プラット研究所 -04- 


「だって人間って、後が無い方が頑張れるでしょ?」

 そうニッコリ笑って言ったのはこの場にいる一番偉い人、森まどか女史だ。
 アレクさんは「まどかの指示で日本語は一切話さないようにと言われてた」と言っていた。その指示の訳は、ナルを引きずって向かった歓迎会会場のパブでまどか女史が話してくれた。それが冒頭の一言だ。
(よ、容赦ない・・・)
 まどかさんは物腰柔らかで優しい上司だが、やっぱりナルの師匠なんだと思った瞬間だった。

「リンや私が指導役についても良かったんだけど、私達相手じゃどうしても日本語話したくなるでしょ?アレクなら見かけも日本語話しそうにないし、発音も典型的なオックスフォードイングリッシュだから慣れるまで丁度いいと思ったのよ」
「はぁ・・・」
「お陰で麻衣ちゃんの発音随分良くなったし、滑らかになったわw 私の作戦通りね!」
「お陰さまで・・・」
 確かにまどかさんの言う通りだ。いくら英語を話すように言われててもナルやリンさんやまどかさん相手なら、困った時は日本語を使ってしまったと思う。でもアレクさん相手だからどんなに困っても、必死で英語で質問して英語で理解した。
「将来SPRで仕事するなら今から慣れた方がいいもの。鉄は熱いうちに打て!っていうしね」
「将来・・・?」
 まどかの言葉に麻衣はきょとんとした。
「麻衣ちゃんSPRに就職するんでしょ?」
「え?えぇぇぇ?」
 麻衣は驚きのあまりテーブルクロスを握りしめた。
「違うの?ナルからそう聞いてるんだけど・・・」
 まどかはチラリとナルを見て、ナルは軽く首を傾げて麻衣を見る。
「嫌なのか?」
「え・・・あ・・・い、嫌なんかじゃなくてね。私、SPRに就職出来るの?」
「この仕事を続けたいと言ったのはお前だが?」
 ナルは二年以上も前に進路相談をした時のことを言っている。そんな前の話をよく覚えていたと麻衣は驚いた。
「や、そうだけど、それはあの事務所での話だしさ。何より私なんかがSPRに就職出来るなんて思わないじゃんか・・・」
 麻衣は眉を下げ自信なさそうに小さく答えた。手の中のテーブルクロスはくしゃくしゃだ。
 その様子を見たメンバーは頭を抱えた。
(自覚がないって恐ろしい・・・)
(やっぱ検査受けさせるべきよね・・・)
(他の現場や能力者を見せるべきでしょうか・・・)
 様々な心配が頭をよぎる。
 研究者としては確かにお粗末な麻衣だが、調査員としては十分戦力になるし、その未知数な能力は研究者にとっては垂涎の的だ。SPRが手放す筈が無い。ナルだとて麻衣の能力と働き振りを認めている。だから今回まどかに麻衣の就職希望を伝えて数日バイトさせようとした。
『麻衣は将来SPRで働くかもしれないから』と。
 これに大喜びしたまどかが正規の研修生扱いにし、期間も二週間と伸ばさせて様々な便宜を図った。最後にレポートを提出してもらい本部登録し、卒業後は正規職員として就職してもらう気満々だ。ナルとしてはそこまでするつもりはなかったが、異論はないし楽なのでそのままにさせていた。

「いつか日本支部が無くなっても麻衣ちゃんにはSPRにいて欲しいわ。その時は英国にいらっしゃい。大歓迎よ!室長の私が言うんだから間違いなし!」
 気後れしている麻衣に、まどかがいつものにっこり笑いで断言した。
 これ以上頼もしい言葉は無い。

 自分がSPRに就職する・・・。

 思いもよらない打診に麻衣は動揺して隣のナルの袖を掴んでしまった。
 少し眉をしかめた黒い双眸と目があう。
「何だ」
「い、いいのかな?」
「何故僕に聞く」
「や、何となく・・・?」
 『溺れる者は藁にも縋る』という言葉が思い浮かんだが、藁に例えたら機嫌を損ねそうなので黙っておく。でも言わずとも伝わったのか、ナルは少しだけ眉間の皺を深めた。そしてふいと視線を外す。
「麻衣がいいならいいんじゃないのか?」
 素っ気無いが冷たい響きではなかった。
 先の話だし、正直英国に渡る覚悟があるのかと問われたら、その時に頷けないかもしれない。でもこの就職難の時期に確実に就職先があるのは有り難い。就職活動に力を入れなくて済む分、学業に身を入れられるし、その時間を資格試験に挑戦する時間に回せる。
 何より、自分のように身寄りのない者にとって確かな未来はとても助かるし、・・・安心できる。本当に有り難い話だと思う。
(私は恵まれてるなぁ・・・)
 いろんな人に助けられている。感謝に、麻衣はペコリと頭を下げた。

「よろしくお願いします」

 その後は無礼講の宴会になった。


 * * *


「ふん、ふーん、ふ、ふーん♪」
 お酒を飲んでほろ酔い気分、夜風に当たりながら徒歩で帰宅中。
 先導するのは不機嫌な顔をした上司さまだが酔っ払いには関係ない。麻衣はナルの服の裾を掴みながら、鼻歌を歌いながら後をついていく。
 酔っ払いに止めろと言っても聞きやしない。ナルは諦めてされるがままにして家路を急ぐ。危なくないようにと手を繋いでやらないのが博士クオリティだ。

「何がそんなに嬉しいんだか」
「嬉しいともさ!だって就職先が決まってるんだよ!喜ばないでか!!」
「そう」
「・・・だってさ、ナルが英国に帰ったら私とは何の関係もなくなるんだと思ってた」
 麻衣はポツリと独り言のように呟いた
 ともすると自分を卑下するような響きに、ナルは麻衣を振り返った。
 酒のせいでほんのりと頬を染めながらも、静かな目をした麻衣と目が合う。
 日本とは違いケンブリッジの夏は涼しい。穏やかな風が頬を撫で、酔いを醒ましたかもしれないし、醒ましてないかもしれない。酔っ払いの戯言に付き合う気は無いが、ナルは無視できずに言葉を待つ。

「英国に帰ったら、ナルは研究に没頭して日本のこと思いださないよね?」
「ああ」
 事実、今までも帰国したときに(調査データは別として)日本のことを思い出すことは稀だ。
「安原さんやぼーさんやジョンや綾子や真砂子のこと思いださないよね」
「だろうな」
 調査の時に思いだすことはあれど、基本少ない。
「・・・私のことだって思いださないよね」
「・・・ほとんどな」
 全く思いださないのではない。実はお茶の時間に「麻衣、お茶」と言いだしそうになってしまう時がある。一日に一回だけ、だがそれ以外で思いだす事はほとんどない。ナルはつい最後のほうだけ答えた。
 素直に「お茶の時間の時だけ」と答えれば全然違っただろうに、麻衣はナルの言葉を聞いて「そうだよね・・・」とくしゃりと顔を歪めた。
「でもさ、私はナルのこと忘れない。忘れられない」
「お前が忘れられないのはジーンのことだろう?」
 残酷なことを言う。だがそれは事実だし、ナルには全く他意は無い。ただホントにそう思ってるだけ。自分のことは忘れられてもいいと思ってる。それが切ない。自分だけがナルと繋がっていたいのだと思い知らされるのは、分かっていても痛かった。
「そうだけど・・・ナルのことだって忘れられないよ。私にとって二人はワンセットだもん」
「あの馬鹿と一緒にするな」
 それまで無表情だったナルが、「ワンセット」の一言で憮然とした表情を見せた。その少しだけ子供っぽい表情に麻衣の顔が緩んだ。
「顔も似てるけど、二人って反対過ぎて逆に片ッぽのこと思いださせるんだよね。ジーンともよくナルの話をするよ?」
「調査中だろうが、もっと有益なことを話せ」
 ナルは心底嫌そうに言い放った。
 何故そんなにジーンとセットで見られるのが嫌なんだろうか、その子供っぽい様子に麻衣はクスクスと笑ってしまう。
「私はさ、ジーンと縁が切れるのも寂しいけど、ナルとも繋がっていたいの。だからSPRに就職出来るって言われてすごく嬉しかった」
「扱き使われるだけなのに?」
「それだけじゃないもん」
「へぇ」
「この四年間、それだけじゃなかったでしょ?」
「・・・・・・・・・」
 麻衣が不満げにこちらを見上げた。
 ナルはそれに答えず、肩をすくめて歩きだす。無言の肯定だった。
「ちょ、ナル!」
 麻衣は慌てて後を追う。
 二人で暫く無言で歩いていると、
「私達ってさ、何だろうね」
 ぽつん、と麻衣が呟いた。
「上司と部下ってだけじゃないし、友達とも言い切れない。何か変な関係だよね・・・」
 背中に届いた問いに、ナルは答えを持っていない。
 麻衣も答えを求めたわけではなく、二人は無言で歩き続けた。

『二人の関係』

 答えが空白の問いが、二人の間で揺れていた。




(終)
最後の10行で三日間悩んださー。諦めてあっぷ!
23.8.25
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