曖昧に誤魔化して逃げ回られるよりよほどいい。 だが不満点がないわけでもない。 「僕だけに好意を求めるのはフェアじゃないと思わないか?」 「私?私はナルのこと好きになる自信あるもん」 「は?」 これも予想外の返事だ。 「もともとナルとジーンを勘違いしてたくらいだし、ナルのこと嫌いじゃないよ。あれから何年もたてば恩も愛着もあるし異性としてはみてないけどナルの事好きだもん。もしナルがちょっとでも私の事好きになってくれたらすぐなびいちゃう」 「・・・そう単純なものか?」 「うん。私ってば単純だもん」 奇しくも麻衣が振られた現場に居合わせたせいで麻衣の恋人遍歴を嫌々聞かされていた。麻衣の過去のパターンでは想いを寄せられて絆されて付き合うことが多く、最初の恋人も絆されて後に好意を持ったようだ。 麻衣にとって思い描きやすいパターンなわけだ・・・。 「確かにな」 「ムッ、ひっかかる言い方~」 「ご自身のことを良く分かってらっしゃると感心しただけですよ」 「更にムカつく!」 ぷくりと頬を膨らませながら抗議する顔はとても二十歳に見えない。だが直後に小さくため息をついた。その溜息が物憂げで妙に女らしい。変化が激しすぎる。 「一緒に暮したらお互いの事がもっとよく見えるでしょ?ムカつくことも多そうだけどイイなと思うことも増える。そしたら駄目になるか、好きになるかのどっちかだと思う。もし私がナルの事好きになったら不公平じゃん。もう片思いなんて嫌だよ・・・」 こちらを見上げる瞳が揺れていた。 「ナルが言う通り好意なんて誰かに言われて持つもんじゃないと思う。でも努力くらいはして欲しいの」 「・・・麻衣は僕のことを好きにならないと思っていた」 「ジーンみたいに好きになるかって言われたら違うと思うけど・・・。でも一緒に住んで一番近くにいたらわかんないよ」 言い終えると軽く口を噛み締めて黙り込む。瞳は変わらず揺れたままこちらを見つめていた。 紅茶に砂糖を落として波紋が広がるように、ゆらゆらと揺れる瞳。 それは今の二人の関係に似ていた。 淹れたばかりの紅茶はいずれ冷めて飲みやすい温度に下がる。 自分はこちらの関係を望んでいた。 だが麻衣は可能性という新たな要素を加えて掻き混ぜて、試してと勧める。 甘いものを好まない僕には苦痛な可能性が高い。 だが飲まないことには進まないらしい。 「全ての条件を飲もう」 僕が言うと麻衣は花が開くように笑った。 この笑顔は悪くない。ついこちらも口が緩みそうになる。そういう自分を見つけていけばいいのかもしれない。 「んじゃ同居祝いにご飯でも食べに行かない?」 お腹すいちゃった~と笑う現金な言い様に今度こそ苦笑が零れた。 こうして僕らは暮らし始めた。 |
2012.2.7 |
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