そして彼は溜息をつく

 いつも混んでいる山手線の車内も、平日昼間の中途半端な時間は乗客が少なく座ることができた。目的地に着くまでのまでの間、ナルは電車に揺られながら資料ファイルを読みふける。
 真夏に長袖の黒衣の麗人は非常に目立つ。男女ともにあちらこちらから視線が寄せられるも、ナルは涼しい顔で黙殺し読書を続けていた。
 だがそんな彼にも無視出来ない視線があった。

「見るな、減る」
「そんなんで減る分厚い面の皮じゃないでしょーが」
「ほう?」
 読んでたファイルから目を離し、隣に座る麻衣へ視線を送る。先ほどから意味ありげに視線を送るくせして随分生意気な口を聞くものだ。言いたいことがあれば言え、とじろりと睨んでやる。
「まだ理由を聞いてない」
「何の」
「大学まで迎えに来て、一緒にデメル行ってくれるなんてどうしたの?」

 講義が終わりさあ事務所に行こうとした時、ナルから携帯に電話がかかってきた。聞けば大学正門に来ているから早く来いと言う。急いで行くと女学生達の視線を一身に浴びながら涼しい顔したナルが立っていた。女子の視線が怖いなぁと思いながら恐る恐る近寄ると、「遅い」と言って歩き出した。急な調査でも入ったのかと思い付いていき、どこへ行くのか尋ねたら「デメル」なんて言う。驚かない方が変だろう。

「お前一人で行けばいいものを一緒に行ってやるんだ。素直に感謝すれば?」
「いや、嬉しいというより、明日雨どころか雹が振りそうで怖いんですけど・・・」
 夏に雹が降るとは妙なたとえだ。有り得ないと言いたいのだろうか。確かに自分が普段このようなサービス精神を発揮することはない。だが夏の雹のように有り得ないとまで言われるのは少々失礼ではないだろうか。
 そんなことを思いつつ、ナルは逆に質問を重ねた。

「人に聞く前に自分の方はどうなんだ。僕に言うことは無いか?」
「昨日のはあれで全部だよ?」
「他には?」
「えーっと・・・、あ…、安原さんが話した?」
「そう」
「でも電話あっただけだよ?」
「どんな」
「『オリバーと別れなさい』『アンタみたいな孤児に彼は相応しくない』他いろいろ。英語でスラングみたいなのもあったからよくわかんなかった」
「何故言わなかった」
「実害無いもん。これがホントの彼女ならブルーになるだろうけど、(仮)の彼女だもん。所詮他人事だから痛くもかゆくもないよ。逆に国際電話までして嫌がらせしたいくらいナルが好きなんだなーって思うとちょっとだけ同情しちゃう」
「・・・・・・」
「だってさ、ナルに一度は振られて、でも諦めきれなくて、私に嫌がらせするくらい追い詰められてるんだよ?しかも嘘ついて断られてさ。ちょっとは可哀想だと思わない?」
「全く」
 彼女たちは現実を直視できないだけだ。拒否されたのは相手かもしくは自分以外の何かが悪いと思い込み、麻衣を排除するという手段を取った。そんなことをすれば益々相手から疎まれるだろうに、愚かなことだ。そんなもの同情に値しない。
 そう言うと「その通りなんだけどね。それでも諦めきれないのが女心ってやつでして・・・」と、麻衣は苦笑いをした。自分が被害にあったのに同情するとはどこまでお人好しなんだと呆れる。

 が、ふと思いつく。

「同病相哀れむ、か?」

 麻衣にもいつまでも諦めきれない相手がいる。それに若干の責任を感じる自分は、早く忘れてしまえ、と気持ちもあって揶揄するように言った。
「・・・あんたヤなこと言うね」
 麻衣はしばし僕を睨みつけ、ふいと視線をそらした。図星だろうと横目で見ると、何か考え込むように足元を見つめていた。
 そしてぽつんと呟いた。
「…でもさ、私のはちょっと違う」
 どう違うのか、黙って続く言葉を待つ。
「諦めようとかそういうのないの。ジーンと恋人になりたいなんて思ってない。そんなの無理なの知ってるもん」
「・・・・・・・・」
「たださ、好きなの。ジーンのこと思い出すだけであったかくて、幸せな気持ちになれるの。恋人になりたいとか、どうこうしたいってのはないんだ。好きになってもらいたいとかもないんだ。ただ私が想っていられるだけでいいから、諦めるとかないの」

 結ばれなくてもいい、想われなくてもいい、相手のことを想うだけで幸せ。

 そんな相手へ求めない無欲な想いは自分が知ってる恋愛感情と当て嵌まらない。書物の定義とサイコメトリして得た情報では、恋愛感情というものには相手への欲求が産まれるはずだった。想い想われ、精神的にも肉体的にも一体感を得たいと望み求愛行動を起こす。そういうものだと認識していた。
 『想っているだけで幸せ』などという無欲な想いに当てはまるのは、母が子に寄せる情愛や・・・

「まるで信仰だな」

 宗教家の神への信仰とは違う、もっと身近な存在に寄せる信仰に近い気がする。
 ある少女を思いだした。
 昔、「天使様が私を守ってくれているの!」と主張する少女がいた。心配した両親が本当かどうかジーンに視てもらいたいという依頼だった。馬鹿馬鹿しい話しだったがジーンは視てやった。確かに彼女には強力な守護霊が傍にいるらしい。だがそれは彼女の先祖で天使ではなかった。ジーンが視たところ金髪で白い衣をまとった女性だったので、霊媒体質で信心深い彼女は天使と勘違いしたのだ。天使じゃないと知り少女は落胆した。それでも守ってくれててる存在があるとは嬉しいらしく、「これからは神様と天使様だけじゃなくて、ご先祖様にもお祈りするわね」と無邪気に笑っていた。
 麻衣のそれはこのケースに近い気がした。
 ジーンは指導霊として麻衣をサポートしている。守護天使のようなものだ。あんなふざけた浮遊霊が守護天使なんてお笑いだが、自分を守ってくれる存在に思慕を寄せるのは理解出来る。それと恋愛感情がどう違うかまでは分からない。興味もないが。
 そういえばあいつは微笑させれば天使のようだと囃したてる女達がいた。ジーンは無神論者だ。人当たりが良くいつも依頼人に同情してはいたが、決して慈悲深いタイプではない。中身を知らないとは幸せなことだ、そう思ったことまで思いだしてしまった。
 そのまま返事が無いのを幸いにファイルへ意識を戻した。

 車内のアナウンスが目的地にまもなく到着すると告げた。車両がブレーキをかけはじめたのでファイルを閉じて降りる準備をする。席を立つと隣の麻衣が立ち上がる気配がない。視線を送ると麻衣は俯いたままで立ち上がる様子がない。寝てるのか?
「麻衣、降りるぞ」
 声をかけるとビクッと肩を震わせ、顔を上げた。

 その顔は強張るように歪み、今にも泣きそうな顔だった・・・

 だがそれは一瞬で、すぐ我に返ったようにキョロキョロと周りを見た。
「あ、もう原宿か!降りなきゃね!」
 と慌てて立ち上がりドアに向かった。
「目を開けて寝てたのか?」
「ちがわい」
 ホームを歩きながら適当な声をかけると、いつもの調子で返ってくる。表情までは分からない。

 また自分は余計なことを言ったかもしれない。

 夏のあの日、麻衣の真実の想いに気付き指摘しなければ良かったと思う時がある。
 自分に寄せられた想いなら断ればそれで完了する筈だった。麻衣もそれで諦めた筈だ。だが自分は余計なことに気づき、ジーンの狡さと自分の責任に気付いてしまった。

『僕が?ジーンが?』

 あの一言が無ければ、麻衣が誰を好きでも自分には関係無かった。
 あの一言が無ければ、麻衣は気付かずあのように泣かなかった。
 あの一言が無ければ、麻衣の泣く姿に責任を感じなかった。

 知らなければ終わる筈だった想いに気付かせ、あまつさえ長引かせたのは自分の存在だ。すべてあの余計な一言が発端だった。

 深いため息がでる。
 面倒だ。何故自分がこのようなことに悩まなければいけないのだろう。全てをジーンのせいだと一言で片づけて無視したい。麻衣が泣こうが喚こうがどうでもいい。自分には関係ない。そう思いたい。

 だが・・・


「ナル」
 クイッと袖を引かれて立ち止る。振りかえると麻衣が笑ってビルの一角を指さしていた。
「行き過ぎ、ここだよ」
 麻衣は笑いながら店に入っていく。その顔に先ほどの泣きそうな表情は無く、そのことに軽く安堵する自分がいた。そんな自分にも軽い嫌悪感を感じ苛立つ。
 中に入るとチョコレートの甘い臭いがナルを襲い、さらに眉間の皺が深くなった。店内は女性ばかり。当然のごとく視線がナルに集中する。ナルが不機嫌になり不穏な空気を撒き散らしても、麻衣は構わずショーウィンドウのスウィーツに夢中だ。慣れっこなので全然気にならない様子だ。
 ナルは買い物を終えて早く店を出たいが、麻衣はショーウィンドウを眺めたままで一向に注文しない。 
「さっさと買え」
「ううううう、迷うよぅ」
「決めてるんじゃなかったのか?」
「そうだけど・・・いざ見るとどれも欲しくなっちゃって・・・」
「・・・欲しいだけ買えばいい」
「え・・・じゃあさ、小さいホールにするから、他にも買っていい?」
「好きにしろ」
 面倒臭げに答えるとパッと明るい顔をして「やった!」と子供のようにはしゃぎながらアレコレと頼む姿に溜息が洩れる。会計を待つのも面倒で、財布を渡して先に店を出た。麻衣が妙に慌てていたが問題はないだろうと無視した。

(甘い臭いも、女性の視線も、何もかもが不快でうっとうしい)

 本来なら麻衣が購入した後でその金額だけ渡せばいいことだ。自分が付き合うことはない。なのに突然麻衣を迎えに行きここまで付き合ったのは、彼女の周囲に不穏な空気が無いか確かめに行くためだった。
 昨日は何事もなく済んだが本当なら大事になってもおかしくない。今日は彼女の周囲を探るような人間は見当たらなかったが暫くは様子を見たほうがいいだろう。麻衣は人間・霊に関係なく危険を察知する能力に長けているが配慮は必要だ。
 現在、見合いを断ってもしつこく食い下がった人間を中心に調べさせている。昨日の相手は日本人なため容易に接触出来たが、英国の人間もそうしないとは限らない。わざわざ調べて嫌がらせ電話をしてくるくらいだ。エスカレートして何をするかわからない。数日中には判明し、それ相応の対処をする予定だ。明日からは専門業者が麻衣の身辺を調査するよう手配した。
 このことを彼女に話すつもりはない。知ったら余計な口出しをして大ごとにしかねないし、悪戯に怖がらせる必要もない。
 たかが『恋人』にここまで反応されるとは思わなかった。こんなことになるなら恋人役なぞ頼まなかった。自分の都合で彼女を危険な目に会わせるべきではない。
 こうして、ジーンとは関係のないところで彼女への責任が増えていく・・・。
 自分で招いた事態に溜息しか出ない。


「ナルお待たせ」
 ケーキを抱えた麻衣が出てきた。そして妙に小さな声で「レシート中に入れといたから…」と言いながら財布を返してきた。中身も見ずにそのまま仕舞う。
「あのさぁ…、お財布なんか人に渡すもんじゃないよ!」
 何故か顔を赤くして抗議してきた。希望の品が買えたのに何が不服なんだ。眉をしかめて麻衣を睨む。
「だってさ、お財布の中を見るなんて遠慮ない真似は家族くらいしかしないでしょ?」
「家族でもジーンに渡したことはないな。あいつは遠慮がなさすぎる」
 甘い物が好きなジーンに財布を渡したら、カードで店の全商品を買いかねない。面倒が先にたったが一応相手を見て渡したつもりだ。麻衣の小市民的金銭感覚は信用している。
「そういうんじゃなくて・・・男女だと夫婦とか長い付き合いの恋人くらいしか普通渡さないの。恥ずかしいよ」
「他人にどう見られようが関係ないだろう」
「うううう・・・もういい。ナルに女心とか常識とかを説いた私が馬鹿だった…」
 失礼なことを言いながら麻衣は顔を赤らめたままため息をついて俯いた。
 何が言いたいんだか良く分からない麻衣は放っておいてさっさと歩きだす。タクシーを捕まえようと車道へ向かう。
 丁度空車がやってきたので片手を上げて止めようとしたら

「ナル」

 また、呼ばれ、振りむく

「ありがとね」

 柔らかに笑う麻衣と目があった。
 それには答えず、手を上げてタクシーを止める。先に入るよう麻衣を促し、自分も乗り込む。彼女が運転手に目的地を説明してる横で目を閉じ、静かに嘆息する。

 彼女の声を、視線を、無視したくともできない自分に

 一番、溜息が出た。



END




博士のあの一言が無ければ麻衣はジーンへの想いに気づかなかったのではないかと(あの時点では)、博士も麻衣に告白されてもどうでも良かったのにジーンのせいで妙な責任を感じる羽目になったのではないかと妄想しておりました。
ここが日本編で一番書きたかったことであります。

2011.2.26
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