彼女も考える |
ナルに同居しないかと提案されてしまった。 ナルとの同居生活は上手く行っている。恐れていたぼーさんの反対もなく、怖いくらい順調だ。予定では一週間の予定なので、あと四日でこのエアコン風呂完備な完璧マンションとお別れかと思うと少し寂しいくらいに思ってた。 (ううん、そうじゃない。一人暮らしに戻るのが寂しいのだ。) そんな時に提案された。 だから喜んでいいはずなのにすぐ頷けなかった。 一カ月デイヴィス家にお世話になって、家族のように扱われて楽しく過ごした。 ルエラもマーティンも私を家族の一員のように扱ってくれた。すごく可愛がってくれて、彼らが本当の家族だったらなぁと何度も思った。ナルはいつも通りナルだったけど、兄弟がいたらあんな感じなんだと思う。家族皆が優しいなんて有り得ない。でも想い合ってる。ずっとあんな家族が欲しかった。 デイヴィス家で過ごした一カ月は私の夢そのものだった。 でも本当の家族じゃない。 手を伸ばせば届くけど、まだ届かない。 手を伸ばす勇気が無いのかもしれない。 ナルと同居してしまったら私はもう一人の生活には戻れないと思う。 精一杯虚勢を張って一人で生きているけど私はすごい寂しがり屋だ。ナルの事が好きでもないのに寂しさに負けてなし崩しで結婚してしまうかもしれない。それが嫌だった。 ナルは寂しがり屋の私をよく把握した提案だと思う。ナルは私と結婚することが大事であって、私がナルの事をどうおもってるかどうでもいいんだろう。ナルを好きじゃなくてもいいなら、ジーンを忘れられない私にとっては好都合な提案なのに、自分でも何で嫌なのか良く分からない。 (ちゃんと考えないとなぁ) どこかで自分の区切りをつける必要を感じていた。 * * * 「そこ綴りが違う」 「え、どこ?」 「ここ」 「ホントだ…」 ナルがトンと指さした場所はRが一個抜けていた。 休み明けに提出するレポートをリビングでしていたらナルが通りかかった。チラリと見ただけで間違いが分かるなんてどういう目してんだろう。 「ありがと」 「お茶」 書斎にこもってたナルはお茶を頼むためにリビングに出てきたらしい。お礼がてらお茶を淹れて、ついでに自分にもココアを淹れて休憩することにする。 立ち上る湯気の向こうのナルは、紅茶を片手に長くてふさふさした睫毛を伏せながら英字書類を追っていた。 絵のように奇麗な姿。これが毎日身近で見られるのはお得だ。 「何だ」 「ん~~ナルと住んだら毎日美術鑑賞気分だなぁって思って」 「鑑賞料をとろうか?」 「料金とったら詐欺だよ。美術品は皮肉も言わないし髭も出ないしトイレにも行かないもん」 「物も人も時と共に劣化するのは同じだ」 「・・・ナルなら美中年に美老人になりそうだけど」 皺がいっぱでも妙にキレーなおじーさんになりそうだ。 「・・・で、答えは出たのか?」 「え?」 「明日で一週間だ。答えはでたか?」 「あ、うん、そだね・・・」 ナルは書類を置いてこちらを真っ直ぐ見詰めた。痛いくらいの強い視線。そう感じるのは私が不安定だからだ。俯いてしまう。 ナルは面倒くさそうにため息をついた。 「何をもったいぶっている。さっさと頷いてしまえ」 「~~~ッどっからでてくんのかなその自信は!」 さも当然のように言われれば反発もしたくなる。 「麻衣はいつもリビングにいるから」 「それが何よ」 ふかふかのソファに大きなテレビもあってリビングは私のお気に入りだ。いても変じゃないはず。 「自室代わりの書庫にいるのは着替えの時位だな。寝るときだってリビングだ。ほとんどリビングで生活している。レポートや勉強など他人に邪魔にされたくない作業をする時もここでやる。何故だ?」 「え・・・だってここならすぐお茶飲めるし大きな机もあるし・・・」 居心地がいいから何となくリビングでやってるだけだった。 「お前が使ってる書庫には簡易机もあるのに?書庫とキッチンはすぐそこだ。お茶が飲みたければすぐ飲める。それに僕が出てきて用事を言いつけられることもない。書庫の方が集中出来るだろう」 「・・・・・・・・・」 返す答えを持たない私は追い詰められた気分になってくる・・・。 「麻衣は人の気配がする場所がいいのだろう?」 「あ・・・」 「書庫では人の気配が伝わらない。僕が通りかかることもない。違うか?」 「・・・・・・・・・」 書庫は本だらけで殺風景だけど机はあるしエアコンもあって静かで快適だ。勉強にしろレポートにしろ最適な環境だろう。だけど自分はどこか落ち着かない。壁が厚くてナルの気配も何も伝わらない。今みたいに一緒にお茶を飲むことも出来ない。 この二人の時間を心地良いと思っている自分がいる。 「本心ではもう一人の生活には戻りたくないと思っている」 「・・・かもしれない」 「なのに何故同居に頷かない」 「・・・・・・・・・」 「麻衣?」 黙ってる麻衣に、つい、とナルの手が伸ばされた。 その手が触れるか否かで麻衣はパッと腕を自分に引き寄せた。 ナルは溜息をついて腕を戻す。 「あ、ごめ・・・」 「いや」 気まずげに麻衣は俯いた。麻衣は手が触れそうなった個所を見降ろしながら小さな声をだした。 「・・・明日一旦帰る。次の日にちゃんと答えるから・・・」 「分かった」 ナルは席を立ち書斎に戻って行った。手を避けられたことに何も感じてないような静かな声だった。 麻衣はナルに触れられそうになった手を押さえて溜息をついた。 (見透かされてるなぁ・・・) ナルが言ったことは的を得ている。無意識にしてた部分まで言い当てられてぐうの音もでなかった。 追い詰められた気になって咄嗟に腕を引っ込めてしまった。 あんなに細い体でもナルは男だ。太極拳を日課にしているだけあってしっかりと筋肉がある。筋肉は熱量を産み出す。意外にもナルは自分より体温が高かった。 自分じゃない体温の気配が怖かった。 その暖かさに触れるのが怖かった。 二番目の彼氏に「付き合わない?」と言われた時を思い出した。 先輩と別れて気軽に触れられる体温がなくなり、寒くて寂しくてどうしようもなかった時だった。伸ばされた手を振り払えなかった。抱きしめられて、暖かさに安堵して、でもどこか居心地が悪かった。 あの時と同じ。 ううんそれ以上に強い吸引力を感じた。 ちゃんと考えた方がいい。 それには一回ナルと離れた方がいいと思う。 逃げるつもりじゃなくて、考えるために明日はアパートに戻ることにした。 |
2012.1.28 |
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