博士の行動

 門のところでナルは食事の相談をしながら出ていこうとする学生達と擦れ違った。
 彼らが振り返り「・・・芸能人?」「知らないけどすっごい美形ね」とひそひそ噂しているのも聞こえたが、当然のごとく黙殺する。一々気にしていたらキリが無い。
 ナルが向かうのは大学内にあるカフェテリア。裏門の近くにあり広くガラス張りのオープンな造りになっている。数人の友達と連れ立って中に入ろうとする茶色頭に声をかけた。

「麻衣」

 振り返った麻衣は自分の姿を確認すると大きく目を見張って「ナル?」と大きな声を上げた。
 僕は何も言わずに手の中のレポートを掲げてやる。昨晩麻衣が仕上げていたものだ。「アッ!」と声を上げて、友人に何か断ってから僕に走り寄って来る。
 彼女の背後の友人達がこちらを見ていた。女性が4人に男性が3人。社交用の微笑を浮かべると、女性は頬を赤らめて歓声を上げたり目を反らした。男性は笑い返したり会釈をする者と眉を顰める者がいた。
(分かりやすいな)
 くつりと、喉の奥で笑ってやる。

 自分の元に辿りついた麻衣にレポートを突き出してやると、へへーと押し戴くように麻衣は受け取った。
「粗忽者」
「ありがとう!今日提出日でさ、取りに戻ろうと思ってたんだ~!」
 麻衣はニコニコと満面の笑みで礼を言ったがすぐ首を傾げた。
「でもわざわざ届けてくれるなんてどういう風の吹きまわし?」
 黙って麻衣の目の前に鍵付きのキーホルダーを掲げてやる。麻衣がいつもお守り代わりに身に付けているものとは違う。僕の部屋のスペアキーだ。
「取りに戻っても中に入れない谷山さんの為にわざわざ届けて差し上げたんですが?」
「重ね重ねすいません・・・・・・」
 ナルは差し出された麻衣の手にチャラリとキーホルダーを落とした。
「貸し一つだな」
「ナルってば高利貸しっぽいよね・・・」
「いらなかったようだな」
「ごめんなさいッもう言いません!ありがとうございました!」
 ナルがレポートを取り上げようとしたので麻衣は慌ててレポートを鞄に仕舞った。
「オフィスに行く前に寄ってくれたの?」
「ああ」
 オフィスに行く方向に大学があったので少し大周りしただけだ。
「よくここにいるの分かったね」
「ここに向かうお前が見えた」
「あ、なるほど」
 ここのカフェテリアは道に面した裏門の直ぐそばに位置してるので、敷地外からもよく見える位置にあった。レポートに触れて軽くサイコトメリし「お昼だ~」と喜ぶ麻衣が見えたのは黙っておく。
「ナルご飯食べた?」
「いや」
「じゃお礼にご飯奢るから食べてきなよ!」
 予想通り麻衣は僕を引きとめた。僕は気の乗らない素振りを見せると、逃がさないとばかりに僕の腕を掴んで強引にカフェテリア内に引き入れた。内実はどうあれ、傍から見れば仲良く腕を繋いでるように見えただろう。
 カフェテリアに入った途端、周囲の視線が突き刺さりざわめいた。ここは同年代の若い女性が多いためか、普段より無遠慮な視線と声だった。
 麻衣は僕の健康維持に気を取られて僕の容姿が非常に人目を引くものだと忘れていたようだ。居心地悪そうにこちらを見上げた。
「ごめん・・・余所に行く?」
「別にいい。何処でも一緒だ」
 経験上、数分経てば落ち着くので気にならない。納得した麻衣は店内の隅の余り目立たない席を選んだ。
「ナルはここで待ってて、適当に持ってくるから!」
 と言ってカウンターに向かっていった。
 一人残されたナルは壁を背に着席した。壁に向かって顔を隠すのではなく、敢えて顔が見える位置を選んだ。
 熱のこもった視線、珍しげな視線、眺める視線、これに若干敵意の混ざる視線が突き刺さる。
 敵意が混ざる方を見れば麻衣が連れ立っていた友人達だった。女性4人、男性4人のグループ。ゼミの友人だろうか。
 目があったので再び眼だけで微笑むと、先ほどと同じ反応をされた。ただし、そのうち女性のうち2人が互いに目を見合わせて頷き、席を立ってこちらに歩いてきた。中々物怖じしないタイプのようで、キチンと僕と視線を合わせて聞いてきた。
「あのぅ・・・私達麻衣の友達なんです。ちょっと聞いてもいいですか?」
「麻衣の彼氏さんですか?」
 頷くと、二人は晴れやかに笑い小さな歓声を上げた。
「んっもう!何時の間にこんな美形の彼氏がいたなんてッ!」
「夏頃から指輪してたから彼氏出来たんだろうと思ってたけど、麻衣ってば曖昧でハッキリ教えてくれなかったんですよー」
「別に隠してはいませんが」
「こんな美形だから騒がれたくなかったんじゃない?」
「というか、噂の上司さんでしょ?だから言い辛かったんだじゃないの?」
「かもしれません」
 バイトのことを知ってるとは彼女たちは本当に麻衣と仲が良いのだろう。
「ええと、今日は麻衣の忘れ物を届けに来てくれたんですか?」
「ええ、昨夜彼女が明日が締め切りだと騒ぎながら作成していたレポートが机の上に残っていたので」
「麻衣もおっちょこちょいねぇ」
「じゃあ昨夜は彼氏さんとこにいたんですか?」
 これにも頷く。二人は顔を見合わせてなんとも言えない表情を見せた。
「うわー、やっぱ春日くん失恋決定だ…」
「勝ち目なんかないって…」
 二人でヒソヒソ話しているがこれだけ近ければ十分聞こえる。こちらが話を振らなくても勝手に情報を提供してくれるのが有り難い。
 もう少し情報収集しようかと思ったら邪魔が入った。

「由美子に葉保子?」

 二人の背後に目を怒らせた麻衣が立っていた。
「何してんのさ」
「ごめんてば、怒らないの!」
「照れるな照れるな」
「お騒がせしました~また後でね!」
「麻衣ッあとでたっぷり聞かせてよね!」
 二人は笑いながらグループに戻って行った。先ほどのことを吹聴して広めてくれるに違いない。
「ナル、二人に変なこと言ってないでしょうね」
「恋人かと聞かれたので頷いたし、忘れ物を届けにここまで来たと言っただけだ」
 どれも嘘ではない。だが麻衣は不本意らしく口を尖らせたままだ。
「・・・何でこっち向いて座ってんの?」
「壁際の方が落ち着く」
「目立つからチェンジ!」
 面倒だが目を怒らせた麻衣に急き立てられて席を移動する。入口とは逆向きの麻衣と植物に隠れて表からは見えない位置だ。
 席を移動すると麻衣はやれやれと溜息をついた。
「ケンブリッジならそんな目立たなかったけど、こっちじゃ目立ちまくるの忘れてた。ホント人騒がせな容姿だよ」
「その恩恵に与ってるお前が言う事じゃないな」
「受ける迷惑も多いからプラマイゼロだと思う」
「なら文句言うな」
「そうだけどさー」
 ブツブツ言いながら麻衣はテーブルの上に食べ物を並べていく。サラダと野菜スープにハンバーグ。あと麻衣が持参していた弁当のサンドイッチ。そして紅茶。
「全部お肉とお魚は入ってないから。ハンバーグも大豆合成肉ハンバーグだから大丈夫だよ」
「そんなメニューがあるのか」
「うん。ダイエットメニューの一環であるの。だからここの学食は女の子に大人気なんだ」
 すすめられるままに大豆ハンバーグを口に入れる。食感と言い味と言いとても大豆とは思えない。10年以上肉を口にしていないが確かにこういう味だったかもしれない。
 麻衣が「少し頂戴ね」と一口分箸でつまんでいった。行儀が悪いと注意する暇もない早業だ。
「へ~、チーズが入ってる!だからコクが出て美味しいんだね」
「自分では食べたことが無かったのか」
「うん。だって基本お弁当だもん。特に最近じゃ誰かさんの残り物使うことが多いんだよね」
 麻衣はチロリんと上目づかいでナルを見上げた。確かに弁当の中身はどこかで見た覚えがあった。
「そうそう、家の近所にベジタリアン向けのレストランが出来たんだよ。今度行ってみない?」
「・・・構わないが、お前はその必要がないだろう」
 英国に行く前は恋人役の礼にたまに麻衣と外食をしていた。麻衣の好みで店を選び麻衣の好きに注文させていた。ベジタリアンメニューは味気ないものが多く、食欲旺盛な彼女が好んで食べるとは思えない。ダイエットにはいいだろうが麻衣にその必要があるとは思えない。
「んー・・・そうだけどさ、出来れば一緒の物が食べたいじゃん」
「そういうものか?」
「そういうものだよ。自分が食べてるのが美味しければ相手にも食べて貰いたいし、相手のがちゃんと美味しいかどうか確認したくない?」
「単に食い意地が張ってるだけだろう」
「う・・・それもあるけどそれだけじゃないもん」
 麻衣は頬を膨らませて口を尖らせた。麻衣の言う事は僕には不可解だ。
 だが過去にも似たような問答をしたことを思い出す。
 ジーンだ。ジーンは時折僕の皿から「一口!」と言っては掠め取っていた。意地汚いから止めろと言ったら「だってナルがどんなの食べてるか気になるんだもん」と反論した。その後何度注意しても止めなかった。食い意地が張ってるのは間違いないが、その他にも麻衣の言ったような理由も含まれていたのかもしれない。
 麻衣の膨れ面とジーンのそれが重なり小さな笑みが浮かんだ。
 口を尖らせていた麻衣が何故か赤くなり目を反らした。
「・・・今、ジーンのこと思いだしたでしょ」
「よく分かったな」
「なんとなく、ね」
 麻衣は首を傾けて仄かに笑った。
 その後は静かに食事をすることが出来た。

 食事を終えて別れる頃、
「今日は事務所行けないから」
「昨日聞いたが?」
「だからさ・・・、えーと・・・」
「何だ」
「また明日ね」
「・・・ああ」
 麻衣は手を振り、友人達の待つ校舎へと走り去って行く。

『また明日ね』

 一般的な別れの挨拶に違和感を感じた。
 思い返せば英国に帰ってから今日まで僕と麻衣が別々の場所に帰るのは初めてだった。日本に戻ってからも麻衣は自宅に戻らず僕の部屋にいた。英国でも別々に行動していても戻る場所は一緒だった。そんな生活が一カ月も続けば日常に感じてもおかしくはない。
 いつの間にか『麻衣が待つ家』もしくは『僕が待つ家』そこへ帰るのが当たり前になっていた。だから別れの言葉に違和感を感じた。
 恐らく麻衣も同じような違和感を感じたのだろう。だから去り際にぐずぐずとしていたのだ。

 この違和感を言葉にするなら

 『I miss you』

 この言葉が一番正しいのかもしれない。 


2012.1.31
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