指先に灯る何か |
昔好きだった人から指輪を頂いた。 彼に全く他意は無い。 友人と合同で誕生日パーティを行ったので、ついでに買ってくれたのだと理解している。 今は別の方とお付き合いをしているので、正直、少し困る。 でもお返しするのも勿体ないと思ってしまう。 昔のように彼に恋焦がれているわけではないけれど、貰って嬉しいと思うくらい、彼のことが好きだった。 嬉しいやら困るやら、すこしほろ苦い想いで、真砂子は指輪を見つめていた。 * * * カラン、コローン・・・ 「あ、真砂子!」 SPR日本支部のドアを開けると、ティーカップを持ったお茶汲み娘の麻衣が出迎えてくれた。その指には自分とお揃いのナルからプレゼントされた指輪が光っている。明るい栗色の彼女によく似合っている。 「ナルはいらっしゃいます?」 「所長室にいるよー」 「その紅茶はナルに?」 「あ、うん」 「では代わって下さいませ。先日頂いたプレゼントのお礼に伺いましたの」 「そっか!んじゃどぞどぞ」 「ありがとう」 麻衣から紅茶を受け取る。今日はダージリンらしい。いつものごとく良い香りと色でとても美味しそうだ。 絶好の口実を持って所長室に向かう。 今日はナルと話がしたかった。 といっても色っぽい話ではない。指輪のお礼と、それについて少し話したいだけ。 真砂子は一年ほど前にナルに告白し、断られている。 もうナルが自分を見ることはないと分かっていた。麻衣と違い、自分はいつまでも仕事仲間の一人でしかない。それ以上でもそれ以下でもなかった。辛うじて、知人と呼ばれる程度の間柄だった。 その頃、麻衣に恋人が出来た。 ジーンを忘れた訳ではないけれど、なにか一歩、踏み出したかったと言っていた。 その様子を見て、自分も一歩踏み出したくなった。この行き場のない想いに疲れていたのかもしれない。断られると分かってるけれど、言わずにいられなかった。 そして告白した。 その時彼はハッキリと答えた。 「僕は女性に性的な興味を持つことが出来ません」 その答えに、絶句した。 彼は子供の頃に警察に協力要請されて事件解決のためにサイコメトリを数回行ったことがある。被害者の持ち物をサイコメトリし、犯人特定を行った。彼に持ち込まれるのは解決が難しく、話題になるような事件ばかりで、とても陰惨な事件が多く、中にはレイプ事件もあったらしい。それを幼い彼が被害者の視点で視たという…。 「その弊害か、自分はそういうことに興味を持てません。かといって治療が必要な病気でもない。自分に必要だとも思えない。これから先も貴女を一人の女性として見ることはないでしょう。諦めて下さい」とハッキリ言われた。 そのあまりに想定外の言葉に、食い下がる言葉は無く、「はい…」と頷くしかなかった・・・。 そう言われて見れば、納得することがいくつもあった。 ナルは腕を組むと硬直するくらい人との接触が苦手だし、極力女性と距離をおいて接してきた。滝川さん達を愛称で呼ぶことはあっても、松崎さんやあたくしはいつまでも名字に『さん』付けのままだ。 ・・・麻衣以外は。 彼女だけは最初から呼び捨てだった。 ナルに告白して断られた時、麻衣のもとに行って散々泣いた。 その時にナルの断りの言葉も話してしまった。 そのとき麻衣は「あー・・・、やっぱそうなんだ・・・」と、別段驚いた様子は見せず驚いた。何故か理由を聞いて更に驚いた。麻衣も、似たような体験があるというのだ。 「・・・前に調査で嫌な夢見ちゃったことがあったんだよね。私はナルほど同調しないんだけど、恐さが残ったしなぁ」 彼女は男性恐怖症に近い後遺症が残ったという…。でもそんなことは聞いたことが無かった。滝川らとじゃれている姿にそんな様子は見られなかった。 「自分でもよくわかんなかったの。でも、その、…ふと思い出しちゃう時があるんだよ、ね…」 と、顔を赤らめながら、少し言い辛そうに話してくれた。 お付き合いしている男性と、その、そういう雰囲気になったとき、ふいにフラッシュバックする時があるそうだ。「お陰でゆっくりのお付き合いです…」と顔を赤らめて言う麻衣につられて、自分も赤面してしまった。 でもあの時のナルは、とても誠実だったと思う。 わざわざ自分の弱みになるような事実を告げずに、女性として見れないとただ拒絶することも出来た。それをせずに、淡々と事実を述べて私を諭した。 昔のナルならもっと手酷く拒絶して終わりだったと思う。出会ってから3年の間に、それなりに信頼関係を築けた証しだ。 必要以上に傷つかないよう配慮をされる程には、ナルにとって私はどうでもいい存在ではないと思えたのが救いだった。 もう出会ってから4年が過ぎた。自分はあの頃とは違う。 それは自分だけじゃなく、ナルも同じ。 本人は気づいてないかもしれないけれど… * * * 「失礼します」 声をかけて入室すると、軽く眉をしかめてこちらを見るナルと目があった。文句を言われる前に、ニッコリと微笑んでさっさと机に紅茶を置く。ナルは笑顔でのごり押しに弱い。「笑顔で先手必勝!」と教えてくれたのは麻衣だった。 「お邪魔してごめん下さいまし。先日頂いた指輪のお礼に伺いましたの」 さらにニッコリ笑うと、軽く溜息をついてナルはパソコン画面から離れてこちらに体を向けてくれた。 「いえ」 「結構なお品物をありがとうございました。本当でしたら身につけてお見せするべきでしょうが、生憎ですが出来ませんの」 「?」 「あの指輪はあたくしにはサイズが少し大きいようです。落として失くしそうで、恐くてつけられませんの」 せっかく頂いた物に難癖つけるようで申し訳ないが事実だった。ぶかぶかではないけれど少しだけ大きく何かの拍子にスルリと抜けそうだった。あの日だけ麻衣と一緒に身につけて楽しんだけれど、その後は仕舞いこんでいる。 「・・・ショップで交換することも出来ますが?」 「いいえ。結構です。全然付けられないわけでもありませんし、このまま記念に頂いておきます。折角頂いた物を身につけませんがお気を悪くなさらないで下さいまし」 「構いません」 彼にしてみれば私が使う使わないなどどうでもいいだろう。もし身につけたとしても気づかないに違いない。 それは少し寂しいけれど、傷つくようなことではない。 彼から指輪をもらった、それだけで十分だ。 「そうそう、あの指輪、麻衣にはぴったりなサイズでしたわ。ナルは麻衣のサイズを御存じでしたの?」 「いいえ、偶然です」 「そうですか。ふふふ、御免下さいまし」 予想通りの答えに満足して、不審げなナルを残し所長室を後にした。 「真砂子もお茶飲むでしょ?」 所長室から出た途端、麻衣が擦りよるように近寄ってきたが、生憎この後約束があると言って断った。頬を膨らませて不満を言う彼女に艶然と微笑んで見せて、また来ると約束して事務所をでた。 指輪のサイズが大きかったわけ。 それは自分にではなく、麻衣のサイズに合わせたからだ。 ナルは自分も麻衣も一緒だと思って購入しただけ。 ナルは麻衣のサイズは知らないのに、丁度良いサイズを選ぶことができた。麻衣の指のサイズを感覚で知っていたということだ。 それは手を結ぶ、もしくは握る、そういう機会が数多くあったということ。 昔の二人はいくら呼び捨てにする間柄でも気軽に触れ合う間柄ではなかった。 それが今では、偶然かもしれないが麻衣の指輪のサイズをピタリと当てられるくらい、二人の距離は近くなっているようだ。 この変化に二人の未来を期待してしまうのは先走りすぎだろうか? 自分同様、彼も少しずつ変化している。 あのナルが、義務感とは言え指輪を贈るようになったのだ。しかも自分にまで贈るような気遣いを見せるようになった。その変化に期待せずにはいられない。 一生誰も愛さないと思われた彼がいつか誰かを愛せるようになったらいい。 それが自分じゃないのは若干寂しいけれど、その相手が麻衣なら素直に祝福できる。 彼の変化を喜べるようになった自分の変化も、また嬉しい。 (そうですわね・・・あの指輪は麻衣の結婚式のときにでも身につけようかしら) それまであの指輪は記念に仕舞っておこう。 そして、その代わりと言っては何だけれど、修さんに指輪を買って頂こう。 着物姿が多いので頂くプレゼントは和装小物が多い。指輪をプレゼントしたくとも気を遣う彼は遠慮してるのかもしれない。だからたまには自分からおねだりしてもいいかもしれない。 待ち合わせ場所へ向かいながら、幸せな予感に笑みをこぼす真砂子だった。 * * * 「ねぇナル、真砂子やけに上機嫌で帰ったけど、何かあったの?」 「さあ」 「さあって・・・何話したの?」 「指輪について礼を言われただけだ」 「ふうん・・・?」 不思議そうな顔をしている麻衣の指には、プレゼントした指輪が光っている。 誕生日パーティに手ぶらで行くのはマナー違反だし、一応協力してもらっている立場なのだから何か用意するべきだと思った。 以前、松崎さんが『虫除け用の指輪買ってもらいなさい!』と喚いていたのを思い出し、指輪を購入することにした。どうせなら必要な物の方がいいだろうと思ったからだ。幸い、会食があるホテルにジュエリーショップがあったので忘れずに購入できた。 7月生まれの女性向きのをと言ったら、誕生石のルビーがついたものを勧められた。その中で一番シンプルなものを選んだ。虫除けなら普段つかいのものがいいだろうと判断したからだ。 麻衣の指のサイズは知らないので、ショップで麻衣の指に一番近いと思われた指を持つ店員に合わせさせた。どうやらサイズは正しかったらしく、麻衣は問題なく身につけてる。自分の指先感覚と観察眼の正しさに満足した。 合同パーティなのに麻衣の分だけ用意するのは公平ではない。原さんの分として同じデザインの色違いをもう一つ購入した。仲の良い二人なら同じものでもいいだろうと思っただけだ。 ただ麻衣と同じく小柄だからサイズは同じくらいだと踏んで購入したが少し違ったようだ。彼女の指に触れた覚えが無いので仕方ない。だが本人は問題ないというのだからいいのだろう。あとは知らない。 あれから毎日、麻衣はプレゼントの指輪を身につけている。 指輪を眺めて「へへー」とだらしなく笑っている姿を見た時は呆れた。そんなに指輪が欲しかったのだろうか?よくわからない。まあ不機嫌になられるよりかは良い。 少々高い殺虫剤だが必要経費と思えばそうでもない。専門書数冊程度だ。 「麻衣、お茶」 「はーい!」 紅茶を差し出す右手、そこに光る指輪。 視界に映ったそれに、淡い高揚感を覚えた。 その感情が何なのか、言葉で表現する前にすぐ消えてしまった。 紅茶の香りで忘れてしまうような、そんな淡い、一時の何か。 END |
ひそかに安原×真砂子ぷっしゅ!真砂子ちゃんが書きたく仕方なかったとです。 朴念仁だけどマジックをやる博士は何度も触ったことがある指のサイズは感覚で分かると思う。 2011.2.17 |
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