彼は決断できない


 SPR事務所へ麻衣宛に一通の手紙が届いた。

 軽く触れただけで金髪の歪んだ顔の女が見えた。どこかで見たような気がして記憶の底をさらうと、ごり押しされて会った見合い相手だったと思い出す。人となりはよく覚えていないが断って別れる際に真っ赤な唇で喚いていた記憶がある。
 犯人が分かれば話は早い。ストーカーもどきの思いこみの強いタイプの対処は慣れている。早速相応の対処をして処理した。
 調べさせた結果、直接嫌がらせをするような相手は他にいないらしい。とりあえず警戒態勢は解いても良いだろう。

 所長室の椅子に身を深く沈め、ため息をつき目を閉じた。
(どうするか・・・)
 ナルは麻衣との仮の関係を解消すべきか迷っていた。
 予定では本国へ戻るまでこの関係を続け、帰国する時には別れたことにして解消するつもりだった。もちろん麻衣に相応の相手が出来た場合も同じ。
 だが彼女に実害があるのなら予定を早めた方が良いかもしれない。
 とはいえ、今さら交際相手と別れたとしてもウソ臭い。解消するにしても時間を置いてからの方が良いだろう。今すぐする必要は無い。

(本当にそうか?問題を先延ばしにしていないか?)

 そう、決断しない自分に問いかけた。
 彼女の処遇に迷いが出たのは二度目だ。
 あれは彼女が進路について相談された時だった。


 * * *


「所長、ちょっとお話があるんですがよろしいでしょうか?」
「・・・・・・・・・」
 応接間でファイルを読んでいると、遠慮がちに麻衣が尋ねて来た。
 彼女が『所長』と呼ぶ時は何かしら企んでるか、仕事について相談したいときだ。少し緊張したような顔は後者のようだ。暇ではないが耳を傾けた方が無難だ。後が煩い。
 軽く頷くと、僕の前に座り話し始めた。
 彼女は進路について相談したいという。麻衣は早い頃から学費を貯めて大学へ進むと決めていた。だが問題の志望大学を絞れずにいたらしい。
 当初は看護系の学費援助がでてそのまま就職出来るところへ進もうと決めていたそうだが、綾子に相談した結果、霊的才能がある麻衣には向いてないと諭されたようだ。
「人の世話するの好きだし、医療系なら専門職で確実に就職出来るからいいと思ってたんだけどねぇ」
 確かに、誰にでも同情し親切心を押し売りするような麻衣には看護系は向いてるかもしれない。ハードな仕事だが体力と根性のある麻衣なら十分勤められるだろう。しかし病院は死に近い場所だ。彼女の能力が発動し、余計なトラブルに巻き込まれるのは想像に難くない。イレギュラーズでなくとも考え直せと言うだろう。
「でもそれはいいの。就職に確実だからって理由でどうしてもやりたい仕事じゃないから。本当にやりたい仕事は別にある」
 ならさっさとその方面に決めればいいはずだ。
「あのさ、出来れば、調査員を続けたいの。大学でても、出来ればこのまま調査員として働きたい。・・・駄目かな」
 とりあえず、麻衣を解雇する理由は今のところ無い。馬鹿だが学習能力は一応あるのでそこそこ使えるようにはなってきた。能力コントロールも昔よりはマシになっている。今のまま調査員として使い続ける分には問題ないだろう。
「日本支部が閉鎖されない限りは、現状維持で構わない」
「・・・この日本支部っていつまであるの?」
「判らない。本国より興味深いデータが取れ続ける限りは維持されるだろう。ただし日本や本国の状況変化によってはその限りではない。あと3年は大丈夫だがそれ以降は保障出来ない」
「そっか・・・」
 麻衣は目に見えて落胆したが嘘は言えない。それが事実だ。
 日本のデータは興味深く、その要因を探るのも面白い。真正の能力者も多数いる。余計な社交もないため、僕としては本国に戻るよりこちらで静かに研究生活を続けるのが望ましい。数年単位で研究予定をたててもいた。
 だがそれはSPRがあってこそだ。個人で居続けて研究を続けるのは難しい。両親のこともある。いつまでこの状態を続けられるかは分からなかった。
 
「・・・麻衣、僕からも聞きたい」
「何?」
「何故、調査員を続けたい?お前は研究者でもプロの霊能者でもない。そのお前が何故この特殊な世界に関わり続けようとする理由を聞きたい」
「・・・・・・・・・」
 麻衣はどう答えるべきか思案しているようだった。


 この時、僕は一種の賭けをした。
 麻衣の答えによっては彼女を解雇するつもりだった。

 麻衣はジーンが好きだという。
 生者が死者に想いを寄せるのは不健康だし、危険だ。早く忘れてしまった方が良い。
 本来なら麻衣が誰を好きでいようが麻衣の自由で、僕には関係が無い。
 だが相手がジーンなら少しだけ僕にも責任があった。
 あいつは僕と連絡をとるために麻衣を利用した。
 その結果、僕とジーンを混同して自分の気持ちを勘違いした。
 勘違いするほうがどうかしてると思うが、何も知らない状況でそう言うのも酷な話だ。それほど僕らは似ていた。

 月の下で大粒の涙を零し泣き続ける麻衣を見て、胸に痛みのようなものを感じた。
 滅多にないことだが、憐憫か後悔かもしくは罪悪感を抱いたようだ。彼女は僕とジーンの両方に騙され続けたようなものだ。そして傷ついた。必要があったから隠していただけであって、このように身も世も無く泣かせるつもりはなかった。

 贖罪のつもりでルエラの荷物からジーンが映っている写真をすり取って麻衣にやった。
 渡した時、いつもの晴れ間のような明るい笑顔を見せた。少しは慰めになったようだ。
 彼女は心身ともに健康で単純だ。いずれジーンを忘れて別の誰かを想い、幸せになるだろう。そう思うと胸の痛みは消えた。これで終わるはずだった。 

 だが終わらなかった。
 
 写真とともに思い出の中に沈む筈だったあいつが、また麻衣の夢に現れるようになったからだ。これではジーンを忘れられるはずがない。
 しかもまたラインを勝手に繋ぎサイコメトリの映像を中継した。
 阿川邸で泣く彼女に、あの時の痛みを思いだす。こんなことは全くの計算外だった。

 現場と僕と麻衣の3点が揃わなければジーンは現れない。
 本当なら麻衣を解雇し、僕やジーンと切り離した方が良いのだろう。解雇しないまでも現場に連れて行くべきではない。不便になるがその方が彼女のためになるはずだ。麻衣は反対するだろうが話せば分かる。彼女は馬鹿だが愚かではない。

 ジーンも中継相手がいなければ目覚めないまま消えるかもしれない。もともと死んでるのだし、会えなければ消えたと同じだ。それにチューニングがずれていてもジーンと僕は繋がったままだ。最終的には僕が死ねば一緒にあちらに行くだろう。あちらで会えればいい。
 だがそこまでするべきか否か、決断がつかないまま、彼女は僕の傍にいた。そして今もなおジーンを想い続けている。
 麻衣がいることでジーンと繋がるこの状況を手放せないでいる自分にも責任がある。認めたくはないが、突如喪った片割れに未練があるのかもしれない。

 この状況は、僕にとっても、麻衣にとってもよくない。それは分かっている。
 生者が死者に想いを残し、死に誘われた事例はいくらでもある。僕は問題ないが、彼女がそうならないとは言い切れない。彼女を雇っている以上、自分は彼女に対して責任がある。そのときは、月の下で泣く彼女を見た時の比ではない後悔が僕を襲うだろう。それは避けたい。
 とはいえ、研究者でも本職の霊能者でもない彼女はいずれこの世界を去っていくだろう。それまでは静観するつもりだった。

 だがこれからもこの世界で働き続けたいというのなら、話しは別だ。
 この状態が長く続けば、あいつが変質するか、彼女が囚われる可能性が高くなる。
 もし、続けたい理由が『ジーンと会えるから』などと言い出したら、あちらに引き込まれる可能性が大きくなり危険だ。調査から外したほうが良いだろう。
 そう決断し、麻衣の言葉を待った。


「・・・始めは生活と学費のためが大きかったんだけどね」
 ぽつりと語り始めた。
「でもさ、ぼーさんや綾子に真砂子、ジョンに安原さんにリンさん、ナルと・・・ジーンに出会えて、一緒に仕事できて、私すごく助かったの。お金だけじゃなくて、色んなこと教わって、助けられた。皆大好きなの。この事務所が好きでこのまま皆と居られる場所にいたいってのが一番大きいかも。ここは私の居場所の一つなの」
「・・・・・・・・・」
 イレギュラーズがここを喫茶店代わりにするのは麻衣がいるせいも大きいだろう。
 これだけの理由なら事務員で十分だ。
「でもそれだけじゃなくてさ。この仕事はそりゃ辛いことも多いし、嫌なものも見るし、時には辞めてやる!って思うこともあるんだ・・・。でもさ、人のギリギリの想いって、こういう現場にいないと忘れちゃう。そういうの、忘れたくない。私の感傷かもしれないけど、そういう人達の声を聞いて、『辛いね』って言ってあげたい。私、おかーさん死んじゃった時に色んな人に慰められた。同情されるの嫌いじゃないんだ。だってすごく優しい気持ちだと思うから、それを受け取れて慰められた。だから私もそうしたい・・・。いつまでも続けれるとは思ってないけれど、せめてこの事務所があるうちは続けたいの」

 麻衣は僕をまっすぐ見つめて答えた。
 感傷と同情に溢れた僕からすれば全く理解できない理由だが、彼女らしい答えだった。
 悪い答えじゃない。むしろ、依頼人には彼女のような存在は良いのだろう。
 ジーンがそうだった。
 依頼人に同情し、よく泣いていた。そのお陰でいらぬ騒動もあったが、大抵は依頼人は慰められたようだ。事件の解決は僕が、依頼人の心の澱はジーンがほぐす、自然とそんな役割分担になっていた。ただし、ジーンは麻衣ほどお人好しではない。時に澱をほぐすのではなく澱を落とすこともあった。

「ジーンと会えるからではないんだな?」
 確認する必要はないようだが、念のため聞くと、目を瞬かせて驚いたような顔をした。
「ジーンと会えるのは嬉しいから、否定はしないけど・・・会えなくても続けたい。それに会えなくなる方が良いのはよく分かってる・・・」
 そうほろ苦く笑う彼女は、現実をよく認識しているようだった。母を事故で失った彼女は生と死の別れをよく理解していた。
 これでは彼女を解雇する理由にはならない。
 僕はため息をついて、調査員を続けるなら幾つか問題点を、特に英語力が不足してることを指摘した。
 その結果、彼女は英文科に進むことに決めたらしい。 
「もしここで働けなくなっても、通訳の資格とっとけば食いっぱぐれないもんね!」
だそうだ。自立志向があるのは麻衣の美点だろう。

 そうして彼女は僕の傍で働き続け、時折ジーンと会い、僕とジーンの橋渡しをした。
 今は僕の恋人役として傍にいた。
 結局、僕もジーンと同じだ。
 決断せずに、今もなお、自分の都合で彼女を利用し続けている・・・。


 * * *


『ナル、今年はいつ頃帰ってくるの?』

 オフィスにかかってきた養母からの電話は夏の帰省時期を確認するためのものだった。
 ナルは8月初旬に帰省する予定だ。それは仕事半分私用半分の理由で毎年の恒例と化していた。出発予定を伝えると、ルエラは嬉しそうに『待ってるわ』とはしゃいだ声をあげた。その普段より高い声に、離れて暮らしてるのを寂しがらせているのだと感じる。
 
『ねぇ、ナル。貴方一緒に麻衣を連れてくる気はないかしら』
「麻衣を?」
『彼女の大学もお休みに入るでしょ?彼女は英語を勉強したいと言っていたから、我が家へホームステイにご招待しようと思うの』
「何故」
『貴方のことでお礼がしたいとマーティンに話したら『だったら我が家へ招待するのはどうだい?』って言ってくれたの』
「僕はその必要を感じないが」
『そお?でも麻衣が貴方のせいで嫌がらせを受けたのでしょう?十分迷惑をかけてると思うのだけれど』
「・・・・・・・・」
 そんなことまで知ってるのか・・・、どうせまどかが話したに違いない。余計なことを。
『どうかしら?』
「・・・彼女の予定は僕には決められません」
『それもそうね。麻衣に代わってくれる?』
 ナルは憮然としながら麻衣に電話を代わった。麻衣はいつもの近況報告だと思ったようで、いそいそと電話を代わり楽しげな声を出してルエラと話し始めた。その声が次第に驚きに代わっていく。
 とまどいながらも遠慮深く断りの文句を言うも、ルエラは強く誘ったのだだろう。段々と遠慮する声が無くなっていく。そして答えが揺れ始める・・・。
 ナルはその先の答えをすでに知っていた。

「い、行きます!!」

 麻衣は日本語で宣言し、すぐに慌てて英語で言いなおした。

 その返事を聞いて、ナルはため息をつく。
 麻衣がこう返事をするのは分かり切っていたことだ。ジーンの墓参りに行きたいと以前に零していた。この絶好のチャンスを逃さないだろう。
 英国に行ったら今以上の面倒事に巻き込まれるのは必至。この単純頭に注意を叩きこむことが山ほどある。それを思えばため息をつきたくもなる。

 とりあえず、写真のことを口止めすることから始めようか。



END


麻衣の仕事の姿勢は「悪夢~」のとこを引用してます。研究目的じゃない調査員がいてもいいじゃないか。頑張れ!と思った。
あんな大切にしてそうな写真をルエラが忘れるとは思えないので、荷物からスリ取って渡したと当時から考えてました。ルエラから貰うのは理由が必要だが言いたくないだろうし、麻衣が写真を持ってることを見られる可能性もある。もし無くなっても焼き増しすればいいから、すり取って拾ったことにしたんじゃないかと。もしルエラが麻衣が持ってるのを見ても「あら、見つかったのね?」で大丈夫だしね。


2011.3.11
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