保護者の思惑

 職場の上司であり監督保護対象だった少年と、同僚でもあり今は亡き少年の面影がある少女が、経緯はどうあれ交際を始めた。
 ただあくまで『振り』であって、本当に交際しているわけではないらしい。
 でも人を傍に寄せないナルが『振り』であっても女性と交際する気になったのは快挙に近い。
 それがあの少女となら喜ばずにはいられなかった。 

 この五日、ナルは事務所に来ていない。論文の追い込みで一週間ほど自宅に籠る予定だった。
 依頼はなく、仕事上問題はないのだけれど、そろそろ彼の健康面が気になる頃だ。
 仕事となれば寝食を忘れるので周囲の人間が気をつけなくてはいけない。
 いつもなら自分が様子伺いに行くのだけれど、今は自分以上の適役がいた。


 * * *

 
「あ、リンさん、お茶?」
 調整室から出て事務所へ顔を出すと、谷山さんは明るい声と笑顔で話しかけてきた。
「いえ、そうではなくちょっとお話しが」
「私に?」
「ええ、ナルの様子を見に行く気はありませんか?」
「え?」
「ナルのことだからこの五日ろくに食べず、睡眠もとってないと思います」
「だろうねぇ、仕事馬鹿だから」
 谷山さんは『しょうがないなぁ』と呆れつつも優しく苦笑した。
「いつもなら私が行くのですが、谷山さんにお願いしてよろしいですか?」
「え・・・何で?」
「ナルとお付き合いなさってるでしょう?」
「『振り』な彼女なのは知ってますよ、ね?」
「ええ、谷山さんが協力して下さってると聞いてます」
「だったら・・・」
「だからこそです」
「はい?」
「仮にも協力者相手を邪険にはしないはずです。私が行くより素直に世話を受けるでしょう」
「そうかなぁ…、ナルって仕事の邪魔されるとすっごく怒りますよね?」
「はい」
「怒鳴られて追い出されるとか勘弁なんですけど・・・」
「谷山さんなら大丈夫ですよ」
 軽く頭を下げて「お願いします」と言うと、谷山さんの肩がガクッと落ちて「わかりました・・・」と返答があった。不承不承でも引き受けてくれたようで安心する。
「・・・もしかして『仮』でも彼女がいる間はお役御免だ、とか思ってません?」
「さあ、どうでしょう」

 じとりと見上げる彼女の顔が可笑しくて、くすりと笑ってしまう。

 答えは半分正しく、半分不正解。
 個人としては成人した男性の世話をいつまでもするものではないと思うけれど、部下としては必要であればいつまでも世話をするつもりだ。

 なのに彼女に任せようとしたのは、二人にとって良い変化が訪れるのではないかと思ったからだ。
 彼女はまどかがジーンから聞いたと言う『インナー』だろう。
 二人が対等に言いあいしてじゃれ合ってる姿はジーンがいた頃を彷彿とさせる。彼女はジーンのようにナルに近寄っていけるのではないか。また昔のような光景が見れるのではないか…と、ふと思うことがある。
 その彼女が仮とはいえナルの交際相手になったのだ。こんな機会は無い。もっとナルに近寄ってもらうよう仕向けるくらいしても許されるだろう。

「お世話をしに行ってくれた日は時給に足しときますよ」
「うーん、それはいいです。心配なのは確かですから。別にお金をもらって(仮)の彼女になったわけじゃないし」

 彼女らしい言い分に笑みがもれる。
 代わりにナルへの差し入れをしてもらうためのお金を多少多く渡した。ついでにお好きなものをどうぞと言い添えると「わーい」と嬉しそうな返事が返ってきた。

 やはり彼女にお願いして正解だったようだ。



 * * *



 リンさんから受け取った合鍵でナルの部屋に勝手に入る。インターホンを鳴らして集中の邪魔をしたら大目玉をくらうからだ。 
 ナルの家に来たのは初めてじゃない。ナルがこっちで生活するためにマンションを借りた時、家具や引っ越しの手配をしたのはまどかさんと私だから。まどかさんと一緒に選んだ内装は自分の趣味が多分に入っている。金額を気にせずに家具や食器を買うのは大層気分が良かった。
 ナルの部屋は渋谷区の住宅街にある。6階建ての最上階で、3LDKと無駄に広い。寝室に書斎と使っても一部屋余るのだから贅沢な話だ。SPR会員の不動産の一つで、税金対策だかなんだか知らないが、非常に安価に貸し出されてるらしい。
 でも・・・

(贅沢マンションも、こうなったら台無しだ)

 リビングに入った途端、目に付いたのはテーブルの上に山と置かれた本と書類の束と走り書きのメモ。これは仕方ない。予想の範囲内だ。でも床にうっすら溜まるホコリや、隅っこにある綿ホコリは想定外だ。
 
(一体どんだけ掃除してないんだか・・・)

 当の家主様は書斎にいるようだ。中から絶えることのないキーボード音が聞こえる。これは相当集中してて調子の良い時だ。邪魔をしない方が無難だろう。書斎のドアからそっと離れてキッチンに行ってみた。

 キッチンを見ると悲しくなってしまった。ピカピカだったのシンクは薄汚れ、置かれたピザの食べ残しがひからびていた…。全然使ってないらしく、調理器具にはホコリすら溜まっている。
 冷蔵庫を開けて見ると400リットルの大型冷蔵庫はほぼからっぽだった。かろうじて水と野菜ジュースだけが入っている程度だ。

(侘びしい…侘びしすぎるよ博士様ッ!)

 この分だと洗面所とかも凄そうだが見るのがちょっと恐い。
 とりあえず、冷蔵庫に持ち込んだ食材を詰め込んで寒々しい冷蔵庫を回復させた。
 そして自分の為に買ったプリンを食べて一息つく。
 ナルは仕事場はキッチリ整頓しており、私生活も同様にキッチリ整頓されて綺麗なイメージがあったので、ちょっと驚いた。
 汚部屋などとは決して言わないが、小汚いと言っていいレベルだ。
 小汚い部屋とナルなんてミスマッチだなぁと思う。
 でもお籠りになる一か月くらい前から論文の準備で忙しそうにしてたし、途中調査もあったのでより忙しくなってしまった。一人暮らしには広い部屋なので私生活にまで手が回らない仕方ないと思う。どこまでも完璧そうに見えるあの博士様も人の子なのだ。
 本当なら差し入れして様子だけ見て帰る予定だったけれど、あんだけ素敵だったマンションの惨状に胸が痛んだ。こんな部屋に住めたらなぁという願望の元にインテリアなど決めただけに余計だ。部屋が可哀想に思えてしまう。

「ちょっとだけ片づけてやりますか!」

 せめて素敵キッチンの調味料のホコリくらいは取り除いてあげたかった。 




 * * *
 


 論文を締めくくる最後のセンテンスを打ち込んで、Enterキーを押す。

 ふ、と息が漏れた。

 画面から離れて目の付け根を揉む。この3日ほど寝ていないので頭痛がした。あとはチェックするだけでほぼ完成だ。あとは明日でいい。
 書斎のチェアはリクライニング式なのでこのまま寝てしまいたい衝動に駆られるが、この一週間の平均睡眠時間はは二桁いかない。さすがに体が限界だ。きちんと休養をとるべきだろう。
 重い体をひきずって寝室に向かおうと書斎の扉に手を掛ける。寝室は書斎の隣で、どちらもリビングに面している。書斎の扉を開けてリビングに出た。そこにはナルでも寝れる大きめなソファがあり、もうここで寝てしまおうかという誘惑に駆られる。
 だが、そこには先客がいた。
 ソファの背から茶色い頭が見えたのだ。日本人にしては明るい色と柔らかそうにふわふわした髪質も嫌になるくらい見慣れたものだった。スースーという呑気な寝息も然りだ。
 前に回って確認するまでもない。麻衣だ。麻衣にしか見えない。
 しかしここはオフィスではなく自分の部屋だ。有り得ない。あるとしたら幻覚だ。

「………」

 有り得ない状況に頭痛が酷くなった。
 麻衣を叩き起こして何故ここにいるのか、何故ここで寝ているのか、問い詰めたい衝動に駆られる。だが起こした後の騒動を思うと更に頭痛が酷くなる。
(面倒だ・・・)
 問い詰めることは明日にして寝室のベッドに沈み、ナルは考えることを放棄した。



 * * *



 6時間後、いつもの時間に目覚めてスウェットに着替える。洗面所で顔を洗い、このところさぼっていた日課の太極拳をしようとリビングに行くと、手にバスケットを持った麻衣と目が合った。

「お、おはよ・・・?」
「・・・・・・・・・」

 ひきつった笑顔で挨拶してきた麻衣を無言で睨むと、「エヘへ」と馬鹿みたいな顔で更に笑った。その呑気な姿に眉間の皺が一層深くなる。
 どうやら昨日のアレは幻覚ではなかったようだ。自分があのような幻覚など見るはずは無いが、幻覚であったほうがはるかにマシだった。
「こーんな良い天気の朝なのにそんな不機嫌な顔するのよくないよー?」
「不法侵入者を前にしてにこやかに笑える人間がいたらお眼にかかりたいものだ」
「不法侵入言うな!ちゃんと合鍵使って入ったんだからね!」
「僕の了解をとらずに入れば同じだ」
「あんたインターホン鳴らして執筆の邪魔したら絶対怒るじゃんよ!」
「当然だ」
「だったらこっそり入るしかないじゃん!」
 一応自分の性質を考慮に入れ、彼女なりに考えた行動らしい。問題はその手段と動機だ。
「お前が何故合鍵を持っている」
「リンさんから預りました」
 これは予想範囲内。問題は理由。
「何故?」
「お籠りしたナルのお世話を頼まれたからです。私より(仮)彼女の谷山さんのが相応しいでしょうと言われました。(仮)でも彼女がいる間はアンタのお守から解放されたいんじゃない?リンさんだって忙しいもん」
「・・・・・・・・・」
 真意はどうあれ、リンと話し合う必要があるようだ。
「とりあえず麻衣が頼まれてここに来たというのは分かった。だが何故お前は昨夜泊った?」
 道徳観念の強いリンが泊りで世話を頼むはずがない。麻衣の保護者気取りのぼーさんも騒ぐに決まってる。そんなことを許すはずが無い。
 麻衣はこれには答えず、明後日の方向を向きながら下手な言い訳で誤魔化そうとした。
「・・・えと、冷めちゃうからご飯食べない?」
「・・・・・・・・・」
「朝ご飯は野菜サンドだよ!お茶淹れてくるね~」
「逃げるな」
 馬鹿め、お前じゃあるまいしそんなもので誤魔化されるものか。
 キッチンに逃げようとする麻衣の襟首を掴んで阻止する。ジタバタするがじろりと睨んで黙らせると、あーとかうーとか意味不明の言葉を漏らした。
「麻衣?」
 往生際悪くまだしゃべらない麻衣を一層冷ややかな眼差しで見てやると「ひぃぃぃぃ」と言葉にならない悲鳴を上げた。そして観念したように、ガクリ、と項垂れる。
「・・・すいません、掃除してる最中に寝こけました」
「掃除?」
「頼まれたのはご飯の差し入れだけだったんだけど、床の綿ホコリやキッチンの汚れが気になってさ、ちょっと片づけるつもりが本格的になってしまってですねー、満足するまでやったら疲れちゃって、ちょっと休もうとソファに横になったら・・・」
「朝になった」
「・・・という訳なんです」
 てへへ、と笑う姿と予想通り過ぎる内容に力が抜ける。掴んでた襟首を解放してやった。お節介な麻衣に呆れながらも部屋を見回すと確かに奇麗になっている。ここ一月ほど片づけを疎かにしていたからもっと雑然としていたはずだ。
「へへー、頑張ったんだよ!奇麗になったでしょ?お台所もホコリ積もっててさー、こんなイイ部屋が台無し!」
「ホコリで人は死なない」
「死ななくても病気にはなります。ちゃんとお手入れしないと家が傷むよ?ハウスキーパーさんとかお願いすればいいのに」
「他人の手が入るのは好きじゃない」

 最盛期は他人が少し触れた物でもサイコトメリが発動した。今は減退期に入ったのでそんなことはもうないが、プライベートな空間に他人の気配が残るのは気分が良くない。ホテルの時のように不在のときにするなら構わないが、自宅だとそうもいかないのが面倒だ。とはいえ、さすがに手が回らないので一年に一回程度は業者に依頼していた。

「・・・私が掃除したの、余計だった?」
 上目づかいで、不安そうに麻衣が聞いてくる。普段強気で自分をどやしつける癖して妙なところで弱気になるものだ。
「今更だ。お前の煩い気配には慣れた」
「・・・微妙に喜べないんですけど」
「褒めてないからな」
「そ・お・で・す・よ・ね!」
 不服そうな麻衣を鼻で笑い、その額を指弾する。麻衣が「痛い!」と騒いだが、それは無視して朝食の用意されたテーブルに着席する。指弾程度で勝手に侵入した無礼を許してやろうというのだ。安いものだろう。不愉快ではあるが害は無いのだしどうでもいい。そう結論付けた。
 追及が終わって安心した麻衣は「お茶淹れてくるねー」とドタバタとキッチンに消えた。
 
 テーブルに置かれたバスケットの布巾を外すと、10cm四方程度のサンドイッチが現れた。
 この3日、食事を取った記憶が殆どない。さすがに空腹を覚えてサンドイッチを一つ取り、口に運ぶ。
 中に塩漬けキュウリ、炒めたナス、そしてチーズが挟んであった。二つ目を口に入れる。これはトマトとチーズが挟んであった。厳密にすると乳製品も摂らない方が良いのだが、子供の頃は健康上の理由で多少は摂っていた。
 どちらも味は悪くない。
「はい、お茶~、って先に食べるなんて行儀悪くない?」
 紅茶を運んで来た麻衣に文句を言われた。真っ当な言い分だが面倒なので無視したまま出されたお茶を飲む。一年以上自分で買った覚えはないので新しい茶葉を買って来たのだろう、良い香りだった。
「ご飯食べる余裕があるってことは論文終わったの?」
「あとはチェックだけ」
「じゃ予定通り明後日には事務所来る?」
「ああ」
「そか!」
 口煩い上司が戻るというのに嬉しそうな顔をするのが不可解だ。
「・・・にしてもさぁ、やっぱナルも男の人だったんだね」
「何を今さら」
「無精ヒゲ生えてる」
「・・・」
 顎に手をやると、ザラリとした感触がした。あまり髯が生えない体質だが数日剃らないでいるとさすがに伸びてくる。いつもなら朝食前にシャワーを浴びて処理するのだが麻衣との問答で順序が逆になっていた。

「昔は美少年でヒゲなんか生えなそうに無かったのにねー、こうして見ると随分男臭くなってきた。当たり前だけどナルも歳とるんだからいつまでも美少年じゃいられないよねー。いつか中年になってハゲてきたりメタボになったりするのかな。ナルシスト中年て笑えるー」
 麻衣は人の顔を見て勝手に想像し「アハハハー」と馬鹿みたいに笑った。
 その顔と内容が癇に触った。
 
「その男臭くなった人の部屋へお泊りになったのはどこのどなたですか?」

 紅茶を片手ににっこりと笑ってやる。麻衣はあからさまに『しまった!』という顔をした。もう遅い。

「婚約者でもない成人男性の家に上がり込み、夜中まで居座りソファで眠りこむなど…間違いが起こるのを誘ってるようですねぇ。随分大胆になられましたね、谷山さん?」
「え、いやそんなことは…」
「このことを知ったお父様はさぞ嘆かれるでしょうね。『そんなふしだらな娘に育てた覚えはなーい!』とか『お前は不用心すぎる!』などと泣き叫ぶ姿が容易に想像できますね」
「………」
「男性の保護者も良い顔はなさらないでしょう。静かに、延々と未婚女性の心得など説かれるでしょうね」
「………」
「二人の反応が非常に楽しみですね」
「え、えと……」

 全く他意はないが、下手したら誘ってると取られてもおかしくない状況だ。ナルの家だから何もなかったが、これが男友達の家だったらどうなったことか…。
 こんなことを知られたらぼーさんから大声で怒鳴られて拳骨をもらうことは確実。リンさんからも溜息とともに延々と説教されるだろう。娘大事な父親と堅物の保護者にWで説教されるのは勘弁してもらいたい。さらに母が加わったらとんでもない。

 冷や汗を垂らし情けなさそうな顔をしている麻衣を、ふんと鼻で笑って手にあるティーカップを傾ける。
 自動的に用意された朝食に香り豊かな紅茶。掃除された部屋。
 勝手に部屋に入られたことは不愉快だがこの状況は悪くない。脅しはしたが無礼を目こぼししてもいいくらいは良い気分になっている。
 だから目の前に座るお節介な部下兼一応彼女に言ってやる。

「掃除と食事の礼に、うちに泊ったことは不問にしてやる」
「ぜ、ぜひ・・・」
「ぼーさんとリンにも黙っててやるから、その代わり風呂場の掃除もしておけ」
「・・・喜んでやらせて頂きます・・・・・・」

(何で感謝されるはずが恩着せがましく言われなきゃならないんだろう・・・)

 全ては迂闊にも寝こけた自分のせいだと、詰めの甘い自分にちょっぴり涙が出た麻衣だった。

 

 その後、便利さに味を占めた博士が時折片づけを頼むとか、エアコン完備の素敵部屋に麻衣が涼みにきたとか、そんなことがあるとかないとか・・・。
 そこまでは保護者も感知していない。






END



博士は研究以外無頓着だからろくに掃除しないと思うよ。汚さないけどホコリはたまってくと思うの。完全菜食だと乳製品も摂らないかなぁと思ったのですが、英国で乳製品も抜いたら子供の健康上良くないよね。だから食べる設定にしました。

2011.2.8
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